カウントダウン2

   一 下準備が始まる

 午前九時。

 ウェイ、エンドビス、アレノア三兄弟を含む四十五名は、ミスリテール郊外の丘に集団転移した。

 転移直後の空気は、まだ湿り気を帯びた朝の冷気を含んでいる。地表から立ちのぼる白い靄が、丘の輪郭を溶かしていた。

 遠く、崩れた塔の影を縫うように風が流れ、その先で黒く沈むミスリテールの街が息を潜めている。

 ここでコタルとコリネと合流する手筈だった。

 しかし二人は現れない。

 五分、十分、二十分──焦燥は熱を帯び、やがて不安が暴力の形をとりはじめた。

 怒声が響き、砂が蹴り上げられる。

 その瞬間、空気が変わった。

 風の流れが一瞬で反転する。

 湿度が下がり、音が遠のく。

 丘の斜面に淡い線が走り、光が凝結して少年の輪郭を形取った。

 宙に立つコタル。

 コタル───

 まるで透明な水面の上を歩くように、彼はゆっくりと降りてくる。

 次の瞬間、地を切り裂くような風が走った。

 その後ろを、幼い少年───コリネが駆けてくる。

 足音は薄く、影すら残さない。

 重力の方向が変わっている──そうとしか思えない速度。

 彼の身体は、地を蹴るのではなく、地面と並行に“落下”しながら前進している。

 誰かが呟いた。「───ありえない」

 誰もが息を呑んだ。

 ウェイが一歩前へ出る。

「───二人とも。この二日で、どれだけ成長したんだ」

 声は震えていた。

 誇らしさと、恐れが混ざっていた。

 コタルは答えなかった。

 ただ、その目を向けた。

 どこか遠いものを見るような、透明な瞳。どこか淋しそうで、どこか達観しているような目つきだった。

 かつて好奇心の光で満ちていた少年の熱い目は、いまや冷たい氷の雨粒のように静かだった。

「───驚いたな」

 ハネカルの魔術師が低く言った。

「瞑想状態の常中か───しかも普通の瞑想ではない。自らを無にしてるのではない。自らを氷と化している」

 コタルのその眼差しに思わずざわめきが止む。

 息すら凍るような静寂の中、コタルが口を開いた。

「──みなさん。遅れてすみません。

 これから───よろしくお願いします」

 その声は澄んでいた。

 氷の結晶が触れ合うような響きだった。

 音が空気を通り抜け、誰もが一瞬、言葉を失った。

 

 「全員、作業に移れ」サスタリの冷静な声が場に響いた。

 その声で時が再び動き出す。

 「まず最初に戦場の地図の作成を行う」

 

 と老技師リュファと工匠アルトナの方を向く。

 「千里眼の彼女をミスリテール上空に旋回させる。そのための静音機構の気球を設計し、作製・稼働まで15分でできるか」

 二人は頷く。

 「材料の合成、精製についてはハネカルの魔術師の協力を仰ぐように」

 「了解」とリュファが言い、アルトナが早くも設計図を書き始めた。

 彼の指先が宙に触れるたび、光の線が浮かび、浮遊する設計図が構築されていく。

 「浮力源は熱。膨張音は逆位相をぶつけて打ち消す」アルトナが言う。

 「素材は?」

 「ミスリテール地下層の廃棄触媒を再構成して使う。強度は落ちるが、認識されにくい」

 ハネカルの魔術師が頷き、掌に青白い粒子を集めはじめた。


 サスタリは立ち上がり、ミスリテールを一望した。


 「───魔術は、科学から派生した技術だ」

 ふとサスタリが呟いた。

 「それを信仰や才能の産物と思っている者が多いが、それは違う。

 観測、解析、再現───この三つが揃ったとき、人はその法則を魔の法則、“魔法”と呼ぶようになっただけだ」

 彼の声は、風に乗って周囲の耳に届く。

 「自分たちが起こしているのは、奇跡ではない。精密な科学の延長線上。

 ゆえに、失敗は許されない。誤差は命を奪う」

 そう言うと、再び地平線へ視線を戻した。



 陽光は高く、風は乾いている。

 かつて繁栄した大都市アトランティス最大の都──ミスリテール。

 今はまったく人の影がない。避難完了した街は、まるで息を潜める巨大な亡骸のように沈黙している。

 いや、むしろ骸そのものだと言っても過言ではないかもしれない。七つの環を再建するためにランビス皇帝が費やした資源は計り知れず、この数日でミスリテールの大地は黒く腐っていたのだ。重たい腐敗臭がサスタリの方まで流されてくる。

 その中心、ミスリテール川の向こうに巨大な七角形の城塞が出来上がっていた。

 各方向を隙なく監視しているその黒い尖塔は、戦争が今にも始まることを告げていた。

 

 「司令気球が完成しました」

 「了解、ではヴァルテ、君の幻術をかけて認識出来ないようにする」

 「───分かりました」幻術師は眠たそうに言った。

 工匠アルトナがリュファと最終確認をしている。

 「エンジン、始動」アルトナが言う。

 気球が超高速で膨らみ始める。この調子なら膨らみ終わるまで三十秒とかからないだろう。と幻術が掛けられ、気球が見えなくなった。

 しかしリュファにはわかるらしい。職人の感覚というものなのだろうか。

 「司令、もう搭乗可能です」リュファが言う。

 「スオル、千里眼の忌み子に視覚を共有し、コーネルと協力してミリ単位で座標を取れ。風向き、空気密度、重力、磁場を書き込んだ3D地図を作成する」

 スオルが頷く。そっと千里眼の忌み子の瞼に触れ、何か呪文を唱える。

 

 千里眼の忌み子が気球に乗り込んだ。

 その姿は気球に乗り込んだ瞬間に透明に透けて、認識できなくなる。

 'それ'を見ようとしても空気のゆらめきのようなものがあるだけだった。

 姿はすぐに気流の揺らぎの中へと消えた。

 

 スオルとコーネルが忙しなく動き始める。

 「大雑把でもいい。街の全体像を把握するまでどれくらいかかる」サスタリは訊く。

 「詳細な地図があと三分でできます」工匠アルトナが答える。

 「───?」まさかそんなに早くできるのか?

 「あの娘の目はきっとレーダーか何かですよ、恐ろしい速さで全てをスキャ───観ている」

 ───本当にその通りだった

 二人は驚異的な速さで地図を作成していた。目を閉じ、両手を広げて指先から魔力を放出して3D地図を作成している。

 次第に顕になってゆく街の地図は、実際に今目の前にしている街のそのままのミニチュア版のように正確だった。

 建物の傾斜ぐあい、道路の割れ目、地下水道の走り方、風の流れ。全てをそのまま地図に起こしている。

 まるで街そのものの魂が、光の骨格として再構築されていくかのようだった。


 風が吹いた。

 光の地図が完成した。

 ミスリテールは、無数の線と点の集合体として、完全に白い狐の掌の中に収まった。

 

 サスタリは手元の光地図を指でなぞった。点と線、矢印、風の流れ、建物の高さ、日陰の伸び──すべてが彼の頭脳で瞬時に演算されている。丘の上の群れがざわつく中、声音は静かだが、深く確信に満ちていた。

 「座標587.52, 254.84地点の灰色の塔───かつてはランビス皇帝の軍事塔だった───に、司令部を設置する。利点は三つ───電波の遮断、水源の確保、そして塔そのものが観測、防御の中枢となり得る点。───しかし問題がある。エンドビスとコタルには追跡用の粒子体が付けられている。市内に入った瞬間に居場情報をランビスに送信される。特にエンドビスは司令部の要だ。そのまま彼を連れていく訳にはいかない」 

 周囲がざわめく。

 「外界との電磁的接続をすべて遮断する電磁シールドを作成する」

 アルトナが眉を顰める。

 「そんなもの存在するのか?」

 「創ればいい」

 サスタリの短い一言に誰も反論出来なかった。

 「ハネカルの魔術師、君に新たな課題を課す。金属結晶格子を再構成し、電子軌道を高密度化した新たな高密度な金属を創り出せ。それでエンドビスを囲う金属の箱を作る」

 「既存の金属では通り抜けられる可能性があるということか───おもしろい」孤高の数学者がにんまりと笑う。

 「───魔術は科学の派生。ならば、それは理の延長線上にある、というわけだな」ハネカルの魔術師が頷く。

 魔術師の唇がわずかに歪む。

 「面白い。やってみる価値はありそうだ。だが、精製に時間がかかる」

 「二十分以内に終わらせろ」

 「シタル、出来上がった箱に雷を落とせ。金属表面をプラズマ化し、内部の電磁構造を乱せ。信号はそれで撹乱できる」

 「了解」シタルは簡潔に答える。

 サスタリは続けて命令を出す。

 「塔の中に五十二人全員は入らない。効率も悪い。そのため我々は二つに分かれる。司令部班とハネカルのみを塔に移す。他の戦闘員はここで命令を待つように。各班を繋ぐ伝令役はコリネに任せる」

 「了解した」口の端を持ち上げて、ザハルが呟く。

 「コタル、塔までの滑走路を氷で作成せよ。幻術師ヴァルテ、光の反射する氷に認識阻害魔術を掛けよ」サスタリが矢継ぎ早に命令を出す。

 「水源が無いため空気中の水蒸気を凝縮します。そのため強度が比較的弱くなります。それでもよいですか?」

 「移動する八人が降りれたら問題ない」

 「了解です」

 コタルは目を瞑り両の手をかざして集中を始めた。

 〈───大気中の水───

  ───今ここに───

  ───集え───

  ───冷えて固まり───

  ───形を成せ───

  ───ミルセリア───〉

 一瞬の出来事だった。空気が固まり、形を成していく。

 そして幻術師の術も一瞬だった。氷の滑走路は薄い膜のようなものに覆われ、背景に溶けて幻となってゆく。

 丘からなだらかに傾斜した氷の道の先には、灰色の塔が立っていた。


  二 司令部設置

 数分後───

 サスタリ、エンドビス、孤高の数学者、スオルとコーネル、さすらいの仙人の司令部とハネカルの魔術師とコリネの計八人は氷の滑走路を降りて塔の内部に侵入していた。今にも崩れそうな階段をエンドビスの入った箱を担いで、急いで最上階までのぼる。地上約三十m、ミスリテールの市内を三百六十度見渡せるこの塔は、かつては軍事的な目的を持って建てられた。ハッキングを防ぐため、密度の高い合成石材建築で作られている。

