第二十八話 それぞれの戦の後
ダルキア帝国の帝都ヴァルキュリアの中央にある、帝城レガリアの側に国軍省はあった。
その中で、帝国軍に二人いる大将軍のうちの一人、バルザック=ガルド=ルヴェルはサトラムス渓谷攻略戦の報告を受けていた。
バルザックに用意された国軍省のほぼ最奥にある自室は、まるで高貴な貴族の邸宅にある応接室の様に豪華な家具や調度品に溢れていた。
南向きの窓の前にある豪奢な机の、これもまた名工が作ったであろう椅子にバルザックはその大きな体躯を預けていた。
バルザックの体は、大将軍という地位にありながら、すぐにでも戦場に出て大きな戦果を上げるのではと思わせるほどに鍛え上げられている。
机を挟んで直立する大隊長の前で、バルザックは自慢のモミアゲから顎に繋がるヒゲを撫でながら、淡々と話すその言葉を聞いていた。
「…一万か。」
一頻り、大隊長が話をしたところで、バルザックは重々しく呟いた。
「はい。正確には、一万のうち、三千が戦場を放棄し帰還しておりますので、実際の戦死者は七千ほどになります。」
「ウム。…それで今回、戻った者達の様子はどうなのだ?」
その言葉に、大隊長の額に汗が浮く。
「ハッ。前回同様に、ほとんどの者が退役の申請をしている有様です。」
「では、我軍は事実上、一万の兵を失ったということか…。それもたった二人のために。…戦姫は悪魔でも召喚したのではないか?」
バルザックは、自嘲気味に言ってため息を吐いた。
「加えて四竜騎士まで。…やはり乱戦の中で、思うような働きが出来なかったか?」
「…それが、戦いを見ていた者達の話によれば、それぞれが決闘のような形で二対一で戦い、結果、敗れたとのことでございます。その骸は、
その時、始めてバルザックの表情が僅かに動いた。
「なんと。あれほどの者達が…ガイウスまでが…。」
「はい。彼らを失った影響は全軍の士気にも及ぶと考えられます。」
バルザックは、大隊長の言葉に頷く。
彼の言葉通り、派遣した一万を補充するには徴兵した後に練兵し、半年もあれば形になるくらいには出来る。
特に近年は、
しかし、四竜騎士ほどの者達が一度に失われ、その詳細が世に出回れば少なからず影響が出るであろう。
そして、それは全軍に於いても無残な敗北の話を耳にすれば出陣を躊躇う者が出てきてもおかしくはない。それは、単に一万の兵を失ったという話だけでは済まなくなるということだ。
更に言えば、四人程の実力者が今後も現れるとは考え難い。
バルザックは、もう一度ため息を吐くと一旦、目を閉じた。そして、ゆっくりと見開くと大隊長の顔を見据えて静かに言った。
「…王国への侵攻は一時、停止とする。」
「は?」
大隊長は、自分の耳を疑った。
かつて、今回の報告以上に窮地に陥った南部諸国連合との戦いでも、バルザックからは侵攻を一時的にでも止める言葉は出なかった。
そのバルザックから、侵攻をしばらくの間でも停止すると言ったのである。
「……よろしいのですか?」
バルザックの言葉は帝国軍にとって絶対である。
大隊長はそれを聞き返すという事に、一瞬、躊躇ったがあまりの事に問い直した。
しかし、このタイミングでの侵攻停止は皇室に対しても、そして関係する諸侯や内偵している諜報部、強いては各戦線で対立する国々に対しても対応が変わりかねない大きな問題になる。
それに、それこそ全軍の士気にも関わる事だった。
「良い。…只、あくまでも軍を動かしての侵攻という意味だ。…戦とは、それだけがすべてというわけではない。…貴様もそれはわかるであろう?」
大隊長は、逡巡して頷く。
要は、その二人をどうにかすればいいのだ。
「…かしこまりました。諜報部と連携し人選を始めます。」
「よろしい。私の方はグランディア侯爵に協力するよう命じておこう。」
「ありがとうございます。…では、報告は以上になります。…他にご懸念される様な事はございませんでしょうか?」
バルザックの表情を読み取ろうとしながら、大隊長は最後にもう一度だけ聞いた。
「ない。早々に二匹の
「ハッ!」
大隊長は、胸に手を当てて敬礼するとそのまま部屋を後にした。
一人、部屋に残るバルザックはしばらく黙ったまま、正面を見つめていたが、突然、その顔に怒りの表情を見せると、その筋肉で覆われた太い右腕を振り上げた。
そして、ドン!!と大きな音を立てて机の上に叩きつける。それにより重厚な造りの机の天板がその衝撃にヒビが入った。
「…たかが傭兵風情が…。」
バルザックは、怒りを鎮めることなく歯を食いしばるとその猛獣のような口の隙間から呻いたのだった。
■△■△■△■
グランディア侯爵軍が王城に凱旋してから三日後。
盛大に行われた凱旋式の興奮に、王都中が冷めやらぬ中、アリステルとカレンは王城の地下牢で捕らえたローディックと面会していた。
