第5章

颯太が真剣な眼差しで問いかける。

「とすると、ここからどのような推理が導き出されるだろうか?」

「まず、何も取られていないということだけど、そもそも美術室に高価なものはないと思うの。金銭目的でないとすると、泥棒が片桐先生の関係者だという推測がより確実になるんじゃないかしら」

鈴香は、自分の考えを口にするも、胸の内で不安が渦を巻くのを感じた。真実に近づくほど、教師の影もまた濃くなる――そんな予感がした。

綾音がすぐにうなずき、落ち着いた調子で考えを継ぐ。

「それは、先生が調査を拒否しているという事実にもつながると思われます」

周平が腕を組み、眉間に皺を寄せながら別の角度から切り込む。

「どうも、先生は何かを隠しているのは確かだな。それが個人的な創作活動かもしれないな」

その言葉により推理に重みが加わり、鈴香の胸はさらにざわめいた。

鈴香は深呼吸をしてから、再び自分の直感を口にする。

「そうね……ただ隠しているだけじゃなく、苦しんでいるようにも思えたわ」

その一言に、皆の表情がそろって変わった。

颯太は小さくうなずき、言葉を引き取って推理をさらに進めた。

「とすると、先生は何かの事件に巻き込まれている可能性もあるな」

綾音が質問の形をとり、颯太の推理を補強する。

「その事件に関する何かが盗みの目的ということでしょうか?」

「そうだな。美術室からはこれ以上手がかりはなさそうだから、先生の交友関係や過去をあたってみようか」

冷静な颯太の声に、鈴香は心の中でうなずいた。

「でも『調査はしない』って先生と約束したわ……」

鈴香の心に迷いが生じる。約束を破っていいのか、相手を裏切ることにならないのか……胸の奥がちくりと痛んだ。

颯太の目が真っ直ぐに鈴香を見つめ返す。

「あれは『金の力を使った調査をしない』という約束だ。オレたち自身が調べる分には問題ない。それに……お前はこういうことがやりたかったんだろう?」

その言葉に、鈴香の胸の中でスッと迷いがほどけていった。

「もちろんよ! みんな、協力してくれるわね?」

「当然だろ! オレは早速聞き込みに行ってくるぜ!」

周平が勢いよく立ち上がると、そのまま部屋を飛び出した。

「私も情報収集に着手します」

綾音の答えは淡々としているが、声のトーンにはわずかな高揚が含まれていた。

「オレは画材について、もう少し詳しく調べてみる」

颯太が何かを思い出したように告げ、立ち上がる。

「わたしは、今までの情報をもう一度整理しておくわ」

鈴香は胸の奥に熱いものを感じた。

――このチームなら、できる。

この瞬間、鈴香は確信した。


鈴香と綾音はカフェテリアの窓際に腰を下ろした。午後の光がガラス越しに差し込み、真っ白なテーブルを柔らかく照らしている。鈴香は先ほどのやり取りを反芻しながら、静かにアイスティーを口に運んでいた。

やがて、颯太がわずかに息を弾ませてテーブルに合流した。

「実は、追加で思い出したことがあるんだ。画材の件で」

真剣な声音に、思わず鈴香は身を乗り出し、綾音も同時に視線を移した。

「どうしたの?」

「あの画材、特注品だっていう話をしただろ。それってつまり、かなり高価なものなんだ。一般の社会人では手が出ないぐらいに」

「じゃあ、どうやって片桐先生はその画材を手に入れたのかしら……」

その言葉の重さに、鈴香の胸がざわついた。薄給とは言えないだろうが、学園の教師がそんな画材を揃えられるものだろうか。頭の中で点と点が繋がり始めたのを感じ、鈴香は息を呑んだ。