 ───粒子体の電波を遮断するには持ってこいの建物だ。

 最上階に着くと、空間は意外なほど広かった。

 窓はある───が、そこから外を覗くことは許されない。

 「全て封鎖する。ハネカルの魔術師、出来るか」

 「お易い御用だ」そう言うと彼は掌を窓に向けた。一瞬にして窓が最初から無かったかのように消えた。窓があったところには───塔の壁と完全に同質で継ぎ目のない壁があった。 

 彼は全ての窓の封鎖をわずか十五秒で終わらせた。

 光が落ち、闇が塔の最上階を満たす。

空気が一瞬、静止した。

そして───掌の上に小さな光が灯る。

ハネカルの魔術師が光の球体を創り出し、暗闇の中に明かりを生み出した。

 ハネカルの魔術師が光の球体を創り出し、光源を作ったのだ。

 「エンドビスを箱から出してやれ」

 サスタリは言った。

 すぐにスオルが動く。

 「ぷはーっ、ありがとう。危なく死ぬところだったじゃないか」エンドビスは軽口を叩きながらも感謝している。

 「さて、窓を封鎖したので外気との循環が途絶えたな」サスタリが切り出す。

 「いずれ酸素が薄くなる」

 彼は言う。

 「ハネカルの魔術師、酸素は作り出せるか」彼は首を振った。

 「無理だ」

 「では風魔術で塔内部の空気を常に循環させるようにできるか」

 「それならできる」

 彼は頷きそれでは、と言って塔の要所要所に魔術をかけてゆく。すぐに微弱な風が塔内を移動し始めた。

 「ハネカルの魔術師、ご苦労だった」

 サスタリは言う。

 「次の命令だ。丘に戻り他の戦闘員と共に命令を待て」

 「了解」

 「機動性を重視し氷の滑走路を使用する。コリネは滑走路の重力軸を一時的に傾け、魔術師を戦闘員の待機場所まで送り届けること」

 

 コリネは魔術師を送るために塔の下まで降りていった。


 


  三 裏切り者

 サスタリ司令ら八名が塔へと姿を消した直後、コタルたち丘の戦闘員には一時的な静寂が訪れた。


 「───やったな。やっと落ち着いた」

 誰かが息を吐いたその瞬間、空気が微かに軋んだような気がした。


 ヨルテが異変に気づいたのはその直後だった。

 耳には何の音も届かない。しかし空気中には違和感のある振動があった。

 電気の波。それも意図して隠された通信波だ。

 ───誰かが、外に連絡を取ろうとしている───

 ヨルテははっとして後ろに視線を向けた。

 暗器使いのメネが黒い数珠を取り出していた。口の近くへと持ってゆく。

 ヨルテが地を蹴ろうとしたその瞬間、シタルの雷がその手首に飛んだ。

 数珠が土の上に散らばり、音もなく砕けた。

 割れた珠の断面から、黒い煙のような光が立ち上る──それは空に昇りかけて消えた。

 「───もう一人」

 ヨルテが振り向くとメルベルも同じ数珠を取り出していた。

 ヨルテの短剣がその数珠を切り裂く。

 砂が渦巻き、数珠が弾かれて宙を舞う。

 メルベルの目が見開かれた。

 「バレてたのか───!」

 山賊トラグの縄が宙を舞い、二人は身動きが取れなくなる。

 「最初からおかしかったんだよ、テメーら。こんなことになるくらいなら殺しときゃ良かったなぁ」酒を帯びた彼の声は恐ろしい。

 そのとき、シタルが静かにしゃがみ込み、砕けた数珠の欠片を拾い上げた。欠片の表面に、皇室の紋章が小さく、しかし明瞭に刻まれているのを見て、彼の口元に薄い線が走った。

 「皇室仕立てか───ランビスの差し金だな」

 集まった者たちの顔が一斉に硬くなる。スパイの存在は想定の範囲内にあったが、皇室直結の道具であると分かれば話は別だ。司令部の位置が洩れれば、全てが破滅に向かう。

 「おおかた司令部の場所を伝えようとしていたんだろう。あ?そうなんだろう?どーする、殺すか?」トラグは語気荒い。

 「殺したらいけない」シタルは言う。

 「命は逝ったら二度と帰っては来ない。だが心は何度でも帰ってくる」

 「だからなんだってんだ。このまま生かしとけってのか?」

 トラグは鼻で笑った。だがシタルの瞳は変わらなかった。雷の魔術師の言葉は理詰めであり、残酷さを含んでいる。死んだ者からは情報が引き出せない。生かすことは情報の源を残しておくことにもなる。

 「その通り」シタルは薄く笑う。

 「死人は有効活用出来ない。生き人は有効活用できる」その言葉はトラグの言葉よりも冷たく、恐ろしかった。

 「情報を吐かせろ」

 幻術師のヴァルテが自ら名乗り出た。

 「僕以外に適任はいないでしょう。僕がやるしかない」

 彼は半ば眠たげな目をして前に出る。恭しく一礼するその所作は、どこか演劇のようだが、その目の奥には狡猾が潜んでいる。

 彼は尋問の手順をよく知っている。幻術は情報の被膜を剥がし、記憶の断片を露わにしてゆく。

 

 ヴァルテはゆっくりと手を広げ、空気に淡い紋様を描いた。

 周囲の人間は無言でその術式を見守る。

 術式は視覚、聴覚、嗅覚に訴える幻像を作り出すが、ヴァルテの目的は見せることではない。

 彼は囚われた二人の内部にそっと入り込み、感覚の扉を軽く叩いた。

 「お前ら、ランビスに仕えるのか?」ヴァルテは言葉を投げる。声そのものが術となり、問いかけはまるで指先で触れるように被疑者の記憶に触れる。

 メネは顔を歪め、目を泳がせる。緊張で唇が震える。

 メルベルは大きく息を吸うが、黙っている。

 二人とも下っ端だと、最初の光景で誰もが感じていた。

 ヴァルテは穏やかな表情で、しかし粘り強く問いを続ける。

 彼は幻影の小部屋をつくり、そこへ二人を置く。

 そこでは時の流れが緩やかになり、記憶が剥がれやすくなる。

 メネの夢幻の中で、同僚の影が現れる。

 命令、得体の知れない黒い玉、秘密の軌道。だが彼女が知るのは

 「司令部の位置を確認せよ」

 「卵の周辺を監視」

 「黒い珠で連絡を取れ」

 といった断片に過ぎない。

 高位の命令やモネリの正体、因座の構造といった核心部分は、彼女の知るところではなかった。

 メルベルも同様だ。

 彼が口にするのは、細かな巡回経路、合図の色、連絡が取れない時の退避手順のみ。

 彼は慌て、しかし確信がない。

 ヴァルテは彼の限界を感じ取ると、彼を更に問い詰めることを止めた。下っ端が知る情報は役に立たない。 

 ヴァルテは手を払うようにして幻術を解除すると、二人は現実へと引き戻された。

 メネは膝をつき、嗚咽のような息を吐く。

 メルベルは目を泳がせ、何かを探すように周囲を見回す。

 二人は重心を失った小さな獣のようだ。

 シタルは冷徹に判断を下した。彼の提案は平易で容赦がない。

 「奴らを皆の足手まといにしてはいけない。けれど、放っておけば皇帝に連絡を送られる。最善は───丘の上に縛り付け、置いていくこと。そこなら戻ってこれまい。かつ、通信機は破壊済み、外と繋がる手段は無い」

 トラグが唸る。

 「そのまま置き去りかよ。生かして放置ってのは残酷だな」

シタルは肩をすくめる。

 「残酷ではない。合理だ。生かしておけば、彼らには“帰る術”がないことを思い知る。恐怖は時に血よりも雄弁だ。だが、完全に殺す必要はない。生きていれば我々は情報源として使えるし、皇帝と即座に繋がる道具は断たれている。彼らをここに置く理由はそれだけだ」

 集団の中に、短い沈黙が落ちる。

 やがて、誰も異を唱えなかった。裁定は出たのだ。

 

   四 塔の網

 塔内部───静寂が厚く沈んでいた。

外の鉄の空の下でまだ戦は鐘を鳴らしていない。だが、空気の端々にはすでに戦の予感が滲んでいる。塔の壁は高密度合成石材で出来ており、音も電波も熱も、そこへ届こうとするものの多くを吸い込んでしまう。壁に寄せられた光は、内側から来るもののみが存在を許されるかのように淡く反射した。

 サスタリは光地図を胸前に浮かべ、指先で微小な点線をなぞる。点は道路、線は風の流れ、矢印は人の動線──彼の思考速度で数値が変換され、頭の中で立体的な地図が組み上がっていく。塔の外側に立つ一群は、彼の計算を頼りに動いている。だがいま優先されるのは伝令経路である。

