ファンの心理 2

 二年前の記事であなたの推し活はなんですかという、今俺たちがやっている企画と似たようなものだ。その中には最低五十万以上使うのがファンの証だとか、プライベートをつけ回してSNSにあげまくるというストーカー行為のようなものも含まれていた。


「六年前の東風晴海殺人事件。ファンとって衝撃的だったしアイドル活動自粛っていう芸能界に大きな痛手となったわけだけど。一部ではこんな考えも出始めちゃったんだよね」


 画面をスクロールして書かれているそこには。



殺していいんだ。

やっぱりそうだよね、死んで欲しいよねうざいやつ。

自分で殺すのはやだな、誰か殺してくれないかな。

でもさぁ。推しのためになることは、全部推し活に入るんじゃない?



「ジョン・ レノンは何で死んだのか知らないんだろうねこの子たち」

「世代的にジョン ・レノンって誰だよって話になりそうですからね。……この辺になってくるともう心理学の世界じゃないですか」

「何も知らないからこそ改めて六年前の事件を調べてみるのもいいかなって思ったの。当時は本当に情報過多でフェイクも多かったから」

「企画を進めるにあたって形から入るってことですか?」

「過激な内容が多くて悩んでたみたいだから。スルー術を学ぶって意味でね。別に犯人は誰か探せって言ってるわけじゃないよ」

「さすがに無理ですよ。安楽椅子の探偵じゃないんですから」


 そう言いながらも明石さんの言う「何も知らないからこそ調べてみる」というのは面白いなと思った。確かに俺は何も知らない。自分の好きなものを優先させるためならどんなことでもやるという心理。この辺をちょっとかじってみるか、と思った。


「ちょっとやってみますね」

「強制じゃないからね?」

「わかってます。少し興味わいたので」

「事件に?」

「いえ、ファンの真理ってやつに」


 俺には全く理解できない真理だからな。


 仕事の休憩中に軽く調べただけでも出るわ出るわ、信憑性の少ない記事。その中で一つだけ気になったものがあった。それは殺された東風晴海が見つかった場所が紫陽花が咲いているところだったことについて触れていた。見頃は終わりを迎えて大分色あせた紫陽花。ドラマの主演になっていたであろう「八月の紫陽花」を示していると、当時はテレビがこぞってその辺の特集を組んでいたらしい。ストーカー気質のファンか他のアイドルファンの逆恨みによる犯行ではという、全チャンネルほぼ同じ事ばかり言っていたみたいだ。


「東風晴海ってほぼ間違いなくドラマの主演だったんですよね?」

「八月の紫陽花ね、そうそう。遺体が見つかった場所は紫陽花のすぐ近くでさ。一つの噂が立ってめちゃくちゃ掲示板が盛り上がっちゃったんだ」

「何があったんですか?」

「紫陽花の花の色って地面のpHで変わるっていうでしょ。その近くに住んでる人たちの写真があがってね。そこの紫陽花は昔赤かったんだけど事件があった時青だったみたい。萎れてきてたけど、そこははっきり写ってた」

「死体で土壌のpHが変わった、って?」


 流石に無理があり過ぎないか、土に血がかかったくらいでpH変わらないだろうに。


「もちろんそこで見つかったのは頭だけ。時間も足りなさすぎるしそれだけじゃ変わらないでしょ。それに日本の土は酸性が多いから、雨とか時間の流れとともに自然に変わったのかもしれないし。紫陽花の色を変える肥料だって売ってる」

「わざわざ花の色が変わったところに死体遺棄したなら、突発的な犯行じゃなくてかなり計画的な事件だったってことですか」

「そういう意見もあったけどね。盛り上がっちゃったのは猟奇的な部分とか、オカルトホラーを楽しんでいる人たちの悪ノリ。何かの生贄に捧げられたんじゃないかとか、そりゃもうひどい状態でさ」


 その話をしながらとりあえず今日の業務はもうすぐ終わりだ。明石さんは作業するようなので俺は定時で上がらせてもらう。部屋を出たときにちょうど人事総務の人がお菓子を配りに来た。部長が出張のお土産をたくさん買ってきてくれたのだそうだ。


「いる人で食べちゃってほしいから、賞味期限短いの選んだそうです」


 見れば賞味期限は明後日まで、確かにこれはいる人で食べてしまった方が良い。人数分買ってもダイエットしてるとか甘いものが好きじゃないとかで残るのだそうだ。俺と明石さんで二つかな、と思って二つ取ると総務の人はもう三つとっていいですよと言ってきた。どうやら添田さんの分を言っているらしい。


「今日添田さん休みなので」


 そう言うとその人はそうなんですか? と驚いていた。


 次の日はちょうど休みだったので少し調べてみた。ネットの情報は明石さんの言った通り何が真実かわからないものから、ライターの書いた個人的な意見などどうでもいいようなものが多すぎて参考にならない。

 きちんと編集者が取材をして校正をしている雑誌や当時の新聞などを漁った。それを読んでも当然ファンの心理なんてわかるわけない。そう考えると一つ明石さんに聞いてみたいことができた。大人として、冷静にその辺の線引きができている人だからこそ聞いてみたい。


 あなたは推しのために人を傷つけてやるという心理になりますか?


 いや違うな、こうかな。


 どんなことがあったら推しのために人を傷つけようと思いますか?


 誰だってマイナスの感情はある。でも犯罪行為に走る前に必ず思いとどまるのが人間というものだ。それでも一歩踏み出してしまうのならそれには絶対に大きな力が働くはずだ。自分一人の決断力じゃない。外からの力、外部の何らかの影響。


 連絡先はアプリを入れてるから知ってる。でも仕事用でしか使ったことがない。明日出勤したら聞けるからいいか、と連絡しなかった。しかしそれは永遠に叶わなくなった。その日の夕方に警察が連絡をしてきたのだ。


「明石成美さんが亡くなりました。事件事故両面で捜査をしているので少しお話を伺いたいんですが」


 死んだ。それがあまり現実味がなくて、「はあ?」と言ってしまった。警察はそういう反応に慣れているらしく一度落ち着いたら連絡をくださいと言って電話を切った。

 取り調べというわけではなく本当におかしなことがなかったかの聞き取りだった。なんでも人気のない路地に血を流して倒れていたそうだ。死亡推定時刻の割り出しや、亡くなっていた場所周辺の監視カメラは今チェックしているらしい。


 あまり詳しい状況は言えないが、事件の可能性の方が高いということだった。可能性が高いというよりおそらく殺人事件なのだろう。最後に会話をしたのはいつか、どんな内容だったか、何かおかしな事はなかったか、悩んでいるような事はなかったか、あなたはその時間何をしていたか。いろいろ聞かれたが、俺は職場では職場だけの付き合いを徹しているのでプライベートの事は何もわからないと正直に話した。


 六年前のアイドル殺人事件について話した事は伝えなかった。本能的にブレーキがかかった、今これを話すと後々面倒なことになるという予感がしたからだ。

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