第5話 は!?え、なんで?!

 夕日が沈む頃、草原の色がゆっくりと変わっていく。

 金色の光が薄れ、代わりに群青の帳が地平線を覆い始めていた。

 クロはスライムを一体倒すたびに、短く息を吐いた。

 最初はぎこちなかった攻撃も、今では多少のリズムが出てきた気がする。


「……よし、これで十体目か」

 体力バーは減っていない。けれど、指先に微かな疲労感が残る。

 実際の筋肉痛ではないのに、妙にリアルな感覚にクロは驚いていた。

 草原の中央、月が昇りはじめる。

 昼間は眩しかった空が、群青と銀に染まり、風がひんやりと頬を撫でた。


「……夜になると、こんな感じか」

 思わず見惚れる。

 遠くの木々に淡い光がともり、小さな蛍のような粒子が漂い、月明かりが草原を照らしていた。


 昼とは別の世界。

 音も、空気も、まるで静謐な湖の底にいるみたいに変わっていた。



 目の前の草むらが、かすかに揺れた。

 クロは反射的にナイフを構える。

 薄闇の中、青白い粘体が浮かび上がる。昼間よりも濃い色をしたスライム。

 名札には《ナイトスライム 》とある。


「……あ、強化種か」


 油断なく距離を詰め、ナイフを振り抜く。

 だが、動きが速い。昼間の個体とはまるで違う。

 スライムの体表から、黒い液体のようなものが飛び散り、視界が一瞬揺らぐ。


「くっ……!」


 慌てて後退し、ナイフを構え直す。

 ミリィからもらった初心者用ポーションを取り出し、瓶を割ると淡い光が走り、体力ゲージが戻っていく。


「マジで助かるな……」

 再び踏み込み、スライムの中心を狙って突き出す。

 刃が沈み込み、数秒後、ドロリと溶けた体が地面に溢れ、ポリゴンの粒子となって消えた。

「夜になると敵が強くなるのか……覚えておこう」


 ナイフを腰に戻し、門のそばにある岩陰に入る。

 一息ついてウィンドウを呼び出し、ステータスを確認する。

「えーと……あ、レベルが上がってる」

 今日ログインした時は1だったレベルが、今は5にまで上がっていた。

「ステータスポイントを割り振れるのか……」

 レベルアップによって手に入れたステータスポイントは40。レベルが1上がるごとにステータスポイントは10貰えるようだ。

「うーん、今はまだ振らなくて良いかな」

 ウィンドウを閉じて岩陰から出たクロは、再び草原の中に入っていく。


 草むらが揺れたのと同時に、ナイトスライムが飛び出してくる。

 クロは草むらが揺れたのを確認したのと同時に体を半身にずらし、脇をすり抜けていくナイトスライムに突き刺す。後は勝手にナイトスライムが切れていく。ここまで来ると、作業のような流れになっていた。