 「まず最初にコリネとの通信方法を確立させる。コリネは司令部からの通信を受信し、戦場を駆けて戦闘員に命令を伝達する」サスタリは言った。

 「ニュートリノ通信を使う。この塔の電波を通さない壁も透過し、かつ時差がほとんどない」

 「理論上はな」孤高の数学者が難しい顔をする。

 「だがそれはアトランティスが栄華を極めていた千万年前の話。現代の我々には実現不可能だ」

 「いや、出来る。僕の"目"は通っている」

 スオルは目を閉じ、指先を軽く鳴らした。

 暗闇に、外の空を旋回する“忌み子”の視界が断片的に浮かぶ。塔の壁を透過してもなお届く映像は、青白い粒子のように瞬いた。

 「千里眼の忌み子は今、気球でミスリテール上空を旋回している。彼女の網膜が捉えた視覚信号は、術式でスオルが受け取っている。その映像信号を我々の通信データに変換し、塔の外壁を越えてコリネに伝える。それを音に変換するのは君の役目だ」

 「それなら───できるかもしれない───いやできるな。確実に」

 数学者は目を閉じて暗算を始めた。

 「音声をデジタルに変換───これは一瞬だ。それをスオルの術式を変換したものに代入する───送信後デジタルから音声データまでの変換を自動化───コリネへの負担を減らせる───」

 「ということで出来そうか」

 サスタリが訊く。

 「ああ、理論上はな」先程と同じ台詞。しかしその声は違った。

 数学者は目を閉じ、指先で空気に数式を走らせる。

 彼の動作は古い計算者の癖にも似て、淡々としたが確信に満ちていた。

 紙片のように薄い青白い光が彼の指先から漏れ、スオルの術式をなぞって連なる。

 薄暗がりの中で彼の書き連ねる数式と術式が、サスタリとコリネの二人を繋いでゆく。

 

 それが終了すると、サスタリは言った。

 「試運転───コリネ、コリネ、こちら司令部。聞こえるか」

 ───短い沈黙。

 微かな電子音のようなノイズが空間を満たしたかと思うと、そこに少年の声が重なった。


 「───こちらコリネ。聞こえます」


 その瞬間、塔の空気が揺れた。

 誰もが息を呑む。理論だけの夢物語が、今、現実になった。

 

 「これで満足か?」孤高の数学者は多少疲れたように言った。

 「ああ。感謝する」サスタリは言った。


 「こちら司令部。コリネに初の任務を与える。丘の戦闘員達のところに戻り、そこで待機しろ」

 「こちらコリネ───了解」

 コリネは塔から弾丸のように飛び出していった。

 

 「これで全線への指令経路は確立した」サスタリは低く言った。

 「この塔は孤立したのではない。むしろ、最も安全な指令中枢となったのだ」

 


   五

 鉄の槍の触れ合う、冷たく硬い音が遠くで鳴った。

 それが戦の始まりを告げる音だった。

 ───その音を皮切りに、アトランティスの空気が一変する。

 塔の最上階。

 サスタリ司令は光の立体地図を睨みつけていた。青白い光で構築された都市模型の上に、いくつもの赤い光点が瞬いている。

 「これより班を分ける───。コリネ経由で全戦力に伝達する。聞け」

 彼の声は抑えられているが、そこに揺らぎはなかった。コリネの目に軽く力が入る。

 「まずA班、遠距離狙撃隊───イムラ、カルベン、風読アルシェ」

 丘の上で三人は頷きあった。

 「そしてB班、近接戦闘隊I───アクト、東方の槍雨、ザハル、エルメア、ドラン、ガルナ、ニネア、カリド、ウェイ、西方の慈雨。

 C班、近接戦闘隊II───アンゴスの山賊諸君、薬師、盾師バルトナ、癒しの魔術師サレム、アンデル。

 D班、遊撃隊───ヴェルガ、北方の稲妻、レリク、ヴァルテ。

 E班、広範囲攻撃隊───ハネカルの魔術師、専門魔術師メリク、シタル、コタル

 F班、工兵隊───レルナ、リュファ、アルトナ。

 G班、偵察隊───ヨルテ、ティム、二ザ。

 これより戦闘態勢に入る」

 サスタリは告げた。

 「───B班、作戦を開始する。第三地区に進撃。潜んでいる敵を排除しながら交差点D-三十四付近にて待機せよ。

 A班は第一電波塔を確保後、B班を援護せよ」

 その声に、通信陣の水面が波紋を広げるように光った。

 

 ───乾いた砂塵の匂いが、昼に近づくにつれ徐々に熱せられる空気に混じって漂っていた。

 第三地区の街路は、戦前の建造物が崩れ落ち、瓦礫と影で形を成している。

 そこを、九人の影が沈黙のうちに進んでいた───B班。

 先頭を行くのは、槍を背負った壮年の男───東方の槍雨。

 彼の足取りは重くも確かで、わずかな砂の音さえ計算されたようだった。

 「───風が止んだな」

 低く呟くその声に、背後のアクトが応じる。

 「嵐の前ってやつだろ。───まったく、いやな静けさだ」

 東方の槍雨は片目を細め、廃墟の向こうに目をやった。

 閑散とした路地に舞う砂の粒が、陽の光を含んで光る。

 その後ろには、ザハルとエルメア。

 ザハルは肩に巨大な刃を担ぎ、エルメアは無音で滑るように進む。

 さらに続くのは、囚人兵のドランだ。彼は苛立ちをぶつけるかのように闊歩している。そしてガルナ夫妻、守衛カリド、西方の慈雨が続いている。

 「サスタリ司令より伝令。目標地点、交差点D-三十四まで約五百m。周囲百m以内に複数の敵が接近中。戦闘を許可する」

 不意にコタルが現れ、伝令を告げる。次の瞬間にはその姿は遠く建物の間に霞んでいた。


 全員の足が同時に止まり、次の瞬間───

 低い金属音が、どこかで響いた。

 剣の柄が石に当たるような、乾いた音。

 ドランの口の端がゆっくりと上がる。

 「───今の、聞いたか?」

 ガルナが呟く。

 東方の槍雨は頷かず、静かに右手を掲げた。

 「前方、二十。瓦礫の影に動き───四、いや、五だ」

 その声に、アクトが僅かに鼻をしかめる。

 「やっぱりいたか。交差点を渡らせる気はねぇってわけだ」

 東方の槍雨は槍の柄をゆっくりと握り直した。

 「いいか、突っ込むな。まずは左の屋上、狙撃がいる」

 「了解」

 ザハルが刃を持ち上げ、ドランが武者震いをした。

 アクトは腰を落とし、全身の筋肉を緊張させる。

 ───その時、瓦礫の向こうで一瞬、光が閃いた。

 銃口の火花。

 「来るぞッ!」

 その叫びが響くと同時に、ミスリテールの街に戦いの風が吹き渡った。




 太陽が真上に昇り、廃都の石畳に焼けつくような光を落としていた。

 空は異様なほど澄み切っている。

 戦が始まっているにもかかわらず、風一つ吹かず、音も無い。

 遠くで立ち上る煙だけが、昼の空に戦の匂いを描いていた。

 第一電波塔───かつては通信の要だった高塔。

 今は上層が崩れ落ち、鉄骨が骨のように剥き出しになっている。

 遠くの方で、鈍い爆音が一つ、地の奥から響いた。


 三人は無言のまま、第一電波塔へと接近した。

 塔は古びたコンクリートの巨影。

 上部は崩れ落ち、鉄骨が骨のように剥き出しになっている。

 かつては都市の通信を司っていたが、今は誰も近づかない廃塔だ。

 カルベンが前に出て、短く指を立てた。

 「───中を確認する」

 イムラが頷き、銃を構えたまま、静かに入口の扉を押す。

 軋んだ音が、昼の空気を裂いた。

 内部は埃にまみれ、階段は半ば崩壊している。

 外の陽光が、鉄の隙間から鋭く差し込んでいた。


 「人の気配はない」

 カルベンが確認し、低く報告する。

 アルシェは風を読みながら言った。

 「北面、重たく速い風。弾道がズレるし弾着も遅れる。東、南、西は風速、風向ともに狙撃には最適です」

 イムラが即座に反応した。

 「そこに陣取る。カルベン、俺が上で構える。お前は階下からカバーを」

 「了解」

 三人は手際よく動き出した。

 崩れかけた階段を登る足音だけが、塔の中に反響する。

 陽が真上に来る頃、イムラは屋上に到達した。

 瓦礫と風の匂い。

 遠くには市街地の外縁が見える。煙が一筋、ゆらりと立ち上る。

 「───視界、良好」

 イムラが銃を構える。

 銃身の影が、陽光の中にすっと伸びた。

 カルベンが下層から静かに合図を送り、アルシェが風向きを読み上げる。

 「風、南から二。弾道安定」

 「よし──これでいい」

 塔の上に三人の沈黙が訪れる。

 ただ、遠くから微かな衝突音。

 ──第三地区、交差点D-三十四方向。

 B班が動き出したのだ。

 イムラは照準をわずかに上げ、目を細めた。

 「───狙撃準備完了。あとは合図を待つだけだ」

 青空の下で、塔が一瞬だけ息をひそめた。

 昼の光が、その銃身を白く包み、戦の幕が、静かに上がろうとしていた。


 


