第16話 ぬくぬく君事件(後編)


 僕と古屋は自転車で身延線の踏切をこえてイオンモールに向かった。古屋とは小中学と同じだったので、よく自転車で先生たちに内緒で身延線をこえていた。小中学生にとっては、ちょっとした秘密の大冒険だったのを覚えている。


 イオンの中の本屋に行って古屋は大学受験の参考書を買うらしい。僕も大学受験の問題集というものを見ておこうと思ってついてきた。

 モール内は冷房が効いていて、汗でベタついた体もすぐに快適になった。


「お、何?遼、東大、受けるの?だよな」

 僕が手に取った過去問の問題集を見て古屋が言った。別に受験しようと思っていたわけではないが、自然に目に入っただけだ。

「いや、どんな問題なのかなって思って」


 古屋は五冊ほど参考書を両手に抱えている。夏休みにやるつもりだろうか。こんなにいっぱいできるわけがないと、僕は思った。


「まあ、遼じゃ、受かるだろ。そういえば大和も東大志望らしいじゃん」

「へえ。そうなんだ」

 すっと口に出た言葉がこれだった。

 なんでかはわからないけど、そう答えた。


「あれ、お前、最近あいつと仲良さそうだけど知らなかったんだ。なんか物理やりたいらしいよ」

「あー、あいつ物理好きって言ってたもんな。確かに」

 赤い東大の過去問集を本棚に戻しながら、またしても、なぜか知っているのに知らないふりをした。


「あ、これ会計したら、そこのスタバでさっきの話の続きするよ。あれ、それ買わないの?」

「ああ、別に」

 そう言って、その辺にあった英単語の参考書を手に取って古屋と一緒に会計の列に並んだ。


 本屋の隣にスターバックスコーヒーがある。焙煎したコーヒーの香りが僕たちの鼻をくすぐった。

 先に並んだ古屋はアイスコーヒーを注文し、僕はシナモンの香りがするアイスティーラテを頼んだ。

 窓際の席に並んで座ってストローを同じタイミングでくわえた。

 目の前の窓からは西日に照らされた富士山が見える。


「なあ、さっきの話。大和と“ぬくぬく君“の事件ってあれだよな……」

 古屋はアイスコーヒーを少し飲んでからガムシロップを追加した。ストローを回すとプラスチックのコップで氷が乾いた音をたてた。


「あれだ……。遼はまだ、こっちにくる前だったんだよな。そう、小三の頃だよ」

 僕は黙ってミルクティーをすする。


「ぬくぬく君って、あいつのリュックにこうやって付いているやつ、あるだろ?」

 古屋は自分のリュックに付いているマスコットを指さした。バレーボールアニメの眼鏡をかけたキャラだ。大和のリュックに付いていた、薄汚れたもこもこのぬくぬく君を思い浮かべた。


「あいつ、いつからかずっとランドセルにつけてたんだけどな。ある日、それが無くなったんだ」

「無くなった?何で?」

 僕は聞き返した。


「誰がやったか、わかんなかったんだけど。アイツ狂ったように泣き叫んでさ。教室を飛び出して行ったんだ。あんなに泣き叫ぶやつを見たことないって、みんな言ってたな。」

「マジ?」


 古屋は少しコーヒーを飲んでから、またガムシロを追加して、からからとかき混ぜた。少なくなってから追加したら甘くなりすぎるにきまってる。古屋はそんなことお構いなしに、ストローでかき混ぜながら話を続けた。


「ああ、だけどな。その次の日になったら、ボロボロになったぬくぬく君をつけて、普通に登校してきたんだ。めっちゃ、普通にな。前の日のことなんて何もなかったかのように。みんな、それを見て、気まずくなってさ。“あ、あったんだ“とか“よかったね“とか言ってだんだけど、アイツへらへらと笑ってるだけだったんだよ」


 僕はそれを聞いて、大和の笑顔を思い出した。胸が締め付けられるように感じた。


「それからだよな。アイツが変なこととか嘘とか言うようになったの」

「変なこと?」

「ああ…地底人とか、小人が見えるとか、電波が入ってくるとか」

 古屋は言いにくそうに視線をそらした。


「みんな最初は面白がってたけど、どうせ、嘘だしな。だんだん怖くなってさ。遼が転校してきた四年生の頃には誰も相手にしなくなっちゃって、もうぼっちになってたんだ」


 僕は雨の日も晴れの日も。

 教室の隅で下を向いて授業を受けていた大和の姿を思い返した。


 雨宮春風の体操服を探しにいこうと言った大和の顔。

 泥にまみれた巾着袋を見つけて、自分の顔まで泥だらけだった。

 羊毛に包まれた悲しそうなぬくぬく君。

 嘘をつくようになった、大和の心——


 なんだか全てが繋がっていくような、そんな気がした。


「別に俺らが、いじめてたわけでもないし、みんなでいじってたわけじゃないよな。ただ、相手にしてなかっただけというか……」


 自分を弁護するように話を続ける古屋が滑稽に見えた。だけど、僕だって、興味がなかったとはいえ、相手にしてなかったのは間違いない。


「——でもさ。こないだの碧陽祭のとき。あんなに笑ってた大和って、はじめて見たな……。あいつ、あんなふうに笑えるんだって…」

「ああ、俺も初めて見たかもしれない…」


 銀色の宇宙人は、みんなからはじめて必要とされたことが嬉しかったのだろうか。それとも——


「あ、アイツ、お前と仲良くなってから、すげー変わったよ。なんだか、憑き物が落ちたというか、クラスにも少しずつ溶け込みはじめてるよな。あと半年ちょっとしかないけど」

 古屋も大和のことを少しは気にかけてくれていたんだと思うと、ちょっとだけほっとした気分になった。

 アイスティーの残りをすすると、自然に笑みがこぼれた。


「まあ、これからも、アイツのことよろしく頼むぜ。なにせ遼は“宇宙人“だからな。地底人とかとも仲良くなれるだろ」

「おい、“宇宙人“だからって、宇宙人の大和を押し付けんなよ」

 空になったカップを持ち上げて、ストローを回している古屋の肩を冗談まじりに叩いた。


「そういえば、アイツ…」


 そろそろ富士山の西側の山肌が赤くそまっている。


「いろいろ、嘘ついていたけど、“宇宙人“とは言ったことなかったな…」

 古屋がぼそりとつぶやいた。

 頂には薄い笠雲がかかっている。

 明日は多分雨になる。

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