第30話 透子さんのいない日々
私は、二十歳やそこらで死なせるために……自分で自分を殺させるために、きみを助けたんじゃない――
透子さんの、その台詞に対する違和感が、あれ以来、ずっと残り続けている。
きみを助けた――とくに引っかかるのは、この部分だ。
もしそれがこの一か月間の生活のことを指しているのなら、恩着せがましい、と感じてしまうのは変わらない。助け合ったのはお互いに、だ。僕が一方的に透子さんから助けられたわけじゃないし、もちろんその逆でもない。
だからこそ、引っかかる。透子さんがそんなことを言うだろうか、と。彼女らしくない、とも思う。この一か月で僕にしてくれたことを、彼女が「助けた」と捉えているとは、とても思えない。たぶんだけど、彼女が僕にしてくれたことは、彼女にとっては何でもないことだったはずだ。言い方を変えると、「助ける」というほどのものじゃなかったはずなのだ。
何か、ちがう。何かが食い違っている気がする。そしておそらく、まちがっているのは僕だ。
でも、それが何なのかがわからない。
確かめようもなかった。あれ以来、透子さんはこの家から姿を消してしまったからだ。
後悔はあった。あんな言い方しなくても良かったのに、とも思う。
ふだんは穏和なキャラを維持できても、ちょっと感情的になるとアレだ。我ながら呆れるほど人間力が低すぎる。
また透子さんと話しに来てもいいですか、と幸さんが言っていたことを思い出し、念のため連絡しておく。といっても連絡先を交換しているわけではないから、彼女のユーチューブチャンネルにコメントしておいた。
@キャラ
その節はどーもです。突然ですが透子さんちょっといなくなっちゃったので、今、
来られても彼女とは話せないです。いちおうご報告、取り急ぎでした
その晩、浦賀と会うことになった。連絡を入れたのは数日前だ。前回会った時から半月も経っていない。おまけにこちらからの連絡とあって、当然ながらとても驚いていた。
「マジでビビったわ。ほぼ初じゃね? おまえからの誘いなんて」
お互いの住まいから中間地点、というのは変わらないが、赤提灯系の居酒屋ではなく、べつの駅にあるホルモン焼き屋に入っていた。注文を済ませ、お互いにビールで乾杯するとぐいと呷り、浦賀はそんなことを言ってきた。
「そんなことはないだろ。何度かはあったよ」
とはいえ全体の二割に満たないていどだけど。
「で、どした」
「何が」
「俺の記憶が確かなら、おまえのほうから誘ってくる時は何かしら問題を抱えてる。そいつが
相場ってもんだぜ」
「なんかさっきの台詞と矛盾してるみたいだけど」
「馬鹿、あれは過剰表現ってやつだ」
今、問題を抱えているのは確かだ。そしてそのせいで、僕はずいぶん自棄になっていた。
「あのさ、変なこと言うかもしれないんだけど、俺、幽霊見えるんだよね」
「それガチで変な話じゃん」
浦賀は言って、げらげら笑う。そしてビールを呷った。
「信じる?」
「ああ。んで?」
「さらっと言ってるけど、ほんとうに信じたの? テキトーに言ってない?」
「ったく、おまえは……まだまだ友人である俺に対して理解が甘いんだな。思い返してみろよ、例のイリュージョンだってよ、たいていの奴はすんなり信じたりはしなかったぞ。俺だからだぜ、あんなに一瞬で信じて受け入れたのは」
なるほど思い返してみれば、確かにそうだ。「無の時」を、浦賀はまったく抵抗なく信じ、そしてイリュージョンという括りに入れた。
「仄杜町って、事情でだいぶ幽霊多くてさ……俺の家にも一人いたんだけど……ちょっとこのあいだ言い合いみたいになっちゃって、それが原因で出て行っちゃったんだよね」
「男? 女?」
「女の人」
「貞子的な感じ?」
「どちらかというと対極のベクトルみたいな……」
「とにかく明るい幽霊、か」
「芸人さんの名前みたいに言われても」
注文したホルモンが運ばれてきたので、僕はいったん黙る。男性店員さんが皿をテーブルに置いていくのを、ビールをちびちびやりながら眺めた。
「シマチョウにミノ、ハラミにヤゲンすねえ。ごゆっくりどうぞォ」と店員さんが去って行く。
店員が女だったらコレも注文してたんだけどな、と浦賀がメニュー表の「おっぱい」を指差してニヤケるのを、僕は呆れ交じりに眺める。
その軽侮のまなざしを意に介さず焼肉奉行の浦賀はトングでホルモンを網に乗せていく。
「……で? どーしたいんだよ、おまえは」
あっというまに網をホルモンで一杯にしてから労働のあとの一杯とばかりにビールを呷り、尋ねてきた。
「………………戻ってきてほしい」
それに尽きる。それ以上でもそれ以下でもない。
「方法はありそうなのか? その安村さん、じゃなくてとにかく明るい幽霊さんがどこにいるのか、当てとかあんのかよ?」
「透子さんね」これ以上おかしな名前で呼ばれるのも嫌なので、教えておく。「仄杜町から出ていないっていうのはわかってる。事情で、出られないから。でも町内のどこにいるかとなると、さっぱり……」
当てなどあるはずがなかった。そもそも透子さんは基本的には家にいることが多かったし、僕の買い物についてくることはあったけれど、外出はそのぐらいだ。わかるわけがない。
「仄杜町ってそんなに馬鹿っ広い町ってわけでもねーんだろ。そしておまえは幽霊が見えるんだろ。んで、行く当てはわからねーけど町から出てないのは確実ってんなら、ひたすら探し回るしかないんじゃねえの?」
もっともだ。
「……こんなあたりまえのことしか言ってやれなくて悪ぃけどよ」
「いや……じゅうぶんだよ」
途中、浦賀がトイレに立ったタイミングで、「ふくくるチャンネル」をチェック。
僕のコメントに返信があったので、メッセージを入れる。
〉1件の返信
@ふくくるチャンネル
え~~~マジですか! いつ帰ってきます!?
@キャラ
わかりません。すみません
まもなく浦賀が戻ってくる。彼が席に着いたのとほぼ時を同じくして、出勤してきたらしいバイトの女の子が厨房にむかって「おはようございまーす」と挨拶するのが聞こえてきた。
「あとでコレ頼むか」
浦賀がメニュー表の「おっぱい」を指差してニヤケる。
二時間ほどで、お開きとなる。前回の僕の注意喚起を気にしてかせずか、浦賀は今回、千鳥足気味になることはなかった。何よりなことだ、と思う。
@キャラ
わかりません。すみません
〉1件の返信
@ふくくるチャンネル
透子さんにもう会えないとかちょっとないんで探してきてもらっていいすか
@キャラ
寂しい。ほんと寂しいです。会いたい
そんなコメントができたのは、たぶん――いや、まちがいなく、お酒が入っていたからだ。素面ではとても無理だった。
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