 その瞬間、東方の槍雨が動いた。

 風が、裂けた。

 とても人間とは思えない速度。

 槍が振るわれるたびに、空気が刃のように弾け、破片が飛ぶ。

 ひと突き──敵兵の胸甲を貫き、壁に叩きつける。

 二突き──槍を反転させて、背後の敵の喉を掻き切る。

 三突き──横薙ぎの衝撃波で、さらに三人が血煙に変わる。

 わずか十秒。

 彼の周囲には、もう動くものはいない。

 槍雨は無言で血を振り払い、残った紅い雫が地に弧を描いた。

 東方の槍雨が再び走る。

 今度は敵の前線へ。

 その姿は、ひとつの軍勢だった。

 突進、跳躍、突き、薙ぎ、踏み砕く。

 周囲の兵らは、彼の背中を見るだけで鼓動が加速する。

 「まだ交差点までは百!」

 ドランの叫びに応じて、アクトが剣を抜く。

 「全員、進め──! 奴の背に続け!」

 瓦礫が舞い上がり、炎が立ち昇る。

 交差点までの距離は、もはや時間の問題だった。




 同時刻。

 イムラは弓を構え、息を一度止めた。

 彼の瞳は鏡のように静かだ。

 矢が離れる。

 矢羽が空気を裂く音は、まるで獣の咆哮。

 百五十メートル先、塔の監視兵の額にそれが吸い込まれた。

 「───一」

 淡々とした声。

 カルベンが横で苦笑する。

 「数えるな。気が散る」

 「集中してるだけだ」

 カルベンは銃を構えた。

 金属音とともに、照準が空を切る。

 サプレッサー越しの鈍い破裂音が二つ。

 別方向の敵兵が、静かに倒れ込む。

「イムラ、左側の梁に敵影。距離三十」

 「見えてる」

 弓が再び唸る。

 矢が放たれ、敵の喉を貫いた。

 銃声も悲鳴もない。ただ、淡々と。

 命を奪うという行為が、まるで“作業”のように正確だった。


 風読アルシェが最上段の手すりを掴み、空を見た。

 ───風が、変わる───

 ───より重たく強く、濃く───

 青空の下、遠くでひとつの戦が花開いている。

 煙がゆらぎ、砂塵が立つ──交差点だ。

 カルベンが狙撃銃を構えた。

 「B班の交戦、視認。距離七百、風向き北東。補正、マイナス三」

 アルシェが言った。

 「風が変わる───B班までの空気は重く、濃く、勢いを増す。押し流されないように」

 「了解。───イムラ、合わせろ」

 「もう照準済み」

 二つの光が閃いた。

 弾丸と矢が同時に放たれ、遠くの敵狙撃手を撃ち抜く。

 時間差、ゼロ・コンマ。

 その正確さは、もはや芸術だった。


 煙の中、アクトが叫ぶ。

 「押し切れ! ここが境界線だ!」

 敵兵が次々と倒れてゆく。

 だがその数は減らない。

 東方の槍雨は、息を荒げた。

 それは疲労ではない。

 血と煙と殺意の匂いが、肺に焼きつく。

 この感覚が、生きている証だ。

 若き日の戦場を思い出す。

 燃える都市、叫ぶ兵、崩れる空。

 あの頃と何も変わらない。

 槍を振るえば、誰かが死に、誰かが生き延びる。

 ただ、それだけの場所。

 敵兵の一人が突撃する。

 その刹那、槍雨の目が光る。

 「遅い」

 槍が閃き、男の胸が裂ける。

 返す動きで、後ろの敵の首が飛ぶ。

 血が風に乗り、陽光を浴びて鈍く光る。

 

 上空から銃声。

 敵の狙撃弾が弾ける前に、別の弾がそれを打ち消す。

 ───A班の援護だ。

 カルベンとイムラの狙撃が、B班の頭上を掠め、敵を貫いていく。

 アクトが短く息を呑み、そして笑った。

 「───いい連携だ」

 西方の慈雨が自分の出番がまだ来ないのでそわそわしている。

 「交差点、あと二十!」

 ザハルの叫び。

 アクトが前へ。

 東方の槍雨がその横を駆け抜ける。

 そして、最後の一撃。

 槍が地を穿ち、衝撃波が周囲を薙ぐ。

 建物の壁が崩れ、敵の残党が吹き飛ぶ。

 静寂。

 埃が舞い、煙が消える。

 交差点の中央に、東方の槍雨が立っていた。

 その背を、アクトがゆっくりと追い越す。

 「───交差点、制圧完了だ」

 その後ろにコリネが立っていた。

 「コリネからサスタリ司令。D-三十四交差点制圧完了。死傷者ゼロ」

 その報告の裏で、誰も声を上げなかった。

 勝利とは、常に静寂の中にある。

 陽の光が、破壊された壁の隙間から差し込み、炎の消えゆく灰の中で一枚の花びらが舞い───蒸発した。

 残るのは、焼けた匂いと、血と、風。

 そして、再び始まる次の戦いの気配。




 六 まだ本当の戦いは始まっていない

   第一幕 鉄の群れ、絶望の波

 

 その報せは、まるで地鳴りのように静かに、しかし確実に伝わってきた。

 ───敵、攻撃を開始。

 七つの地区で同時多発。

 数、推定一万。

 ミスリテールの黒い地平線が揺れ、

 陽炎が震え、砂塵が遠くで渦を巻く。

 乾いた風に混じるのは、焼けた金属と油の匂い。熱とざらついた死の気配。

 遠方からは無数の靴底が大地を叩く、重く鈍い共鳴音が届く。

 砂を巻き上げて進む波。それは人だった。

 ランビス皇帝が各地からかき集めた皇軍──狂信と恐怖で束ねられた「人間の軍勢」。

 鎧の継ぎ目が軋み、旗が風を裂く音が、地面の振動と重なる。

 押し寄せるのは個ではない。

 群れ。

 質量そのもの。

 司令部の高層塔で、その様子を見つめる者たちがいた。

 光の立体地図に浮かぶ、無数の赤点。

 スオルの指が震え、コーネルが言葉を失う。

 「密度───異常です。あれは攻めるのではなく、呑み込む陣形だ───」

 孤高の数学者は無音で演算を続ける。

 虚空に浮かぶ数式が幾何学的な光点に変換され、戦場の座標に落ちる。

 呼吸のたび、瞳の奥に小さな数列が走った。

 「───予測完了。迎撃最適地点、第三地区前方六百──」

 サスタリは地図を睨み頷く。

 「A、B、C、D班に告げる。敵軍主力、南東と北東から進軍中。兵力はおよそ二万五千人。第三地区D-四十九交差点付近にて迎撃せよ」

 コリネが宙を裂く。

 重力を操作する異能──彼は「跳ぶ」のではない。

 地面と並行に落ち、速度は稲妻のごとく。

 瓦礫の壁を掠め、砕けたガラスを吹き飛ばし、光の尾を曳いて滑走する。

 「伝令───B班、敵主力接近中!迎撃を許可!」


 ───東方の槍雨は静かに槍を構える。

 その強さは、ひとつの軍勢に匹敵する。

 足元で乾いた砂が震える。

 「───来るぞ」

 低く呟く声が戦場の空気を引き締めた。

 黒い波が視界を覆う。

 大通り、小路、屋根の上、廃墟の隙間──すべて人で埋まる。

 数百、数千、数万──質量を伴った“怒号”そのもの。

 群れが動くたび、空気が押し潰される。

 鎧の擦過音が風を切り、砂が巻き上がる。

 だが槍雨の瞳は微動だにしない。

 槍がわずかに傾く。

 音が鳴り、空気が裂けた。

 先頭兵の胸を貫く──

 雨が降った。

 鉄と血の雨。飛沫が地面を叩き、赤い霧が陽 光に溶ける。

 一本一本の槍の軌跡が、陣形のように整然とした死を描く。

 B班はその背に続き、瓦礫の街を駆け抜ける。



 第一電波塔。

 崩壊した上層部から、青空が見える。

 そこに伏せる三人。

 カルベン、イムラ、アルシェ。

 「風、北東から三。弾道、マイナス一度修正」  アルシェの声が響く。

 カルベンがスコープを覗き、イムラが弓を構える。

 時間差、ゼロ・コンマ。

 銃声と弓音が重なり、二つの閃光が同時に走る。

 七百メートル先、敵指揮官と狙撃兵が同時に倒れる。

 「───命中───当然だな」

 イムラの淡々とした声が、戦場の静寂をさらに鋭くする。

 カルベンが息を吐いた。

 「次だ」




 「ヴェルガ、右!」  「了解!」

 D班、遊撃隊が、東方の槍雨の崩した側面へ突入する。

 ───そこに彼はいた。

 北方の稲妻という異名を持つ彼は、視線を迫り来る敵の動きに向け、静かに佇んでいた。

 瓦礫の上に立つ彼の視線は冷静そのもの。

 前方に押し寄せる敵兵──密集する波。

 彼は深く体を沈み込み、刹那、空中に跳躍しながら目にも止まらぬ速度で抜刀した。三体の敵を斬り裂く。

 その剣閃は光の尾を残し、残像となって揺らぐ。

 着地と同時に振り返り、次の敵三体に連続斬撃。

 鎧が軋み、悲鳴が散る。

 跳躍、旋回、斬撃──一瞬たりともその動きは止まることがない。

 足元には赤茶色の砂煙が巻き上がり、剣の軌跡が赤い光を帯びる。

 敵が迫る。槍や剣が北方の稲妻を取り囲む。

 しかし彼の動きは正確無比。

 寸分の狂いもなく身を屈め、跳ね、滑らかに避け、切り裂く。

 

 ───上空から氷が流れ落ち、道を塞ぐ。

コタルだった。

 二人は交差点D-四十九から一区画離れた交差点の、その角の建物の屋根に立っていた。

 彼が目を閉じ、深く呼吸した瞬間、地面に氷が走る。

 瓦礫の間を這い、敵の足元を封じ込める壁となった。

 空を揺らす轟音が響き渡る。

 シタルの雷が空を割った。

 青白い稲妻が地表を這い、無数の兵が崩れるように倒れる。

 「決して殺してはいけない──麻痺だけで十分だ」



 

 司令部。

 スオルが叫ぶ。

 「第三地区、持ちこたえています!」

 エンドビスが通信に指を滑らせる。

 「各班、損耗率一割未満──戦線、維持中」

 サスタリは静かに頷く。

 「───だが、これはまだ“最初の波”に過ぎない。敵の切り札は別にある」

 口角を僅かに持ち上げ、不敵な薄ら笑いを浮かべる。

 「これはまだお前の全力ではないのだろう?ランビス皇帝よ」

 遠くの空で雷が鳴った。

 空が呼吸した。

 ───まだ本当の戦いは、始まっていない。

 


