第19話 怪物(後編)

 スタンドの下にあるベンチに逃げ込むように入ると、スパイクを履き替えて、しばらく座っていた。

 さっきの大和の視線の意味を考えていた。


 先ほどのディレクターっぽい人が来て、これからインタビューを撮りたいので、着替えたらスタンドの上まで来てくれという。

 僕は気のない返事をしてタオルで軽く顔を拭いたあと、ユニフォームをTシャツに着替えた。

 汗が新しいTシャツに、染み込むのも気にならなかった。


 スタンドの上の観客席に登ると、さっきの位置に大和の姿は見えなかった。僕の見間違えだったのだろうか。


 かわりにテレビクルーと、なんとか坂とかいう女性グループの女の子がリポーターとして大きな日傘の下座って僕を待っていた。


 彼女は僕を見るとすっと立ち上がって、にこりと笑って深くおじぎをした。


 顔が小さくて、肌も透き通るように白く、人形のように瞳もキラキラと輝いている。なんだか別の世界から来た人のように思えた。


 自己紹介を受けて、ディレクターが、いくつか指示を出す。スタンドから見える富士山をバックに観客席に座ってインタビューを受けた。


「暑いのにありがとうございます。すぐに終わるのでよろしくお願いします」

 と、アイドルの女の子は、少し顔を近づけ声を落としてにこりと微笑んだ。


 気遣いは申し分ない。

 とても感じも良くて、その整った顔立ちに目も合わせられない。

 だけど、始まってもいないのに早く終わってくれという気持ちに変わっていた。


「お願いしまーす」

 ディレクターの声とともにカメラが回りはじめた。


「今日は、100メートルの短距離走で山梨の記録を塗り替え続けている、怪物天才高校生、三笠遼くんです」


 女の子が少し鼻にかかった声で僕を紹介する。


「わたし100m走をはじめて目の前でみたんですけど、すごい迫力で、びっくりしちゃいました。

 今日はとても暑かったですけど、どうでしたか?」


「風が強かったのであまり参考にならないですね」


 一瞬だけどリポーターの笑顔が消えた。

 すぐに笑顔を作り直して、インタビューを続ける。


「あまりにも速いのと勉強もできるということで、友達から宇宙人だって言われているみたいですけど、本当なんですか?」


 ——でた、その質問。


「いや、れっきとした地球人です」


 あまりにもあっさりと答えてしまったので、ここは使われないなと思った。

 前はそんな質問に合わせることだってできたのに。


「じゃあ、夢はオリンピックですか?」

 リポーターがカンペを見ながら、僕の顔をイタズラっぽく覗き込む。


 ——夢


 その言葉を聞いたとき、大和の顔が思い浮かんだ。


 星雲間転送装置を作りたいと語ったあのときの目。

 そのために東大に行きたいと言ったときの横顔。


「オリンピック…。行けたら行きたいっすね」


 自分でもびっくりするほど、中身のない答えだった。もともと自分の夢に中身などなくて空っぽなんだから当然と言えば当然だ。


 もう一度、リポーターの顔を見る。

 この女の子もアイドルになりたいという夢を叶えてここに来ているんだと思った。


 僕のほどほどに生きていく人生に、もともと夢なんて必要なかったはずなのに。


 その後も、リポーターは笑顔で、うんうんとうなずきながら、僕に向けて質問を投げてくる。


 そうこうしているうちに、インタビューは終わった。


 何を語ったのかは着替えて競技場を出る頃には忘れてしまっていた。


 競技場を出ると、雨宮春風が家族の迎えを待っていた。

「おう」

「お疲れ様ー。三笠くん、全国のインタビュー、すっごい緊張してたでしょ。いつもと全然違ったよ」


