第4話 スマホの用途はもちろん……(1)

「あんたもスマホ買いに行けば?」

「え?」


 休日の朝、連日のバイトの疲労を癒すため、少し遅い時間に起きる。


 バターを塗った食パンのみという到底、優雅な朝食とは程遠い時間を楽しんでいるところに、台所で皿を洗う母から、我が家では聞くことのない単語が聞こえて、目が覚める。


 うちの家庭環境はというと、まあ、そこそこ貧乏って感じだ。病気で早くに父を亡くした俺たちは、女手一つで育ててもらった。


 色々な形で国から支援があるので、実際のところ想像よりは余裕はある。しかし、それもまあ想像よりはと言う程度である。


 そんな環境で育った俺は、なるべく不要なものは買わず。要するにスマホ程度の必要性なら切り捨てて、貴重な学生時代をバイトに費やしていた。


 ちなみに先ほど、"俺たち"と言ったのには理由がある。簡単なことで、一つ下の妹がいるからだ。ご苦労なことで、陸上部の活動で早朝から練習に勤しんでいるらしい。


「どうしたの急に?」

「実はね、その……」


 妙に煮え切らない母。直言の権化、会話の際には、脊髄しか機能していないような人が、そんな態度を取るなんてと不思議に思っていると……


「その……真剣に再婚を検討してるの」

「おー! おめでたい!」

「おめでたいって……あんたはいいの?」

「何が?」

「何がって、あんたからしたら、知らない男が家族になるのよ?」

「前に会った人でしょ?」

「そう、職場の同僚ね」

「なら、問題ないと思う」


 確か名前は、志垣しがき惣十郎そうじゅうろうさん。やけに硬派な名前だが、その名の通りな見た目をしていた。黒髪オールバックに、広い肩幅。前回会ったときは、仕事帰りだったからか着ていたスーツが苦しそうに息をしていた記憶がある。


「なんで断言できんのよ」

「なんでって言われても……」


 はじめはそのあまりの強面っぷりに俺もビビっていたとも。しかし、実際は物腰も柔らかく、気も利く。あんないい男、よく捕まえられたなと素直に感心した。


 ただ、のろけを聞かせるのはやめてくれ。誰が嬉しくて実母の可愛いところなんて聞きたいか。


「……で、それがどうしてスマホの話に?」

「ほら、今までずっと我慢させてたし、高校生でスマホを持っていないって不便でしょ?」

「そんなこともないけどな」

「それに彼があんた達に会いに行けてない埋め合わせをしたいって」

「気を遣わなくてもいいのに……」


 そこまでいくと申し訳なさを感じてしまう。だからといって、断るのも違うような……今度会ったときにきちんとお礼を言っておこう。


「とりあえず、ご厚意には甘えさせていただきます。それと母さん――」

「んー? なにー?」

「いつもありがとう」


 照れくさい言葉だが、これを言えないぐらい薄情には育たなかったらしい。息子さんは立派に育ったことを、ここにご報告させていただきます。


「はいはい、こちらこそ」


 あきれた口調の母さんであったが、その夜に俺の好物のハンバーグが出てくるあたり、嫌いじゃない。


 ***


「というわけでスマホを買ったんだが」

「使い方がわからないと」

「そゆこと」


 バイトの休憩中、エプロン姿で癖毛のだらしなさそうな青年と、放課後にもかかわらず制服を着崩すことなどしない美少女が、薄型の金属板を机の中央に置いて話す奇妙な構図。


 ワンポイントのさくらんぼを脇にどかし、カラメルで輝くプリンを小さな口で食べながら話を聞く九重寺が思い立ったようにスプーンをこちらに向ける。


「はい、あーん」

「そ、それ苦手なんだけど……」

「? じっと見てるから食べたいのかと」

「い、いや、そういうわけではなく……」


 一緒に登校しようと切り出してから、カップルらしいことができていないことを俺が不満に思っていると考えたのか、最近こういった、"らしい"行為が増えた気がする。嬉しいことではあるが、思春期には刺激が強い。


「とりあえず、連絡先を交換しませんか?」

「確かに」


 そう言われてスマホを開く。小さな画面の中に、正方形に押し込められたアイコンの並びを見て、路頭に迷う。


「すまん、九重寺。LINEとかってどこにあるんだ?」

「ダウンロードしないとないですよ」

「ダ、ダウンロード……」


 人生で一度もしたことない行為に面を食らう。ダウンロードってなんだ? そもそも、どこでアプリをダウンロードできるんだ?


「よければですが、必要そうなアプリを入れておきましょうか?」

「お願いします」

「承りました」


 わなわなとしていると、対岸から助け船が来た。下手な触り方をしたら折れてしまうのではないかと思うような細い指で、俺のスマホを操作する彼女。


「はい、完了です」

「ありがとう、九重寺」

「はい」

「?」


 スマホを返却し、何がこの小さな板に詰め込まれたのかを確認しようとしたら、突然、ずいっと、頭を俺に向かって突き出してきた彼女。


「頭ぐらい撫でてくれてもいいんですよ?」

「バ、バイト中だから!」

「ちぇ〜」


 イタズラが成功した猫のように笑う彼女に、真っ赤になった顔で勘弁してくれと言わんばかりに頭を抱える俺。ありきたりに、しかし確かに、もう戻ることのできない日常の一幕を想い、笑った。


 ***


 その後、友人から電話がかかってきたと九重寺が一度店の外に出た。手持ち無沙汰になり、そろそろ業務に戻ろうと席を立つ。


「軽見くん」


 それとほぼ同時に、マスターに声をかけられる。いつもは朗らかとした雰囲気である彼が、妙に真剣な面持ちで口を開く。


「孫には、気をつけたまえよ」

「? は、はい」


 その時の俺は、なんのことか理解できずに空返事だけして、その場を済ました。

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