  七 最終兵器の始動

 七つの黒い尖塔がそびえる、その中心、白鋼宮の玉座にランビス皇帝は鎮座していた。

 大気は凍りつき、遠く戦場の音は沈黙に飲み込まれている。まるで都市そのものが呼吸を止め、主の手の動きを待っているかのようだった。

 彼はその白く細い指を玉座の横に据えられた黒い卵に這わせた。

 ──鼓動は次第に大きくなっている。

 

 七つある尖塔の、その六つの上空にはそれぞれ七つの環が浮かんでおり、その静止した存在感が下にいる者全てを威圧していた。

 重環、粘妖、葬兵、軌銃、夢幻、層界。

 そして因座は彼の眼の前、玉座の間で蒼白い光を淡く出しながら回転していた。

 

 ランビス皇帝はゆっくりと立ち上がった。眼の前に立ち並ぶ配下達に向けて言葉を放った。

 「戦況は。噛ませ犬達はどうだ」

 参謀アドリアンが淡々と答える。  

 「皇軍、現在極めて劣勢です。正直、想定外ではあります。現在、死傷者合計四千人を突破致しました。しかし敵側の体力も刻一刻と削がれていっている模様です」

 「そうか。ご苦労」

 ランビス皇帝は息を吐き、声を張り上げた。

 「これより全勢力を投入する。モネリ=七つの環の投入を開始する。全軍を第五地区に集結」

 「了解」軍団長が敬礼して出てゆく。


 彼は、ゆっくりと手を掲げた。

 玉座の間の中心、巨大な透明管の中で、ひとつの存在が眠っていた。

 白い髪、透過した皮膚。

 その全身を、細いコードと結晶状の神経管が覆っている。

 彼女の体内を、脈動する光が上から下へ、まるで血液のように循環していた。

 瞼の下には微かな光の粒。

 その名を、モネリ。

 

 「──統合体、モネリ=因座。起動権限、皇帝コードΩ–9により解放」

 ──沈黙。

 空間の温度が、1度、2度、3度──と下がっていく。

 電流が金属を舐めるような、低周波の唸りが地下の奥から響いた。

 そして、透明がかった女の声が響き渡る。

 《スリープ解除確認。統合状態100%。因座稼働率:安定。全演算サブルーチン、待機解除》

 「因果演算、開始せよ」

 《命令受諾。ランビス・コードΩ–9認証完了。モネリ=アクロ3、因果率演算器:因座、稼働開始》

 ランビス皇帝は微笑んだ。

 「──統合者よ。我が時代を築く礎となれ」


 床が震える。

 まるで都市全体が、呼吸を合わせるように。

 地上では皇軍の兵士たちが、次々と同じ姿勢で顔を上げた。

 瞳孔に、同じ紋章が浮かぶ。

 ──七つの環。

 それが「支配の完成」を示す印だった。

 全軍は、もはや“ひとつの存在”だった。

 そして、モネリの声が響く。

 

 「投入軌道、演算完了。これより全軍を投入する」


 ───空が、裏返る。

 七つの環が連鎖し、空がひっくり返るように空間がねじれた。

 空と地の境界が消え、風の向きが反転する。

 そして音が──遅れてやって来た。

 現実が軋み、音を立てて崩れ始める。


 ──本当の戦いは、これから始まる。



  八 殲滅戦、起動と最初の波

 空が歪む、という言葉は比喩に過ぎないと思っていた者たちが、この日、言葉の貧弱さを知ることになる。

 ミスリテール上空の雲が、重環、その一つの点を中心にして、ゆっくりとねじれ始めた。

 ねじれる速度は緩慢だが、その影響は、音も光も押し潰すような静かな暴力を持って街へ降りてくる。

 金属の軋みが空を渡り、重力が震えた。

 空そのものが、質量を持ったかのように圧を帯びる。

 戦場の上空に静止して浮かぶモネリ──いや、正確には《モネリ=アクロ3=因座》が発したコマンドは短かった。

 《稼働モード、全環起動。演算基準:Ω–9信号に準拠》。

 その命令は音ではなく、構造体の共鳴として伝わった。

 都市全体が、神経のように脈を打つ。


 「重環」が動いた。

 大地が沈む。空気が鈍る。

 ほんのわずか、だが確実に“歩く”という行為が異常化する。

 

 重環は七つの環のひとつで、局所時空の重力、次元を変換する。

 その歪みは、あらゆる演算を狂わせ、構造体の基準を奪う。

 

 重環は局地的な重力変化を生成し、地表を泡のように歪ませた。

 放たれた矢は弧を描き、銃弾は曲線を描いて別の方向に吸い込まれる。


 司令部の光地図が、瞬時に赤く脈打つ。

 スオルの術式が、等重力線を美しく、しかし容赦なく描き換える。

 コーネルの指が滑る。立ち上がる三次元の重力面。座標が“見える”形で曲がる。

 「重環、接触領域拡大中。第二、第三軸の重力係数が増幅、第四軸の重力が反転」

 光の演算式を細い指で描きながら、孤高の数学者の声は低い。

サスタリは固く唇を結んだ。


 次いで「夢幻」。

 それは因座の演算が、精神の層を直接書き換える。

 視覚、聴覚、記憶、感情──それらの間の“差分”を利用して、現実をずらす。

 街の一角では、兵士が味方に銃を向けた。

 彼にはそれが敵兵に見えていた。

 別の場所では、母親を思わせる声が瓦礫の中から聞こえ、兵がそこへ駆け寄る。

 それが罠だと気づく前に、彼の頭上に軌銃の光が落ちた。

 「夢幻、来たぞ!」

 ヴァルテの声が震えた。

 彼の術式は光を刺すように展開される。

 だが夢幻は単なる幻ではない。因座が各個人の神経記録を再構成し、共有夢を作る。


 遠くで微かにヴァルテが叫んだ。

 「私の術式と位相が干渉している! 彼らは夢を共有している。入口を塞げ、出口を開け!」

 彼は逆位相の術を創り出す。だが夢幻は因座の補強によって波打ち、彼の術を無効化する。

 光の波が頭蓋の裏で爆ぜ、脳の奥に痛みが走った。

 


 だがモネリは──因座は止まらない。

 地面が鳴動し、鋼の群れが地中から噴き上がる。

 千をも超える自律歩兵群。

 無機の群体が、瓦礫を踏み潰して整列する。

 その外殻は層状装甲。接近戦では切り裂けず、爆薬でも抉れない。

 「葬兵、展開」──モネリの声が冷徹に響く。

 それに応じ、葬兵の胸部に埋め込まれた光窓が一斉に点灯。

 戦場が、ひとつの巨大な意志として動き始めた。

 司令部の地図が再び赤に染まる。

 スオルの処理が追いつかない。

 孤高の数学者は、黙って虚空に数列を書き連ねた。


 こちらを見通しているかのように透き通った、高い電子的なモーター音を響かせながら軌銃が降下する。百機単位の無人砲群。

 圧縮されたレーザーが味方を薙ぎ倒し、建物を粉砕する。

 

 下では粘妖が動き出す。

 散らばった破片が自己修復を果たし、新たな“肉体”を形成する。鉄繊維で形をなしたそれは地面に浸透しミスリテールの内部へ広く広がってゆく。


 音が途絶えた。──いや、地上の音が届かないだけだ。

 上空三キロメートル。そこでは千里眼の忌み子が気球に乗って旋回していた。

 はるか眼下にはミスリテールの全貌がひと目で見て取れる。

 ミスリテール全域が、ひとつの巨大な神経回路のように発光している。

そこでは、街も兵士も、もはや“人”ではなく“信号”として動いていた。



 司令部では光と音が渦を巻く。

 スオルとコーネルが連動し、情報層を重ねていく。

 「空間軸が一本追加された!局所的な四次元空間を作り出したんだ!」

 「第二層第三軸にて重力反転!」

 サスタリは冷静に指示を飛ばす。

 「こちら司令部。全班に告ぐ。これより反撃に出る。ヴァルテ、夢幻の無効化を急げ。シタルとB、C班、軌銃の無力化。F班、粘妖の動きを止めろ。

 重環はこちら司令部で引き受ける。

 ではこれより各班により詳細な命令を伝達する」

 コリネが街路を走る。

 光の線を引きながら、歪んだ時間の中を突き抜ける。

 一瞬早い未来を送る“生きた伝令”──それが彼の役割だった。


 七つの環はそれぞれ異なる層で戦場を切り裂き、同時に統合的な圧力としてミスリテールを締め上げていく。


  

  

  九 反撃は始まる──しかし

   

  ヴァルテの最期

 夢幻は幻術師である彼、ヴァルテにも迫った。

 失われた弟の声が、耳の奥に届いた。

 『兄さん、どうして、置いていったの?』

 幻の手が触れた瞬間、心が震え、数式が乱れた。

 「──違う。おまえは、もう存在しない。定義できない対象は、解の領域に含まれない」

 彼は震える手で空を撫でた。

 数式が広がる。

 空間の構造が数の羅列として露わになる。

 “幻覚”という曖昧な現象を、“式”として捕捉した。

 

 《因果干渉検出。夢幻サブルーチン、外部演算波を受信。識別:ヴァルテ。排除作戦開始》

 モネリの冷たい声が響く。

 ヴァルテは“夢幻”の式を解いた。

 虚構の座標が崩れ、幻像が音もなく崩れ落ちる。

 夢幻は自壊を始め、兵士たちの視界がひとつ、またひとつと正気に戻っていく。

 だが、同時にヴァルテの身体も数式の中へ溶け始めた。

 過負荷した演算は、肉体を情報化する。

 皮膚の下で光が走り、数列が血管のように流れ出す。

 「──すべて、解けた。だが、心だけは未定義のままだな」

 静かに笑った瞬間、光が弾けた。

 その場にヴァルテの影だけが残る。

 司令部の通信が途切れる。

 スオルが叫ぶ。

 「ヴァルテの反応、消失!」

 サスタリは目を閉じるだけだった。

 「──やり遂げたな。夢幻は沈黙した。ヴァルテ、君の命は決して無駄にしない」

 空の上、夢幻の環は光を失い、粉のように散る。

 その残光が、まるで誰かの魂が溶けていくように静かに流れていった。


 ──幻術師ヴァルテ、死去。

 つまり全ての幻術の術者が死去。

 遙か上空、司令部の「眼」、千里眼の忌み子。彼女にかけられた幻術も消えた──。

 モネリ=因座が「眼」を捉えた。

軌銃のレーザーが放たれた。

──視界が滲み、回る。

──耳元で風がうなった。


 ──眼を撃たれた──!