 雨宮もその後、友人としてインタビューを受けたらしい。


「あのアイドルの子、めちゃくちゃ可愛かったよね。顔もちっちゃいし、わたしなんて…」


 正直、雨宮もかわいい方だと思う。

 アイドルの子は、ちょっと痩せすぎじゃないかと思った。


「ねえ、三笠くん。わたし、なんか最近…」


 そこまで言って、キョロキョロと後ろを振り返った後、眉をひそめて、言い淀んだ。

 その顔には、不安なのかいつもとは違うものが混じり込んでいた。


「え、どうしたの?今日のフォームとかも全然良かったし、タイムもよかったじゃん」


「そう?そうだよね。うん、なんでもない」


 僕がとりつくろうように答えると、雨宮の表情は少しだけ明るくなった。

 雨宮が作った笑顔はなんだか薄くて、その下に隠してある何かが透けて見えそうなほどだった。


「あ、お母さん、来た」


 競技場のロータリーにやってきたSUV車に雨宮が手を振った。

 車に乗り込みながら、雨宮は笑顔になって言った。


「あ、さっきの、気にしないでね。ほんとに。じゃあね。お疲れ」


 車のドアをしめると、雨宮の車はテールランプをつけて、遠ざかっていき、駐車場の角を曲がって見えなくなった。


 太陽は西にだいぶ傾いたとはいえ、まだ南アルプスのはるか上に居座って、競技場周辺に夏の日差しを差し込んでいる。

 僕は競技場の横の公園にいる人たちを、ぼんやり眺めていた。


 バドミントンをする親子、ランニングをするおじさん。

 そして、リフティングをする青年。


 僕はジャージでサッカーボールを一定のリズムで蹴り上げている青年に目を止めた。


 三組の村松だった。

 サッカー部はインターハイ予選の三回戦で敗退した後、三年生は引退したと聞いている。

 それでも、一人で黙々と練習をつづけている。

 そういえば、雨宮に告白して付き合ったのだろうか。

 かっこよくて、かわいい彼女がいて、それでもそうやって努力を続けている。


 雨宮だってそうだ。

 何になりたいのかわからないけど、こういった記録会に参加して自分を高めようとしている。

 さっき、

 そんな、きらきらした姿が僕は眩しかったのかもしれない。


 アイドル

 バドミントン

 ジョギング

 サッカー

 陸上

 物理学…


 みんな、何らかの夢を持っているんだろうか。


 あれほど何にでもなれると思っていたのに。

 いつまでたっても、空っぽの夢の中には、今日も何も入っていなかったことに気づいた。


「遼…」

 目の前によく見知った顔があった。

 大和だった。


「おう、見にきてたんだ」

「そうなんだ。一番上のところで見てたんだ。気づかなかった?」

 いつものやわらかい笑顔だ。あのときの固い表情ではない。

「ああ、集中してたからね」


「そうだよね。で、膝の調子…どう?」


 心臓がドクンと波打った。

 まただ。

 なんで、そんなに僕の感覚を言い当てられるのか。

 タルサス星人の能力によるものなのか。


「え?なんで?」


「え、いや、やっぱり匂いかな。それと焦げるような匂い…」


 焦げる?

 僕から?


「焦げるってなにが?」


「いや、なんとなくね…。上手くいえないけど…。タルサス星人って、やっぱり、そういう…」


 大和は申し訳なさそうに下をむいた。


「わからないなら、そういうの言わない方がいいよ」

 つい、口に出してしまった。


 焦燥なのか?何に対する焦燥?

 今日のレース?

 さっきから、胸の奥に湧き起こってくる得体の知れないざわつき?


 それとも、今感じている、右膝の重さ?


