第2章
「お嬢様、ご安心ください。本日の限定プリン、すでにお嬢様の分は確保しております」
綾音が忠実なメイドとしての仕事について報告している姿を横目で確認し、鈴香が辺りを見回していると、教室の片隅から、絞り出すような悲痛な声が響いた。
「えっ、うそ……」
ざわめきが一瞬止み、視線が集まる。鈴香は胸のざわつきに突き動かされるように、その方向へ駆け寄った。
そこには、一人の女子生徒が立ち尽くしていた。彼女の前にある机の上には、くしゃくしゃになった紙袋がぽつんと転がっている。中身は空っぽだった。
女子生徒の声は小さく震えている。彼女は泣きそうな顔で視線を落とした。
「今日は、誕生日の友達のために、この限定プリンを用意したのに……プリンでお祝いしたかったのに……」
ショックの大きさを周りの友人に伝えるその言葉に、教室の空気が静かになった。誰もが彼女の気持ちに胸を打たれ、口をつぐむ。
鈴香の胸に、かつてないほどの感情のざわめきが突き刺さり。怒りと同情が同時に押し寄せる。だが、胸のざわめきの奥には、それとは全く別の感情も芽生えていた。
(これは……わたしの出番じゃないかしら?)
退屈の空気が、一気に嵐へ変わる瞬間だった。
「綾音、わたしのプリンをあの子に譲ってあげて!」
そう伝えるや否や、鈴香はすぐさまあたりに聞き込みを始める。
「ねえ、今日の放課後、何か変わったことはなかった?」
クラスメイトたちは驚きながらも思い出すように口を開いた。
「うーん……特に変わったことはなかったかな」
「でも、クラスの何人かが、いつもより早く帰ったみたいだけど」
「……あ、わたし、美術室のほうから変な物音を聞いた気がする」
次々に証言が集まりだした。いつの間にか鈴香の隣の席に陣取っていた綾音がタブレットの画面を開き、次々に情報を記録している。
「お嬢様、確かにプリンはお渡ししました。お嬢様に大変感謝されておりました」
綾音はそう簡潔に報告すると、そのままタブレットを鈴香に差し出した。
「先ほどの情報はこちらにまとめておりおます」
鈴香はその画面を注意深く見渡すが、どれもプリンが消えたことに直接つながるものではないようだ。鈴香は画面をスクロールしながら唇をかむ。
(やっぱり、そう簡単にはうまくいかないか……)
父のようにお金を使えば簡単に解決できるのだろう。しかしそれだけは絶対に避けたい。自分の知恵で、スリルを味わいながら解決する――その思いが、鈴香の胸の奥で悔しさを膨らませた。
帰宅後、鈴香はリビングのテーブルの上にノートパソコンを開き、今日の聞き込み内容を整理していた。クラスメイトの言葉を一つずつ見返すたび、焦りが胸に広がる。
母は紅茶を手にして静かに鈴香の隣に腰を下ろした。二つのカップから立ち上る香りが、緊張した心を溶かすようだ。
「お母様……今日、学園であった事件のこと、どうしたらいいか分からなくて……」
母は軽くうなずきながら、ゆったりとした動作で紅茶を鈴香へ差し出した。柔らかい笑みを浮かべ、その瞳は鈴香の目をしっかりと捉えている。
「そう……順調には進んでいないのね。無理しないで」
鈴香はカップを受け取り、母の方に向き直る。その言葉が心を少し落ち着かせてくれた。
「うん……だけど、これはどうしても自分でやりたいの……」
母はゆっくりと包み込むように鈴香の手を握った。
「鈴香さん、焦らなくて大丈夫よ。きっと道は見つかるわ」
指先の温もりが、鈴香の胸の奥にまで染み渡った。
「どうしても行き詰まったら、信頼できる人に頼ることもひとつの方法よ」
鈴香は母の言葉を胸に刻む。頭に浮かんだのは、冷静で論理的な颯太の顔だった。断片的なデータをつなぎ合わせて意味のある情報に変換し、そこから何か見つけ出せるのは、きっと颯太しかいない――そう思うと、なぜだか勇気が湧いてきた。
翌日の授業前、鈴香は教室で颯太を見つけると急いで近づいた。
「ねえ、颯太。探偵活動を手伝ってくれない?」
意を決して声をかけたが、颯太は顔を上げ、迷惑そうにこちらを見る。
「なんでオレが」
「だって、颯太はいつも冷静に物事を分析しているじゃない。それに、このクラスで頼れるのは颯太しかいないんだから」
鈴香は自分でも珍しいと思いつつ、食い下がる。
一瞬、颯太の表情に影が走った。
「勝手にやればいいだろ。オレは関係ない」
彼は何かを振り切るように視線をそらし、冷たい声で突き放した。
椅子を引く音が大きく響き、颯太は教室の出口に向かう。その背中が遠ざかるのを見て、鈴香は思わず声を張り上げた。
「お願い! この事件は退屈を壊すチャンスなの。わたしは、自分の力で事件を解決したいの!」
必死の訴えに、颯太の足が止まった。静寂の中、彼の背が小さく上下する。やがて深いため息がもれたと思うと、颯太がゆっくりと振り向いた。
「……わかった。オレも事件のことは気になっていたし……ただし今回だけだ。それにオレは手伝うだけで、解決するのはお前だぞ」
鈴香の顔は直視せず、斜め下に視線を定めながらも、颯太は鈴香に協力することを約束した。
鈴香の顔がぱっと輝いた。
「ふふっ、ありがとう! そう言ってくれると思ってたの。よろしくね、わたしの相棒!」
「何が相棒だよ。これだからお前は……」
ぶっきらぼうな言葉の奥に、ほんのわずかな優しさが見え隠れていた。
鈴香は胸を撫で下ろしながら、これから始まるであろう探偵活動を思い描く。退屈だった毎日が、ようやく色を取り戻す瞬間だった。
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