「もしかして! 片桐先生は、個人的な創作活動をしてるという話もあったのは……」

鈴香と颯太の目が合い、二人の間で何かがつながる。

ふと横を見ると、綾音が鈴香と颯太を見比べて、意味深に微笑んでいた。

「……あら? お嬢様と颯太様、ご意見が綺麗にお揃いになったようですね。相性がピッタリで嫉妬してしまします」

顔が真っ赤になったのがわかり、鈴香は思わず後ずさった。

「へっ!? な、なに言ってるのよ、綾音!」

颯太は顔を背けると、軽く咳払いを一つし、ドリンクを口に運んだ。

鈴香は顔を伏せ、心の奥で頬の熱を感じながら、その場に訪れた微かな沈黙を意識していた。

「颯太様、実は……」

「悪い、遅くなった!」

綾音が颯太に何か言いかけようとした、ちょうどそのとき、周平がカフェテリアの入口から勢いよく駆け寄ってきた。

鈴香はこれ幸いと話題を切り替えた。

「そ、揃ったわね。じゃ、じゃあ、持ち寄った追加の情報をみんなで共有しましょう」

「どうしたんだ? 何かあったのかい?」

「いえ、問題ありません。まずは私から調査結果をご報告します」

周平の問いかけを軽く受け流した綾音は、流れるように指を動かしてタブレットの画面を表示させる。

「片桐先生の交友関係については、師匠である画家を含めて、特に美術関係を詳しく、美術品に関する不正の情報については、ダークウェブまで追跡しました」

鈴香は眉をひそめた。室内の空気が一層重くなるのを感じる。

「えっ、ダークウェブって、犯罪者の……?」

周平が目を見開き、驚きの声をあげる。

「そのとおりです。そして、調査の結果明らかになったのは、片平先生と密接な関係を持っていると思われる人物――裏の世界で『闇の美術商』と称されている黒川信介です。先生の過去の作品や画家としての経歴を含め、収集したすべてのデータをスーパーコンピュータで相関解析およびシミュレーション解析した結果、浮かび上がりました。その証拠がこのツーショット画像です。撮影場所は――異人館街にある高級アトリエです」

「ブホッ!」

颯太は驚きのあまり飲みかけのドリンクを噴き出した。

「綾音さん、さらっと言うなよ! 普通の刑事が一生かけても無理だぞ、それ!」

大袈裟な颯太のリアクションに無反応な綾音に対して、鈴香は軽く笑みを浮かべながらも、手が震えるのを感じた。情報の重みが胸にのしかかる。

「ちなみに、その高級アトリエも先ほどの黒川が経営しており、黄金比やダ・ヴィンチの鏡文字を研究しているとの噂もあります」

平然と続ける綾音の言葉に、鈴香は思わず目を見開く。事件の核心が急速に近づいていることを感じた。

「俺からも!」

周平が突然大声を上げ、三人はぎょっとして振り向いた。

「月岡ちゃんにさ、片桐先生のことを聞いてきたんだ。『先生は贋作が大嫌いで、模写と贋作の違いを熱弁してた』って! 模写は敬意、贋作は魂を売った抜け殻だって、すごく悲しそうな顔で言ってたってさ」

限定プリン事件で知り合った女子生徒の名前をあげる周平に、綾音は口音を緩め、少し微笑んだ。

「さすが田村様です。色々な人と積極的に話をして、手がかりを集めてくるのは……行動力と人付き合いの上手さが光ります」

鈴香の頭の中では、情報が線となって一気に繋がっていく。鼓動が早まり、手のひらに微かな汗を感じた。

「やっぱり……片桐先生は贋作師だったのね! 『闇の美術商』――黒川は、そのことを知って、先生を脅していたんだわ!」

鈴香は、美術室で見つけた画材が高価なもので、誰かから提供を受けていたのではないかという推理を綾音と周平に説明するや否や、今すぐ保健室に行こうと椅子を跳ね上げるように立ち上がった。

「ちょっと待て! この推理には穴はないように思えるが、決定的な証拠がないぞ。だから……」

颯太が落ち着いた声で、最後の詰めを行うための計画を伝えた。


すべての準備が整うと、鈴香は颯太たちとともに美術教師が休んでいるはずの保健室へ向かった。歩を進めるたび背筋に緊張が走る。鈴香の胸には、ついに事件の全貌に迫れるという確信めいた期待が満ちていた。

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