 言われて初めて、右膝に微かな熱を持っているような気がしてきた。


「ご、ごめん。気にしないで」

 大和は小さく肩をすくめて、手を振った。


 二人は並んで日が長くなった駐車場を歩き出した。

 競技場の北側には古い駄菓子屋がある。

 この競技場に来ると、そこで駄菓子を買うのが、中学生の頃からの習慣だ。


「ところで、なんで今日はこんなとこまで来てたの?」


「うん、だって昨日、遼が取材が来るって楽しそうにLINEしてくれたじゃん。そりゃあ、友だちが全国のテレビ取材受けるなら、見たいよね。ちょうど、なんの予定もなかったし」


 もともと大和に予定なんてあるはずもない。

 塾も行ってないし、部活もやってない。

 友だちだって、僕以外にはいないんだから。


「ああ、そうだっけ?」


 自分でそうは言ってみたものの、そのそっけなさになんだか少し罪悪感を覚えた。


「へへ、ほら、もうすぐ、遼の誕生日だしね。」

「あ、そうか、八月七日…。俺も十八歳になるのか。何か変わるのかなぁ」


「僕のタルサス星では友達の誕生日に、“記憶のしおり“送るんだ」

「ふーん、“記憶のしおり“かあ、どんなのだろう」

「へへへ、楽しみにしてて」


 駄菓子屋には競技終わりや、スポ少終わりの小学生がたむろっていた。

 その中に入って、酢漬けイカと、かば焼き風の駄菓子を買った。

 大和は食べたことがないと言っていたので、酢漬けイカとかば焼き風の駄菓子を二つづつ買って一つはあげた。


「はい、これ、うまいよ。それと、かば焼きのやつは俺の“記憶のしおり”」


「ありがとう。本当だ。しおりみたいだね」

 大和は、しおりのようなかたちの薄っぺらいかば焼き風駄菓子を見て笑った。


「あ、この酢漬けイカ、有名だよね。確か笛吹川のところに工場あるよ」


 大和はスマホをポケットから取り出して、いつものように駄菓子や風景をうれしそうに撮っている。

 こういうところが、なんだか嫌いになれない。


「え?そうなの?山梨住んで八年ぐらい経つけど知らなかった」


 駄菓子屋を出て公園のベンチに座り袋を開けた。

 ひとつ口に入れると、酢漬けの酸っぱい香りが広がる。

「くうー、運動した後に、これがたまんないんだわ」

 僕が言うと、大和もおそるおそる口に運んだ。


「美味しいね。僕も暑くて汗かいたから、ちょうどよかった。ありがとう」

 やっと大和の顔がいつもの明るい顔に戻った気がした。


「遼…、ずっと僕たちって友達でいられるのかな…」


 急に大和が言うものだから、酢漬けイカの味がなんだかわからないものになった。

 もうひとつ口に放り込んだ。


「急になんだよ…。当たり前じゃん。びっくりしたわ」

 なんだか、今日のいろいろあった気持ちを全て見透かされたようで、僕は笑顔を無理やりつくった。


「いや、なんとなく。ごめんね…」


 こういうときの大和はなんだか怖い。

 大和は少し安心したように、小さくわらった。


「あ、うちの母さんが来た」


 ちょうど駐車場に、母親が運転する車が入ってきた。

 僕は立ち上がって、

「今日は見にきてくれてありがとう。またな」

 と大和の肩に両手を置いて言った。


「うん、じゃあ、また。地球人時間でまた明日」

 大和はいつもの顔になって答えた。

「おう、地球人時間でな」

 軽く笑顔を作って答えた。


 母が運転する車に乗って、駐車場を後にした。頭の中では、小さく遠ざかっていく大和の姿が浮かんでいたけど、僕は確認しなかった。


「あら、大和くんだっけ?あの子、一緒に載せなくてもよかったの?」

 母が運転しながら僕に訊ねた。

「ああ」

 僕はひとことだけ答えた。


 南アルプスの稜線にかかった太陽は緑ヶ丘運動公園の木々には影を作っていた。

 公園にはバドミントンの親子も、ジョギングのおじさんも、リフティングをしていた村松も、もういなくなっていた。



 地球人時間で次の日になった。

 明日が終業式なので、クラスではみんなでロッカーや机の大掃除をしていた。


 そのときだった。


「あれ、これって。“あめみやはるか“ってかいてあるけど…」

 クラスの誰かが、泥だらけの巾着袋を、持ち上げて言った。


 偶然開いた大和のロッカーから転がり落ちたものだった。

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