第17話 最悪の再会だったが透子さんに救われる
「どうぞ、その点を踏まえ、お続けください」
「はい、その……俺、そういう現象のことは、『無の時』って、勝手に名付けてて……」
すると神薙清見が、今度は手のひらを向けて遮ってきた。
「正式名称でもない、勝手に命名された名称をおっしゃられる必要はございません。症状及び客観的事実のみをお伝えください」
「は、はい……すみません」
さすがに少しムッとはしたが、堪えて謝った。
「相談内容がまとまっていないようですので、こちらからお尋ねします。その症状はいつ頃からあったのでございましょう?」
「はっきりとは覚えてないんですけど……小学校に上がってまもなくだった気がします」
「では、発症後の継続時間に統一性はございますか」
「まちまちです……数分で終わることもあれば、一時間以上かかることも……」
「発症したきっかけに、何か身に覚えはございますか。あるいはご家族などから何かお聞きしていますか?」
そこで僕は、最近になって「もしや」と思い当たったことを伝えた。
「高熱で死にかけました」
「高熱で?」
「はい」
そのことに気づいたのは、ほんとうに最近のことだった。記憶にある限り、僕に「無の時」が初めて到来したのは、小学校に上がってまもなくの頃だった。遠足で、山に登った時のことだ。忘れもしない。
そして、あれは確か高熱で死にかけた時期の直後だったはずだから、時系列的には因果関係がある可能性も否定はできないはずだ。
そこでふと、思う――「無の時」だけじゃなく、幽霊が見えるようになったのも、ちょうどその頃からだったような、と。
「ただの高熱ではなくて、その……じつはその時、こちらで見て頂いたらしいんです。俺自身はあんまりよく覚えてないんですが、それで、悪霊に憑かれてるための高熱だってことがわかって……」
ああ、あなたひょっとして、あの時の――なんて、そんな展開を、まったく期待していなかったと言えば、嘘になる。
そして僕はそれに対して、あの時はありがとうございました、とお礼を言う。
フィクションみたいな展開だ、とは思う。そんなことあるわけないだろ、とも。
でもそれは、その根っこにあるのは、感謝の気持ちだった。
ひとことお礼を言いたいような気がしたから、自然な流れでそれができる展開を望み、そして期待していたのだろう。
でも、その陳腐な期待は、もののみごとに打ち砕かれることとなる。
「当方に悪霊駆除を依頼した、ということでしょうか」
「は、はい……そう、です」
「それで、高熱は収まったのですね?」
「はい……」
なおもキーボードを打ち続ける。
待つこと、約三十秒。
まもなくその手が、止まる。
キーボードを離れたその手が、彼女の正面で組まれた。
いくつかの指輪をはめた細くしなやかな指に、自然と目が行く。
彼女の視線は、まだパソコンの画面に向けられたままだ。
「結論から申し上げまして――」
一分ばかりの沈黙のあと、神薙清見が口を開いた。顎に手を当て、こちらを見る。
「伽羅様の身に発症した症例が、霊的要素の干渉を受けたがゆえのものだとは考えられません」
「え」
思わず、声が洩れた。
「それは……どうして」
「まず前提として、霊能力者協会において報告された事例に、伽羅様のおっしゃられたような症例は確認できません。幼少期における熱病、またそれをもたらしていた悪霊の存在ですが、時系列的な合一はただの偶然かと思われます」
「ぐう……ぜん」
「もしそれが悪霊によるものならば、当方における措置は失敗し、伽羅様の身に悪霊の一部が残留し続けているということです。しかしながら、今の伽羅様から霊的存在の憑依及び残留は一切感知できません。霊体残滓も確認できないようです。つまり双方の関連性は薄く、霊的障害の可能性はきわめて低いと断ぜられます」
「はい……」
はい、としか言いようがない。
