第2話 色のない絵と、泣く理由

 次の日、有馬はまたあの喫茶店へ足を運んでいた。

 自分でも理由は分からなかった。

 ただ、あの場所に行けば少しだけ呼吸が楽になる。

 そんな気がした。


 ドアベルが鳴ると、昨日の少年――蒼が顔を上げた。

 「また来たんだ。」

 「コーヒー、飲みたくて。」

 「ふふ、ここ、味は普通だよ。」


 そう言って、蒼はスケッチブックを開いていた。

 白と黒の線だけで描かれた街の風景。

 人々が行き交い、ビルが立ち並ぶ。

 けれど、どの絵にも“空の色”がなかった。


 「昨日も思ったけど、どうして色を塗らないの?」

 凌が聞くと、蒼は手を止めた。

 「……塗れないんだ。」

 「怖いって言ってたよね。」

 「うん。」


 蒼は、筆先を見つめながら小さく息をついた。


 「僕さ、昔、絵のコンテストで賞をもらったことがあるんだ。

  『この絵は、生きてるみたいだ』って言われて。

  でも、あの日……事故で妹を亡くした。

  僕が描いた絵を見せた帰り道だった。」


 静かな喫茶店に、時計の針の音だけが響いた。


 「それから、色を塗ると、妹の笑顔を思い出すんだ。

  青も、赤も、黄色も……全部、壊れた感じがして怖いんだ。」


 凌は言葉を失った。

 自分の中の灰色が、急に重くなった気がした。



 「……俺も、少し似てるかもしれない。」

 凌はぽつりと呟いた。

 「世界が灰色に見えるんだ。

  病気で、色が全部くすんで見える。

  信号の赤も、花の色も、わからない。」


 蒼は驚いたように目を見開いた。

 「ほんとに?」

 「うん。でも、最近少しだけ違う。」

 「違う?」

 「昨日、ここに来たとき――

  お前の笑顔だけは、色があった気がした。」


 その言葉に、蒼は目を伏せた。

 「……それ、たぶん気のせいだよ。」

 「かもな。」


 二人の間に、静かな沈黙が落ちた。

 だけど、その沈黙は不思議と居心地が悪くなかった。



 帰り際、蒼が言った。

 「また、来る?」

 「……うん。明日も。」


 外に出ると、雨が降り始めていた。

 街の光が濡れたアスファルトに滲み、

 どこかで小さな虹が生まれそうだった。

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