 司令部でスオルが叫ぶ。

 塔は一気に緊張に包まれた。

もはや地図は意味を成さない──。

「まだ焦るには早い」サスタリが言った。

 「孤高の数学者、これからは君が眼だ。物理の眼にかわり、すべての動きを予測し、それを地図に表せ。

 大丈夫だ。まだ、通信網は生きている」


 鉄の群れが押し寄せる。

 世界は砂に埋もれそうになり、夕暮れの迫る太陽の光は、戦場の熱気で波打った。 

 司令部では矢継ぎ早に命令が告げられ、コリネの伝令線が火花のように行き交う。

 だが、行き交うのはコリネだけではない。

 上空からは軌銃の群れが長い影を落とし、地中からは葬兵の群塊が湧き上がる。 

 粘妖は瓦礫の細片を寄せ集め、血肉のように蠢きながら再結晶してゆく。


  十 軌銃の咆哮、狭き道の犠牲者たち


 A班は第一電波塔に陣取り、遠距離火力で全戦線を支える。

 二人の射線は各班の背後に回り込む敵兵を容赦なく貫いた。

 アルシェは風と気流を読み、弾道の補正を秒単位で指示する。

 しかし──重環はその軌道を遮り、次元の平面化、多面化、重力の制御でもって三人の眼をことごとく欺いてゆく。

 狙撃の連携は厳しかった。

 遠くで、彼の兄、アクトが紅い鮮血を吹き出して倒れてゆく。

 その瞬間、イムラの中に激しい感情が沸き起こった。

 「・・・・兄貴──!」

 彼は激昂して矢を立て続けに放った。

 しかしその矢も重環を前に儚く散っていった。

 「矢を無駄にするな」カルベンが冷静に言う。

 「わかってる。分かってるんだ。だけど──」イムラは歯ぎしりをする。

 「言うな。言わなくていい。今俺たちができることは、なるべく多くの危険を、前線で戦うあいつらのために排除することだ」カルベンは言う。

 「てめぇの兄貴もそれを望んでいるだろうよ」



 ヨルテは崩れ落ちた建物の縁を走り、水路を滑るように移動していた。彼の役目は報告と撹乱だ。

 ティムは猿のように屋根から屋根へと飛び移り、ヨルテの後をおっている。

──しかし、二ザはどこに──?

  

  十一 二ザ「砂の回路」

 地下の下水トンネル。

 照明はすべて落ち、崩れかけた天井の裂け目から時折射し込む光以外には、非常灯の赤だけが、鉄と油の臭いに染まった壁を血のように照らしていた。

 腐食した水管からは、蒸気が細く噴き出している。

 この場所が地上から何メートル下か、もはや測る術もない。

 ──彼女がなぜこんな所にいるのか。

 答えは単純だ。道に迷ったのだ。


 分岐する通路のどれを選んでも、同じ鉄の匂いと錆の味しかしない。

 だがその時だった。

 彼女は暗闇の中である一定の間隔をもって点滅する光を見つけた。

 二ザは膝をつき、崩れた瓦礫の奥を探る──それは微かに発熱する旧式の制御核だった。

 砂の民がかつて造った「質量収束弾頭・Type-07《砂巣》」。

 地表構造を分子レベルで圧縮する直下型収縮爆弾。

 表面に刻まれた砂紋状の回路は、砂漠の光子反応素子で構成されていた。

 「──あり得ない。これ、稼働してる──誰が起動を?」

 指先で埃のかぶった冷却管をなぞる。

 まだわずかに冷却液が流動している。

 起爆シーケンスはフェーズ3──すなわち、中枢演算へ移行済み。

 すなわちあと8分で臨界。

 その時、二ザの瞳がわずかに光を帯びた。

 「──砂のコードだ。読める。なら、止められるかもしれない」

 彼女は軍標準の端末を展開し、ポートを開く。

 しかし規格が違う。

 数千年前の民の暗号は、今のデータ体系では解析できない。

 だから彼女は別の方法を選んだ。

 ───音で、読む。

 掌の中でケーブルが震え、周波数が可聴域に変換されていく。

 ピッ──ピピッ──ピッ───

 リズム。砂漠の夜に吹く風の拍子。

 それが「砂の民の符号化方式」。

 波長の間隔=演算命令。

 音を読み、音で打ち返す。

 「位相ずれ──あと0.04。ここを反転させれば──!」

 額に汗が流れる。

 カウントは残り3分。

 そして最後のラインが走る。

 《爆縮ループ内干渉コード挿入:承認?》

 「承認」

 《エラー──認証キー不明》

 「認証──? くそ、古代音韻体系か!」

 彼女は項垂れた。

 項垂れてつい遠い過去を思い出して───彼女は思い出す。

 母が夜に歌ってくれた砂の民の子守歌。

 その節の中に、意味のはっきりとしない音の連鎖があった。

 彼女は記憶をなぞりながら、震える唇でその旋律をたどる。

 「アラ・サエ──メル・リオ──」

 システムが反応する。

 《承認完了》

 爆縮ループが停止。

 起爆装置は沈黙した。

 同時に、モニタに微かな文字が浮かぶ。

 「砂巣:試験機A-13、

  標的:司令部塔、

  制御端末:因座=モネリ、

  統括者:ランビス皇帝」

 彼女は凍りつく。

 この爆弾は、ただの防衛装置ではない。

 総司令部の真下に、明らかに敵意を持って組み込まれている。

 つまり、解除信号は──敵にも届いた。

 その瞬間、通信機が鳴る。

 声が聞こえる。敵兵。

 「解除信号を追跡、発信源確保」

 銃声。

 二ザの胸に、焼けた熱が走る。

 体が壁に叩きつけられる。

 

 ──良かった。

 視界の端で、天井の裂け目から微かな光が差す。

 粉塵が光子の粒のように舞い、砂のように降り注ぐ。

 「──帰れる、ね。少しだけ──」

 礎は、救われた。

 