「とはいえ、未確認の霊的障害が皆無とまでは言えません。あるいはウイルスのように、未知のものが新しく生まれる可能性の存在も否定するべきではないでしょう。わたくしは霊能力者としての感覚から霊的障害ではないと断ずるものですが、伽羅様がお望みでしたら、本格的な霊視による原因の炙り出しをおこなうことも可能です。こちらは霊能処置に当たるため費用が若干お高めに設定されており、また改めての予約が必要となりますが、いかがなさいますか」
なんだろう。なんなんだろう、この感じ。うまく言えない。
でも、もし敢えて言うなら――
言葉の通じない異星人と話しているような感覚。
いや言葉の通じない、じゃなくて、言語自体は共有できるのだけど、地球の価値観とは乖離した価値観を持つ異星人と話している感覚、とでも言うか……。
「いや、あの……結構です」
高ぶる感情を声に乗せないようにするのが精一杯だった。
「そうですか。それでは、本日のカウンセリングは以上を持ちまして終了となります」
神薙清見が事務的に言う。
呼吸が浅くなっているのがわかる。胸が、少し苦しかった。
勢いよく席を立ち、ものも言わずに踵を返すと部屋を出て行き、勢いよく叩き付けるようにしてドアを閉める――
そうしたいぐらいの気持ちだったが堪え、呼吸を整えつつ席を立つ。
「ありがとうございました」
彼女の目は見ずに言った。絞り出すようにして発せられたひとことだった。
「お大事になされてくださいまし」
彼女がどんな表情でそれを口にしたのかはわからない。
でもまあ、どうでもいいことだ。どうせパソコンのほうを向いたまま、おざなりに口にしたのだろう。
最悪の気分のまま会計を済ませて建物を出ると、こんな時に一番会いたくない奴がいた。
(よォ)
キサラギだ。噴水の花壇に、長い脚を組んで座る格好でいる。
「ついて来てたのかよ」
(その言い方は正確じゃない。おまえらの物理法則に俺を当てはめるなと言ったろ?)
「人と話したい気分じゃないんだ」
(俺もべつにおまえと話すつもりはねえさ。だが、一つだけ訊くぜ。あのクソババアにいったい何を期待してわざわざこんな場所まで出向いたんだ、おまえは)
不覚にも、キサラギに仲間意識のようなものを感じてしまう。
敵の敵は味方――いや、キサラギはべつに悪霊ではないのだから、この言い方は正しくないか。
でも、神薙清見をはっきり「クソババア」呼ばわりしてくれたことに、多少なりともスカッとしていたことは事実だった。
帰宅すると寝室には行かずにまっすぐ居間へ向かった。
透子さんはそこにいた。部屋の中ほどに、両足を伸ばして座っている――見慣れた、いつもの光景。それが、今までになく嬉しかった。
(おっかえりー。どこ行ってたのー?)
出かけることは伝えていたが、行き先までは教えてなかったのだった。
「大したところじゃないです」
(おやあ? 含みを持たせるねえ、少年。当ててみろって?)
「いやそうじゃないですけど……でも、ぜったい当たらないですよ」
(ふふふ……私の年の功を甘く見たらいかんぜよ)
不敵な笑み。没年がいつで今が実年齢いくつか知らないのに、年の功とか言われてもね。
(彼女との初デートがうまくいかなった! でしょ?)
人差し指を突きつけてきながら自信満々に言う透子さんに、僕はピッチャーから明後日の方向に投球されたキャッチャーのような気分を味わっていた。
僕ぐらいの年代の男が凹む理由としてはベタ過ぎるだろ、それ。
だからこそ逆に、見当外れもいいところだ。
「ちがい……ますね」
(え。ち、ちがう? そ、そう……。あ、わかった! 彼女じゃなくて、これから付き合おうとしてる女の子! だ。でしょう?)
「そこ重要じゃないです」
(じゃあ、初デートじゃなくて二回目!)
「それも重要じゃないです」
(三回目……とか?)
「だからそこ重要じゃないですってば」
言いながらも、僕はさっき神薙清見相手に味わわされていた憤懣が霧消して、もうそんなものどうだっていいや、ぐらいの気持ちになっていくのを感じていた。
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