07.亡霊
◇
欠けた
数か月に一度起こる神秘的な夜空を、
少し無茶をして高層の窓から飛び下り、《ワイヤー》を使って巧みに着地したわけだが……。
(少し着地を失敗したかな……)
冷たい風がクラヴィスの肺を冷やした。
腰を下ろした草むらで、草のさやめく音がする。
小さく息を吐けば、ポケットに仕舞い込んでいた無線機からノイズがもれた。
『――ジジッz……クラヴィス、調子はどうだ?』
陽気な
女性の声に催促され、クラヴィスは、女性に事の成り行きを説明した。
事の発端は1年前、一人の女性に偶然遭遇したことがきっかけだった。
クラヴィスは反乱軍の兄貴分である「
2人は香ばしい匂いを発する屋台の前で立ち止まる。カウンターには焼き目のついた食べ物が陳列されていた。
ふと、隣に立つ亡霊の視線が何かを見つけ、クラヴィスは亡霊の視線を追いかけた。
そこには、明るい声の、ローズの香りを纏う赤毛の女性が立っていた。
隣には見覚えのある金髪の男が並んで歩いていた。
亡霊の瞳孔は大きく見開かれ、その女性を凝視する。獲物を狙う狩人の様な殺気をまとわせていた。
「
誰に向けて発したのか、ほとんど音にならない亡霊の言葉を、クラヴィスは聞き逃さなかった。
『それで?――わざわざ私に身分まで乞うて、國連に潜入する危険を犯し、リサ・ラグナウッドを追いかけまわしたはいいが、あげく逃したと? 言い訳はあるか。クラヴィス』
威圧的な女性の声が右手に握られた無線機から流れ出る。
「ええ、ええ、いい訳なんてありません。逃がした獲物は逃がしました」
わざとらしいクラヴィスのため息に、無線機の向こうの女性が笑った。
『ははは、その様子だと、ただ逃がしたわけではないんだな?』
「――それよりも面白い物を
『面白い物だと?』
クラヴィスは言葉を噛み締めた。
「ヨウ・エルディア。今支部に滞在しているようです……」
一瞬、女性が言葉につまる。
『……なるほど』
その間にクラヴィスは目をつむり、風の音に耳を澄ませた。
女性の声が一転し、わずかに柔らかい空気を含んだ。
『――ジジッz……ラヴィス。君があえて言及するということは……彼女だね?』
「はい、間違いないでしょう。――
無線機の奥で女性が喉を鳴らした。
『
クラヴィスは思わず自然な笑い声を立てた。
数週間前、突如入隊した
髪も目も
なぜ、誰の断りもなく支部に入隊したのか。そのときのクラヴィスには理解できなかった。
けれど、
クラヴィスは一人頭を振る。
「
無線機の奥で何かが壊れる音がした――雷でも落ちたのだろうか……。クラヴィスは仲間の無事を祈りながら女性の言葉を待った。
暫くして落ち着いたのか、衣擦れの音に続き、悪態をつく女性の声がノイズに混じる。
『ったく、なんて無茶苦茶な奴だ』
◇
爆弾魔騒動から一夜明けた國連支部には、穏やかな風が吹いていた。
9月30日午後4時。
後処理に追われる隊員が慌ただしく廊下を駆け抜けていく。
足早な人々が体を捻り通り過ぎる。ヨウはリサと共に、並んで支部の廊下を歩いていた。
「それで、ライアさんには何て報告を?」
リサが尋ねる。
「事実をそのまま。リサが勝手に転び、打ち所悪くて怪我したと……」
ヨウは昨日呼び出されたライアの個室を思い出した。
眉をよせ、鋭い視線でヨウの一挙一動を観察する上司。
普段温厚な琥珀の瞳は、ヨウの背筋を必要以上に強張らせた。
それでも、クラヴィスについて言及することはしなかった。
リサが「周りには知られたくない」と言ったからだ。
怪しいと思わないわけではない。それでも、ヨウとて反乱軍に所属する兄を追う身だ。つい、自分を重ねてしまったのかもしれない。
ヨウは手をひらひらと振り、ライアの面影を払拭する。
視線を戻すと、ヨウの皮肉に気が付いたのか、リサが軽く苦笑していた。
「そんな無鉄砲な話にライアさんが優しく頷いてくれるの? それに、ことがバレたらあなただって即クビよ? 正直に話したらよかったのに」
「いいんです、いいんです。元々私は、ライア首衛官を本部へお連れするために来ただけです。そもそも面倒ごとに付き合わせた首衛官が……」
ヨウがブツブツと答えていると、通りすがりの通行人に肩がぶつかった。
華奢なヨウの体は容易くよろめく。
「あ、すみません」
柔らかい声が頭上から降り、ツンとした草木の香りがする。
通行人の茶髪が視界をよぎった。
ふらついたヨウの体を、青年の丈夫な手が支えた。
ヨウは反射的にぶつかった青年の顔を見上げる。
――茶髪に茶色い瞳。知らない髪色、知らない視線。
それでも、その
冷水を浴びせられたように全身の筋肉が収縮した。
「ハ……」
出かけた少女の声に被せるように、青年が声を出した。
「大丈夫ですか? ぶつかってすみません」
意外にもおっとりとした口調だった――聞き覚えの無い声。
「え? あ、すみません。大丈夫です」
声が上ずった気がしたが、ヨウは努めて平静を装って笑顔を作った。なんとか気持ちを持ち直す。
(そうだよ。ハクがここにいるはずない……)
廊下の向こうから、知らない隊員が青年を呼んだ。青年が呼応する。
青年は軽く会釈をすると、背中を向け急いだ様子で廊下の向こうへ消えていった。
その背中を見送りながら、ヨウは浅く空気を吸い込んだ。
――RYCOLAS――
二節【亡霊】
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