 かなりの数のナイトスライムを狩ったクロだが、1つの違和感に襲われた。

「ナイトスライムが……いなくなった」

 最後の一体を倒してから10分。2分に一回は出てきていたナイトスライムが、綺麗さっぱりいなくなってしまったのだ。

「まさか……狩りすぎて絶滅したのか……?」

 そんな心配をしながらウロウロしていると、周囲が暗くなった。空を見上げると、先程まで晴れて月が出ていた空を、厚い雲が覆っていた。


 風も止み、騒めいていた草原に静寂が訪れる。

 まるで世界が息を止めたかのようだった。

 草の擦れる音も、夜虫の鳴き声も、完全に消えている。


「……な、何だ?」

 クロは眉をひそめ、周囲を見渡す。

 だが、何も起きない。ミニマップの表示も、いつの間にか消えていた。


 ――ゴウッ。


 低い唸りのような風音が、地の底から響く。

 空気が震え、地面がかすかに揺れた。

 その揺れは次第に大きくなり、クロの足元の草が波打ち始める。


「……地震?! いや、これは――」


 突如、草原の中央が黒く沈んだ。

 円形に、まるで巨大な陥没穴が開くように。

 そこから、ぬるりとした影が湧き上がる。


 青と黒の無数のスライムが、地の底から這い出してきていた。

 昼間とは比べ物にならない数。

 だがそれらは、すぐに形を溶かし合い、ひとつに混ざっていく。


 ――ずず、ずずず……。


 地鳴りのような音。

 混ざり合った粘体が、塔のように積み上がっていく。

 数秒後、草原の中央には異様な存在が立っていた。

 高さは十メートルを超える。

 形はスライムだが、体の内部にうごめくのは黒い靄。

 半透明の外殻の内側で、顔のような影がいくつも浮かんでは消えていく。


《エリアボス:スライム・ロード》


 視界に、赤文字のシステムメッセージが浮かぶ。

 その直後、重低音のような咆哮が夜空を裂いた。


「っ……マジかよ」

 クロは反射的に後退する。

 ボスの攻撃パターンは分からず、HPバーは物凄く長い。

 そして、スライム・ロードはゆっくりと動いた。


 地を這うように、巨大な体が蠢く。

 次の瞬間、地面が爆ぜた。

 粘液の塊が飛び散り、辺り一面に降り注ぐ。

 草が黒く焦げ、煙のような蒸気が上がる。


「酸攻撃……!?」

 急いで回避行動を取り、体勢を立て直す。

 だが、スライム・ロードは止まらない。

 その巨体が揺れるたびに、無数の小型スライムが滴り落ち、地を這って広がっていく。


雑魚スライム召喚まですんのかよ……!」

 クロは歯を食いしばり、ナイフを構え直した。

 目の前の巨体が、闇夜を覆いながらゆっくりと迫ってくる。

 草原の夜は、もはや闇一色に染まっていた。


「……逃げるか、戦うか」

 喉が鳴る。心臓の鼓動が耳に響く。

 クロは一瞬だけ迷った。

 けれど、次の瞬間にはもう笑っていた。


「――面白ぇじゃねぇか」


 ナイフを握り直し、地を蹴る。

 夜気を裂くように、一直線にスライム・ロードへと突っ込んだ。

 ぬかるむような地面を踏み越えながら、クロは回避行動を織り交ぜて接近する。

 巨大なスライムの表面が波打ち、黒い粘液弾が弧を描いて飛んできた。

 クロは横へ跳び、地面に滑り込むようにして避ける。

 酸のしぶきが頬をかすめ、画面の端に「微毒:5秒」と表示された。


「状態異常まであんのか……凝ってんな!」


 小型スライムが足元を這い回る。

 クロは振り下ろしたナイフで一体を切り裂き、その反動を利用して跳ね上がる。

 空中でスライム・ロードの体表に突き刺さるようにナイフを叩き込むが――刃は数センチしか入らない。


「硬ぇ……!?」

 瞬時に離脱し、距離を取る。

 巨体がうねり、衝撃波のような粘液を撒き散らす。


 クロは息を整えながら、ウィンドウを開いた。

「攻撃力が低いのか……?そんなら上げるだけ!」

 手早くウィンドウを操作し、ステータス画面を開く。岩陰から出た後もナイトスライムを狩り続けた事で、今のレベルは7。60ポイント溜まっているステータスポイントの内、20をSTRに割り振る。これにより、18あったSTRが38まで上昇する。


 ウィンドウを閉じたクロは、再びスライム・ロードに向かって行く。

 飛び掛かってくるスライムたちは、ナイフを軽く当てるだけで消えていく。

 ステ振りの効果はすぐに実感できる。手応えが違う。

 クロは口角を上げ、滑るようにスライム・ロードの懐へと入り込んだ。


「さっきまでの俺とは違うんだよ!」


 両手でナイフを握り、跳躍。

 月明かりの下、刃が弧を描く。

 スライム・ロードの体表に深々と切り込みを入れると、内部の黒靄が一瞬、波立つように逃げた。


「効いてる……!」


 だが次の瞬間。


 ――ピキィン。


 乾いた音が響いた。

 手に伝わる感触が、突然、途切れる。


「……え?」


 視界の中で、ナイフの刃が粉々に砕け散った。

 柄だけがクロの手の中に残り、無数の金属片が夜空に散る。

 スライム・ロードの核には、かすり傷すら残っていない。


「は!?え、なんで?!」


 クロはよく見ていなかったが、このゲームのアイテムには耐久値が設定されている。武器ならば、鍛冶屋などで手入れしてもらうことで回復できる。しかし、当然鍛冶屋に行ってないクロの《初心者のナイフ》はボロボロの状態であり、今の一撃で耐久値が切れ、壊れてしまったのだ。


 あたふたするクロを気にすることはなく、スライム・ロードの体表が大きくうねった。

 黒い靄が凝縮し、波のようにクロへと押し寄せてくる。

 体が宙に浮き、思い切り吹き飛ばされた。


 地面を転がり、ようやく止まる。

 HPバーが三分の一近く削れていた。


「クソッ……よく分からんが、これはやばい!」


 クロは息を荒げながら、壊れたナイフの柄を見下ろす。

 装備ウィンドウを開くが、予備の武器はない。

 唯一持っていたのは、スライムとナイトスライムのドロップ素材、《粘液》だけ。


「……冗談だろ。こんなんでどうしろってんだ」

 前方では、スライム・ロードが再び動き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る