ローディックが入れられた牢は、投獄された貴族用の物で、他の囚人達とは違い粗末であったがベッドがあり、小さな机と椅子も置かれていた。
その椅子に座ったまま、ローディックは仄暗い階段を降りてきた軽装備の女騎士二人に意識を向ける。
「…ローディック=セルム=ルドウィック将軍だな?」
小さな光の魔道具が照らす薄暗い地下牢の中、ローディックは、鉄格子越しに牢番の用意した椅子に座り、語りかけるアリステルを見た。
その横には、それを警護するカレンが立つ。
「…アリステル王女殿下か?」
ローディックは、会ったことはなかったが帝国でも噂されていた、女騎士の英姿颯爽としたその姿にアリステルだと直感した。
「…如何にも。…将軍。気分はどうだ?なにしろ、帝国の将軍を捕虜にするのは始めてでな。どう扱うべきか苦慮しておる。」
「思った以上に快適だ。王国に囚われるとその扱いは苛烈を極めると聞いていたが、そうではないのか?」
アリステルは、ローディックの言葉に無表情で答える。
「…それはお互い様であろう。」
「…そうだな…。」
二人は、お互いに探るような眼つきになる。
アリステルは、両腕を組んで憮然とした表情を見せると口を開いた。
「…それでは、最初に問いたいことがある。」
「…期待するな。私は将軍とはいえ、内政と国軍を調整するだけの役回りだった。故にあなたが望むようなことを語れることは少ないぞ?」
ローディックは、そう言って首を振る。
それでも、アリステルは表情を崩さぬまま話を続けた。
「良い。…では尋ねよう。…異世界人の二人に私が紅焔の戦姫と呼ばれていることを教えたのはお前か?」
「?」
ローディックは思わず口を開けたまま言葉を失う。
「…どうなんだ?」
「ククク…。何を聞くかと思えば…。王女殿下?」
「…なにが可笑しい?…まったく、笑い事ではないぞ?凱旋式が終わってからというもの、王族である私に、事ある毎にその呼び名でイジってばかりだ。…この始末、どうつけるつもりなのだ?」
そう言いながら、それまで不機嫌な表情を見せていたアリステルの口元が緩む。ローディックは、その様子にため息を吐いて言った。
「…あなたもスッカリあの二人に毒されているようだな?」
「…それは、貴殿も同じであろう?死ぬことを覚悟したと言いながら、食事もキチンと取り、顔も色艶が良くなっていると聞くぞ?」
その言葉にローディックは静かに頷きながら笑う。
「…そうだな。あの二人のために私はすべてを失う羽目になり、みっともない程に狼狽した。…しかし、今となっては、もっと早くにあの二人と会っていればと思っている…。」
アリステルもローディックと似たように頷いて笑みを見せた。
「…そうか。貴殿も相当だな。…わかった。それでは、貴殿には近日中に調整が取れた後、王都を出て帝国に帰還してもらう。」
「…なんだと?」
ローディックは、突然の言葉に驚いて聞き返す。
「言った通りだ。貴殿にはこのまま帰国してもらう。」
「なぜだ?なぜ殺さぬ?!…帝国が取引でも持ちかけてきたのか?!」
「…そんなものはない。帝国はなにも言って来ぬ。」
「では、なぜだ?!」
ローディックは、訳が分からずアリステルに食い下がるように聞いた。
すると、アリステルは肩を竦めて言った。
「…戦いの最中、あの二人は、貴殿に対して絶対に殺させないと言ったらしいではないか。」
ローディックは、サトラムス渓谷の戦いの時、本陣の天幕の前で耕助の言った言葉を思い出した。
「…それで良いのか?国に帰れば、私はあの二人のことを報告せねばならぬぞ?」
「良いも何もない。二人はそれも織り込んでのことであろう。…それに、あの戦の軍功第一等がそう言って聞かぬのだ。私にはそれを拒否することが出来ぬ。」
「…。」
ローディックは、しばらく黙ってアリステルを見つめた。そして、俄に口角を上げると問う。
「…王女よ。これだけは聞いておきたい。…あなたは、これからあの二人をどうするつもりなのだ?」
「分からん。」
アリステルは、即答して微笑む。
「…貴殿が私の立場ならどうする?」
「…。」
ローディックは、再び沈黙した。その答えはアリステルと同じだったからだ。
しばらく、アリステルの目を見ながらローディックは考えると自嘲気味な笑みを見せて口を開いた。
「…わかった。…王女よ。…私は肝心なことを聞くのを忘れていたぞ。」
「なんだ?」
アリステルは、その笑顔に怪訝な表情を浮かべて聞き返す。
「…二人の名前を聞くのを忘れておった。」
その言葉に、アリステルは呆れたような顔をしてカレンと顔を見合わせると小さく笑みを浮かべた。
「…やはり、貴殿も相当に毒されているな。」
アリステルは、肩を竦めてそう言うと、二人の名を告げて地下牢を後にしたのだった。
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