十二 東方の槍雨の奥義

 B班とC班は、都市の狭い街路を血で染めながら前進する。

 東方の槍雨はその中央で、まるで時間を断ち切るかのように槍を振るっていた。

 槍の一突きで列を断ち、二突きで塊を薙ぎ、三突きで突撃の軸を壊す。

 だが彼らの前に無機の葬兵の群れと人間の軍勢が押し寄せる。

 彼は体力が維持できなくなってきていることに気がついた。

 気づいた瞬間に、濃い疲労が彼の身体を襲ってゆく。

 速い風を切る音がして、鈍い痛みが腹部を貫く。その瞬間、全ての時が止まったような気がした。彼は膝をつきそうになる身体を全霊で持って奮い立たせ、右手を地面に向けた。

 「東方の槍雨──とうとう奥義を出すか──」右で戦っていたザハルが呟く。その声も疲労の色が濃い。

 「ああ──」東方の槍雨はうなづいて、全身に力を込めた。

 地中から、彼の手の動きに応じて、鋼鉄でできた九本の槍が現れた。

 浮遊する九本の槍。それは敵の方を向き、持ち主の合図を待った。

 東方の槍雨は以前にも速さを増して敵に斬り込んだ。それを合図に九本の槍が敵兵を微塵にしてゆく。

 ──それが彼の東方の槍雨という男の真の姿、その名の由来だった。


 エルメアは呪術で堅固なツタの罠を創り出し、敵の足を止める。その一瞬を、ドランやカリドが血で埋めていった。

 ニネアはガルナとともに肉弾をもって敵の突進を削り、アンゴスの山賊は狂戦士のように切り込む。

 ザハルはそんな中、疲労と受けた無数の傷で意識が朦朧としていた。

 漠然とした死の恐怖から逃れるために、いまは本能だけで剣を奮っていた。

 もう聴覚も、視覚もぼんやりとして、敵の斬撃の直前に訪れる殺意を第六感で感じ取って、反射的にそれを防いでいた。

 だがついにその時は訪れる。

 葬兵の刃が背後から彼を貫いた。

 ザハルは、鋭い痛みさえも感じなかった。彼はただ、自分の存在が消えていくのを静かに感じた。

彼が目を閉じる直前、一瞬だけ光を取り戻した視界の端に、人影が写った。それは、ドランとカリド、ガルナとニネアが軌銃の前に崩れ去っていく映像の、その断片だった。


 数は圧倒的だ。斬撃も号令も、いつしか銃声と断末魔の合唱に飲み込まれていく。


 彼らは後退しない。交差点を奪い、軌銃の自律弾道を誤差の限界に追い込むために、最前線で盾になり続ける。それが彼らに託された、工兵たちのための時間稼ぎの役割だ。


一人、また一人、仲間が失われていく。 その死は無駄ではない。彼らは骨のように固められた路をつくり、その一歩一歩が軌銃の中枢への「経路」を切り開いていた。


十三 工兵の祈りとシタルの雷


F班は工兵だ。レルナは十四歳の天才爆破師として、老技師リュファとアルトナと共に軌銃群の中心に仕掛ける爆薬を作っている。

 間に合わせにしか過ぎない材料、限られた時間。その中で、彼女はたった一つの爆弾を完成させた。

 密閉された爆弾の中で、シタルが注入した膨張型電圧が、限界まで高まるのを待つ。

アルトナは冷静に爆薬の安全ピンを外す。レルナは笑いを浮かべて「あと三つ」と言った。その声が聞こえたのは仲間二人だけだった。

次の瞬間、レルナは爆弾を持って駆けた。

「みんな伏せて!!」その叫びは戦いの前線にいる者全員に届いた。

そしてその叫びは──敵の攻撃を彼女自身に収束させた。彼女は無数の攻撃を受け、地に倒れた。爆弾だけが転がってゆく──その爆弾を拾い上げたのは、ヴェルガだった。

 流派、影一閃の継承者である彼は、その爆弾を拾い上げ、駆けた。

誰よりも速く、誰よりもその爆弾の重みを感じながら。

──直後、彼はその爆弾を宙に目掛けて投げた。


 シタルはその時、別の仕事をしていた。彼は雷を、ただの破壊ではなく「制御された過電流」として見ている。

 粘妖はその性質を利用して瞬時に傷を再生し、自らを複製し続けている。

 普通の火や斧では歯が立たない。シタルは雷の定義を、内部電子構造を解体する方向へと押し広げた。

彼の指先から出る放電は、空中で静かな拍動をつくり、空気の分子を挟んでプラズマの筋を描く。


 シタルが一気に掌底を天地に叩きつけた。


 雷は溶けるように宙に投げられた爆弾に目掛けて落ちる。

 限界まで高くなった爆弾の内部電圧に、彼の雷が最後のひと押しを加える。

 爆弾は、全員の思いを背負って爆発した。閃光と熱波、シタルの雷が辺り一面に広がる。


 粘妖は──その時に脆くなった。

 高密度で再結合した金属繊維の結び目に、プラズマの波が入り込む。

 粘妖は内部で自己修復を試みるが、シタルの雷が電子的基盤を破壊し、爆弾が構造情報を書き換える。

 生体と電子、存在と死の狭間で粘妖は自らの形を同定できなくなり、動きを止めて溶けるように崩壊していく。

 密集していた塊がふわりと液体化し、瓦礫の溝へと流れ落ちた。


 だが代償は甚大だった。 その場に居た全ての者が爆発に巻き込まれ、特に爆発中心にいたヴェルガ、リュファ、アルトナ、盾師のバルトナ、薬師、癒しの魔術師サレム、レリクの七人が跡形も無く消えた。煙と散らばった肉塊だけがそこに残っていた。


 ──堕ちた軌銃の一つが、最後の閃光を放った。それは一つの塔に当たり、その塔を破壊した。そしてその塔を拠点としていた者たちも──。

 

 ──司令部は、瓦礫の下に壊滅した──

 


十四 イムラの最後

第一電波塔の屋上で、カルベンは銃を抱え、イムラは弓を引いた。

アルシェは風に耳を当てる。

 三人は、空の「余白」を撃つことで、戦線の連絡を保ち続けていた。

 「南東の風、風速五。粘りあり、+三度補正」

 アルシェの声は凛として、乾いた空を渡る。

 そのとき、コリネが急に現れた。空気を割る音が遅れて到着する。

 「爆弾が爆発する、伏せろ!」

 カルベンとアルシェは即座に動いた。

 次の瞬間、塔の向こうで巨大な影が裂けた。

 轟音とともに、光が空を飲み込む。

 「イムラ、巻き込まれる!撤退しろ!」

 「──いや、まだだ。兄貴が見た“最後の矢”を、俺が放つ」

 弓弦が光を裂いた。

 矢は光子の尾を引き、敵を貫く。

 その瞬間、爆風が彼を塔の壁に叩きつけた。

 イムラは血を吐き、崩れ落ちながら──笑った。

 「兄貴……やっと、届いたよ……」

 彼の指が空を掴んだまま、止まった。


十五 B班・C班の最期の突入


 街路は血の河を刻んだ。

 東方の槍雨は仲間を見渡すと、顔に血を塗ったように微笑を浮かべた。

 彼は槍を高く掲げた。

 叫ぶ余裕などない。

 彼の一突きは民族の号令のように隊列を崩す。


 影の男、アンデル。

 刃を握るその指は、すでに血にまみれていた。

 戦いの中で、彼は何度も肉体の限界を超えかけた。

──もうこれ以上戦うことは出来ない。

 目の前に残る一体の葬兵を前に、彼は静かに構えた。

 「──俺は、人間のままで終わる」

 金属の刃が閃き、二つの影が消えた。


 東方の槍雨の元にコリネが駆けた。

 ──夜見の兵アンデル、弓術師イムラ死亡。

 


  十六 アンゴスの山賊たち

 地上第三区画──そこはすでに戦場というより、墓地だった。

 軌銃群が放ったレーザーが、街路を幾度も削り取り、建物の影はもう残っていない。

 C班は分断され、山賊たちは退路を失い地下へと潜った。

 そこが発電所の燃料庫に繋がっていると知ったのは、偶然ではなく、嗅覚だった。

 ──獣が、血の匂いを追うように。

 ミンジュは先頭で進みながら、背後を振り返る。

 「まだ、十人生きてる。

  まだ、一人も死んでいない。

  全員、ここで踏ん張るよ」

 その声に、べレンが笑った。

 「いや違うな。お頭も合わせて俺らみんなで十一だ。あんたは、いつもひとりじゃない」

 「──なら、数えなおすわ。──十一」

 その頬に涙が伝ったのを、誰も見なかった。

 

 地下第四層。

 ヨルサが先行して確認に出る。

 「上層から降りてくる、葬兵が二十」

 「なら、抜けるしかない。奴らの足を止めろ」

 ヤンテとヨルサが刃を抜き、闇に消える。

 鋼と血の音。

 数秒後、光子が弾ける。

 ヨルサが一人で戻りざま、血まみれの頬を拭った。

 「五人減った」

 「そして一人減ったな」

 トエルが短く答えた。

 空気が重たくなる。

 

 地下五層。狭い通路。

 トラグが先に進み、足元の罠を外す。

 「こんな時までお勤めご苦労」

 ナカネラが毒の瓶を手で弄びながら軽く皮肉る。

 「生きるたぁ、そういうことよ」

 トラグは軽く受け流した。

 

 地下第六層。

 地上からの追っ手の足音はますます多くなり、声を張り上げるほどだ。

 「止まったら終わる。前へ行け。──これが、あたしらの“帰り道”だ」

 

 そして、地下第七層。

 そこには広大な燃料庫が広がっていた。

 青白く光る冷却液の川。

 それを見た瞬間、全員の視線が交わる。

 ミンジュが笑った。

 「ここだ。あたしらの居場所は」

 ヨルサが天井を見上げた。

 「──上層、動く音。多い」

 「じゃあ、持ち場につけ。ハラン、ベレン、サムル、正面。トエルとサンテル、左右。ナカネラ、準備を」

 爆音。

 金属の扉が破壊され、敵が雪崩れ込む。

 サムルが吠えながら突撃する。

 「おらァ! アンゴスの名を覚えとけ!」

 斧が一閃、敵の装甲を裂く。

 ハランが暗器を投げ、反射的に背後を狙う。

 「俺を舐めんな、機械野郎!」

 光子弾が頬をかすめ、血が飛ぶ。

 「俺の事も舐めんなよ、機械野郎!」

 ベレンが真似をする。

 彼は笑って、次の一投を放つ──胸を撃たれ、倒れる。

 トエルとサンテル。

 長年の相棒は、無言で背を預け合いながら動いた。

 「右をやる」

 「左をやる」

 互いの呼吸がぴたりと合う。

 二人のナイフが同時に飛んだ。

 しかし、敵弾が飛び、サンテルの首を貫いた。

 トエルは振り返らず、最後のナイフを投げた。

 命の代償で敵を一人落とし──そのまま隣に崩れた。

 ナカネラは瓶を投げ、毒霧を発生させる。

 その霧は青く光り、敵の装甲を蝕んだ。

 「──毒ってのはね、死ぬまでが芸術なのよ」

 最後の瓶を割った瞬間、胸を撃ち抜かれ、微笑みながら崩れる。

 ヨルサは上層へ駆け、敵の照明装置を砕いた。

 光が消え、闇が支配する。

 その一瞬に、ミンジュは導火線を引いた。

 「ヨルサ!」

 「お頭!」

 松明が落とされた。

 火花が走る。

 その刹那、ヨルサの声が聞こえた。

 「──見て。あたしたちの朝が来る」

 爆風が吹き荒れる。

 燃料タンクが次々と破裂し、血と肉片がそこに滲んでゆく。

 ミンジュはそれを見つめながらふっと笑った。

 「──あたしららしい、派手な最期だったな」

 呟いた瞬間、最後爆音が全てを飲み込んだ。

 熱波が地上まで吹き上がり、彼らを追ってきていた葬兵、四十七体が破壊され、鉄に溶けた。 

 蒼白い炎が地上まで届いた。

 その光を見る者も、もういなかった。

 アンゴスの山賊たちは、その身を炎に変えて、戦場から消えた。

 だがその犠牲が、後に続く者たちの道を照らした。

 ──誰も知らぬ地下の焔が、ひとつの戦線を救った。


 

