ファンの心理 4

 この人の一言は静かな湖に竜巻を起こす勢いで波立たせる。あれがお気に入り、と言えばその商品が在庫切れになるくらい売れる。それを気遣ってくれた発言だろうなとわかった。俺から「ぜひ何かの機会で番組を紹介してください」と言えばやってくれるんだろうけど。俺は特にそれを望んでないからそれは言わなかった。普通は宣伝してくださいって言うもんだろうけど、いいや別に。風間さんがあえて「言うつもりはない」って気を使ってくれたから。


「声優さん?」

「違います」

「何か演技の勉強とかしたことあるのかなって思ったんだけど」

「……そう思った理由は?」

「役者として見ちゃうんだよね。君、絶対に人が聞き心地の良い喋り方と声のトーンわかっててやってるでしょ」


 まさかそこを見抜かれるとは。ただかっこいいだけで役者をやっているわけじゃない、この人は本物の役者なんだな。さっきの「いい声だと思った」っていうのはその辺のことを言ってたのか。


「他のパーソナリティーの方の喋り方とか一応一通り勉強してから収録に臨みました。その辺はウェブラジオ担当の部署で研修制度あったので」

「そっか」


 正直番組は女性にフォーカスしている。取り上げる内容としてまず男性アイドルは絶対。そして女性から共感の高い女性アイドルもたまに特集として取り入れる。だからアナウンサーの研修に使う抑揚の付け方やしゃべるスピードなど簡単な研修があった。聞いている人が聞きやすいように。そして自分が芸能人になったつもりでファンを作る心持ちでしゃべってほしい、それが先方からの望みでもあったからだ。

 それをラジオで聞いただけで見抜くとは。役者としての実力の高さにちょっとだけ驚く。この人の演技ちゃんと見たことないからな。


「お、その顔はちょっと俺に興味が湧いた?」

「よくわかりますね、確かに。すごい役者さんなんだなって思いました」

「ファンになっちゃった?」

「いえ全く」


 はっきり言うじゃん、とケラケラと笑う。すごい人だと思ったけど応援したいとかこれからドラマとかを見ようとかそういう気持ちは生まれない。するとそれを見越したかのように彼はこんなことを言ってきた。


「ドラマとか見ないタイプだろ。それでも俺の顔知っててくれたって事は一応聞いていい? 俺が今まで演じてきた中で何か印象に残ってるものってある? CMとか」

「お察しの通り何も見てきてないので。名前知ってるだけです」

「やっぱり? まだまだ俺も伸びしろがあるってことだな」


 そういうふうに捉えるんだ。自分を幸せにできる捉え方をする人なんだな。なんで見てないんだよとか、そういう風に考えない。


「何も見てないですけど。でもそうだな、確か昔八月の紫陽花ってドラマ主演だったんですよね?」

「懐かしいな、もう何年前だっけ。五、六年前か?」

「その中で風間さんが一番演じるのが難しかったワンシーン、今ここで演じてもらってもいいですか」

「うん?」

「心が震えたらファンになるかもしれません」


 少し沈黙が降りる。風間さんの顔を見ると思いのほか真剣な表情だった。どうやら役者のスイッチが入ったみたいだ。やれるもんならやってみろって意味じゃなかったんだけど。せっかくのオフだったのに悪い事したかな、と思っていると。


「君はアレだな、人の心をつかむのが上手いね」

「そうですか? 仕事でいろいろ学ばせてもらったからかもしれません」

「天性のものもあると思うけど。それは置いといて、セリフか。恋愛ドラマだから口説くセリフとかが頭にポンポン浮かんでくるな」

「別にそれでもいいですよ」

「いや~、壁に耳あり障子に目あり、てね。どこの誰が盗撮してるか分からない状態でそれやっちゃうとさ。動画にあげられて切り抜きの短いやつで拡散されてえらいことになりそうだからやめとく」


 芸能人も大変だな。常に監視されてると思って生きていかなきゃいけない。そのわりに個室がある店じゃなく、人目につきそうな普通の居酒屋とかに飲みに来るのか。店の人と仲良さそうな会話だったから昔からの常連ってところか。


「一番ムズかったセリフ、な。じゃあすごくなんでもないセリフだけど、俺が三日ぐらい頭悩ませたセリフにするか」

「お願いします」


 普通のセリフっていうのが案外難しいもんなのか。そりや恋愛だと嫉妬とか愛を囁くとか、感情を乗せればそれっぽく見えるからな。日常の会話のシーンの方が棒読みにならないように大変なのかもしれない。

 風間さんはビール瓶を地面におくと俺の真横に立った。特にこうしてくれという指示がないので俺もそのまま突っ立っている。


「紫陽花嫌いなんです」


 たった一言、ただそれだけだ。でもなんだろう、すごく奇妙な感覚だ。

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