第5章

夕陽が音楽室の窓から差し込み、譜面台やケースの影を長く伸ばす。部室のドアは閉ざされ、外界の音は遮断されていた。

再び総合高校を訪れた鈴香と颯太は、弦楽部部長――水沢美月の前に向かい合い、彼女に対して静かな視線を注ぐ。

まずは鈴香が穏やかに口を開く。

「美月さん。これまでの情報収集した結果から、事件のあらましと犯人がわかりました。けれど、わたしたちは犯人を糾弾するつもりはありません」

美月は驚いたように肩をすくめると、視線を落とした。

鈴香はやわらかな微笑みを浮かべ、ゆっくりと続ける。

「わたしたちが知りたいのは、あなた自身の言葉で語られる本当のことです。お願いです、話してもらえませんか……」

颯太が静かに補う。

「大丈夫です。メモも取らないし録音もしない。真相を解明したいだけなんだ」

しばらくの沈黙の後、美月は小さく息をつき、震える声で口を開いた。

「……実は…」

その一言に、部室の空気がわずかに張りつめる。

美月は小さく息を吐き、震える声で口を開いた。

「……そうです。私が嘘をついたんです。バイオリンは盗まれていません……自宅に保管しています」

鈴香は励ますようにうなずき、先を促す。

「なぜそんなことを? よかったらもっと詳しく教えてください」

美月の瞳に迷いが揺れる。額に汗が浮かび、手も震えていた。やっとのことで美月は言葉を絞り出す。

「……部の予算が足りないんです。部員たちが十分に練習できないことも私の悩みで……だから、工芸高校のロボット研究部みたいに援助を受けられたら、と思って……」

一呼吸おいてから美月は続ける。

「それに……私は自分のバイオリンがあるけれど、他の部員はそうじゃない。その差が、知らないうちにみんなとの距離を作ってしまってたんです。部長なのに、部員と同じ場所に立てていないなんて……。だから、環境を改善すれば、全員が同じ条件になるし、みんなと仲良く、部が一つになれるんじゃないかと思ったんです……」

美月は俯き、瞳に涙を浮かべる。指先の震えがようやく止まり、わずかに深呼吸をした。

「ごめんなさい……私のせいで、みんなに迷惑をかけてしまった……」

鈴香が優しく声をかけた。

「謝るのは、わたしたちに対してじゃなく部のみんなに対してでしょう。それに――大事なのはこれからで、部をどう立て直すかが重要ですね」

部室にはしばらく静寂が流れた。颯太が静かに声をかける。

「水沢部長、自作自演は良くないことだ。でも、真実を話してくれたことで、事態が大ごとにならずに済んだんだ」

鈴香も頷きながら言葉を添える。

「実際に被害は出ていませんし。部員のみなさんにも誠実に説明すれば、きっと理解してもらえますよ」

美月は深く頭を下げ、微かに笑みを見せた。

「ありがとうございます……みなさんのおかげで、心の重荷がなくなったような気がします」

颯太は静かにうなずき、美月を見つめ直した。

「これで事件はひとまず解決か……」

鈴香は少し考えてから、そっと口を開く。

「美月さん……もしよければ、わたしがお父様にお願いして、弦楽部の練習環境を整える手助けをしましょうか。部員全員が平等に練習できるように」

美月は目を大きく見開いた。

だが颯太がすぐに手を挙げて制する。

「いや、それは良くない。お前の気持ちは分かるけど、外部から援助すると、部員たちの成長や団結力が損なわれる。それに、今回の問題の本質はそこじゃない」

鈴香は一旦考え込み、うなずく。

「……確かにそうだわ。一時的に環境だけを整えても、部員の気持ちがバラバラじゃあ成果は出ないわね」

颯太が続けた。

「まずは、美月さん自身が部員と向き合い、少しずつ距離を縮めながら改善することが先だ。もちろん、オレたちも必要な時は相談にのるぞ」

美月は涙を浮かべつつうなずく。

「……はい。部員のみんなに謝って、私の気持ちを伝えます。それで、もし許してもらえたら、みんなと一緒にやり直します」

鈴香も微笑み、静かに言葉を添える。

「ええ。弦楽部の未来は美月さんたちにかかっています。それが、弦楽部が本当に良いものになる方法だから」


総合高校からの帰り道、晩秋の夕暮れが街並みを朱色に染めていた。鈴香と颯太は並んで歩き、それぞれ綾音と周平に、先ほどの出来事を電話で報告し終えたところだった。

スマートフォンをポケットへしまった颯太がおもむろに口を開く。

「なあ、これで本当に事件は解決したのかな?」

唐突な問いに、鈴香は思わず立ち止まった。

「どういうこと? 美月さんが自分でやったって言ってたじゃない。映像の証拠もあるし……」

「確かに、そこは間違いないと思う。でも、本当にそれだけなのか、どうも引っかかるんだ……」

夕暮れの光を受けて、颯太の横顔は少し翳りを帯びている。疑念の影が、その目の奥でわずかに揺れていた。

「じゃあ、どうすればいいの?」

鈴香は小首をかしげ、真剣な眼差しで彼を見上げる。

「いや、それはまだわからない。ただ、情報収集は続けた方がいいと思う」

颯太は冷静に判断を示した。そして少し間を置き、鈴香にも意見を求める。

「お前の直感は? 探偵としてのお前の直感は、これで終わりだと納得しているのか?」

鈴香はわずかに考え、そして静かに首を振った。

「そうね……納得はできていない……颯太の言うとおりだと思うわ。うまくはまらないピースが残っているのは確かだもの。まだ情報収集を続けましょう」

「さすがだな、探偵」

「颯太こそ。さすが、わたしの相棒ね!」

その言葉に、颯太の表情がわずかに緩む。その瞬間——。

「へえ、お二人は相棒なんですね」

背後から軽やかな声が飛び込んできた。振り返ると、どこか得意げな顔の綾音が鈴香たちの様子を伺っている。

「ちょ、ちょっと綾音! どうしてここに?」

「もちろん偶然です」

綾音は涼しい顔でそう切り返し、取り出したスマートフォンを鈴香と颯太に向けてシャッターを切った。

「制服のリボンでさえ高級ブランドのアクセサリーに見えるほど、お嬢様は華やかですね」

「そんなこと言って……颯太は探偵活動の相棒ってことで……」

鈴香が慌てて言い直すが、綾音と颯太は顔を見合わせ、声を揃えて笑い出した。

その笑い声に、夕暮れの街並みがいっそう賑やかに感じられた。


――数日後。

弦楽部の顧問である山本先生から鈴香に連絡があった。美月の行為を不問にすることを決定したと。

顧問は鈴香に静かに告げる。

「今回の件については口外しないで欲しいんです。学校としても、水沢や部員たちのこれからのために、外部に知られない形で収めたいのです」

鈴香は電話越しにうなずき、落ち着いた声で応じた。

「わかりました。わたしたちも、今回の事件についてみだりに話すことは控えます」


事件は解決した――はずだった。

だが、颯太の「まだ終わっていない」という言葉が、鈴香の胸の奥に残響のように響いていた。

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