 エルメアもB班最後の呪術師として、最後まで仲間の血路を護っていた。

 ツタの術式は、もはやただの植物ではない。

 彼女の神経網そのものと同調し、命を糧にして成長する。

 「生きなさい、みんな──」

 エルメアは腕を掲げる。

 体内の魔力が、血流を通って地面へと降りていく。

 土が震え、蔦が咲き乱れ、街路を覆い尽くす。

 彼女の視界は緑に染まり、呼吸が遠のく。

 その蔦が最後の爆発を遮り、B班の背を護った。

 風の中で、彼女の声が残響した。

 「──土へ還るのも、悪くないわね」

 

 

十七 本当の戦いは今始まる。


 その場に生き残ったのは、端的に言えば七人だけだった。

 

 東方の槍雨はなおも立っていた。

 彼の槍は血と泥で真っ黒に染まり、目は遠くを見据えていた。

 カルベンは屋上で銃を肩にかけ、息を吐いた。

 ヨルテは静かに下界へ降り、破壊された回線の断片を見つめる。

 北方の稲妻は胸に浅い切り傷を負いながら、剣を鞘に戻した。

 コタルは膝をつき、両手に残った氷を溶かして遠くを見た。

 シタルはその場で震えながらも雷の余波を引きずり、身体は焦げた香りを放っていた。

 コリネは疲れ切った顔で伝令線を引き直す。

 

 瓦礫の中、炎の影で、仲間の多くの名前が消えていった。

 彼らは皆、ある意味で英雄であり、あまりにも愚かで、そして確かに必要だった。

 

 軌銃の群は、爆破により消し去られ、粘妖も崩壊した。人間の兵だったものは血となって血に這い、夕暮れの迫る地面を更に紅く染め上げている。

 ──しかし三十体の葬兵、層界はまだ生きていた。

 死ぬ事の無いという意味で絶対無敵の軍隊。それは今も行進を続けている。

 そしてその指揮官、モネリもまた無傷で上空に浮かんでいた。彼女は無表情に瞬きをすると、焼け野原へと降りたった。

 微かな、土を踏む音が戦場に響いた。

 彼女の足が土に触れた音だった。


 ──その音に、生き残った全員が振り向く。

 ──その眼に宿るのは、絶望のみだった。



  十八 最後の砦

 夜が崩れていた。

 陽が沈みきる前に、空はすでに焦げていた。

 ──その下に、七人がいた。

 サスタリ軍、生き残り。

 「東方の槍雨」「北方の稲妻」「コタル」「シタル」「カルベン」「コリネ」「ヨルテ」。

 もう誰も、援軍を待ってはいなかった。

 敵は、《葬兵》三十体、《層界》一基、そしてモネリ。

 彼女の額で光る《アクロ3》は、戦場全域の演算を掌握している。

 空間は層界により局地的に切り離され、再び結合される。

 モネリの周囲では、アシテルの符号式魔術陣が自動展開し、空気中の粒子が数式のように並列化されていた。

〈物質は記憶し──

 熱は祈る──

 そして、全て命は──

 朽ち果てる──

 全てはそう記録される───〉

   

 狙撃手カルベンは、その詩のような声を聞きながら、息を殺していた。

 熱線が空気を焼き、金属の香りが鼻を突く。

 「──化けもんだな。あの女──」

 「だが、あんな奴も倒せないなら、この人生も意味ねぇな」

 照準器にモネリを捉える──しかし、照準の先が一瞬で変形する。

 空間そのものが、層界の方程式で歪められたのだ。

 カルベンは焦点を外しながらも、無理やり狙撃。

 弾丸はモネリの右肩を掠め、魔術式が乱れる。

 その一撃で、《層界》の安定機構が崩れた。

 だが、直後に反撃が来た。

 モネリが囁く。

 「熱とは秩序の揺らぎ──

  ならば、秩序を焼き払え。」

 次の瞬間、カルベンのライフルが白く光り、内部から融解した。

 「──上出来だぜ──」

最後に笑みを浮かべ、彼は灰となった。

  

 コリネは瓦礫の上に膝をつき、両手を地面に当てていた。

 彼の能力は、触れたものに流れる重力を操作すること。

 仲間たちの重力負担を極限まで減らすため、戦場に流れる重力を軽くした。

 その間に、北方の稲妻が走る。

 雷の刃が闇を裂き、敵を焼く。

 しかしコリネの手が、もう震えていた。

 「まだ──抑えられる──」

 その声に応えるように、大地が唸った。

 次の瞬間、爆ぜた葬兵の破片が彼を直撃した。

 光と灰の中、コリネは笑った。

 「──やっぱり、星は嘘をつかないだね」


 稲妻と呼ばれた剣士は、無言で地を蹴った。

 音より速く、風よりも鋭く。

 刃の軌跡が光線のように交差する。

 立ち上る煙の中、彼の足音はほとんど聞こえない。

 跳躍、着地、抜刀、返し。

 すべてが一瞬。音ではなく“閃き”そのもの。

 「速い──」とコタルが呟いた時、彼はすでに十の敵を斬り捨てていた。

 刃が描く光の尾が、夕闇の中で稲妻のように瞬く。孤高の剣士の最後の、必死の輝きだった。

 最後の一歩で、彼は全身を使って跳んだ。

 剣がモネリの頬をかすめ、血が飛ぶ。

 その瞬間、モネリの目が僅かに見開かれた。

 感情があった。

「人間の速さ──計算外──」

 

 北方の稲妻から血が吹き出す。

 その胸を貫いたのは、背後からの破片だった。

 葬兵の一体が崩れ去りながらも放った最後の攻撃。

 彼は剣を地に突き立てたまま、膝をつく。

 「──速さだけじゃ──守れないものもあるんだ」

 微笑む。

 その刃先から、最後の滴が落ちた。

 それは血か、涙か、誰にも分からなかった。

 


 「みんな──勝手に先逝きやがって──」

 シタルは、膝をつきながらも雷を手に集め続けた。

 残る葬兵は十二。

 その全ての命を焼くために、彼は過去を燃やす。

 「不殺傷」──その誓いが、彼の力を止めていた。

 けれど今は、誰も守れない。誰も残っていない。

 「──すまない」

 彼は稲妻を体に纏い、精神を統一する。

 右手で天を指し、モネリ目掛けて雷を叩き込もうとする。

 しかし起きる前に“無効化”された。

 モネリが詠唱を中断したその瞬間、彼は跳んだ。

 右手で魔法陣を掴み、無理やり構造をねじる。

 「今だ──俺の雷よ、その姿を現せ──!

  最後の輝きを紡げ──!」

 虚空に一瞬の閃光。

 彼と彼の雷が運命に爪を立てて、お互いに共鳴していた──。

 《葬兵》二十体が機能停止。

 「やっと、少しだけ、罪を償えたな──」

 彼の身体は焼け焦げ、最後の一呼吸とともに沈黙する。

 その瞬間だけ、空は昼のように明るかった。


 ヨルテは地を駆けた。

 自らを無の境地へと消し去り、認識を拒んだ。

 透明な風のように戦場を駆けめぐり、一体一体、確実に敵を倒してゆく。

 切られた方は誰に何時切られたのか分からないまま、地面へと崩れ落ちた。

 モネリの認識魔術もその存在を把握できなかった。

 因座だけがヨルテの存在を知っていたが、何時どこにいて、何をするのか因座にすら予想が出来なかった。

 時折、因座の危機回避センサーが彼を捉える。その一瞬だけ、彼の短剣がモネリの機械仕掛けの首に届きそうになる。

 反射的にシールドを展開した直後、彼はまた空間の中に溶け込んでいるのだった。


 東方の槍雨が膝をつきながらも槍を構えた。

 その足元には、息絶えた仲間の影が幾つも並んでいる。

 彼女の視線の先には、ただ一人、モネリ。

 《アクロ3》の赤い光が、空を支配している。

 「──あんたを倒せば、全部止まるんだね」

 モネリは何も答えない。

 ただ、冷たく瞳を光らせるだけ。

 槍雨は、笑った。

 「なら、やってやる」

 彼女は全力で槍を投げた。

 閃光。

 そして沈黙。

 槍がモネリの額を貫いた瞬間、アクロ3が破裂した。

 モネリの身体が崩れ、光が弾ける。

 東方の槍雨も、同時に地面に崩れた。

 その笑顔は、確かに満ちていた。

 「──これで、全部終わりだ──」


 モネリは崩れ落ちながら、何かを呟いた。

 「──こた──る、──」

 その声は、戦場の風に吸われた。

 彼女の額から、白い粒子が舞い上がる。

 《因座》の回収プログラムが起動していた。

 《因座、非常自動操縦発動。生命維持を最優先──回収プロトコル、始動》

 静かな声が空気を満たす。

 光子が螺旋を描き、モネリの身体を包み、そして消した。

 コタルが駆け寄る。

 「あいつ──!どこへ行った──!」

 答えはなかった。

 ただ、戦場には風の音だけが残っていた。


 残るは、コタルとヨルテ。

 空気の匂いが変わる。鉄と血と、焼けた硝子の臭い。

 ヨルテは短剣を納め、コタルの肩に軽く触れた。

 「さあ、行こう。最後の使命を果たしに」

 「そうだね」

 ──ああ、そうだ。

 ──ゴルゴットの卵がもうじき孵る。

 

 彼らの足元で、凍った葬兵たちが静かに崩れていく。

 氷の結晶が、光を受けて白く輝く。

 ヨルテはその光を見上げながら、微笑んだ。

 「──綺麗だな。まるで──朝みたいだ」

 その言葉を最後に、彼は立ったまま動かなくなった。

 コタルは一人、氷の上に膝をつく。

 「──朝が来る──ゴルゴットが孵化する。急ごう」

 二人は白鋼宮を目指して駆け出した。

 ──時は近づいている。

 空が、一瞬だけ音を失った。

 ──遠くで、微かに鼓動の音がしたように感じた。



 


 


 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る