ふたりぼっちの図書室 3

 訓がこの学校に来てから、数カ月が経った。

 今日から四年生になった訓は、いつも通り第一図書室のドアを開けた。

「あ、訓くん。進級おめでとう」

「和花ちゃんもでしょう。あ、名札の学年のところ、五年のままになってるよ」

「あ、そっか。そういえばそうだ」

 初めて来て以来、訓は毎日ここに通い詰めていた。そしてここに常駐している和花とも、段々と親しくなっていった。本の貸し借りだけでなく、二人で好きな本の話をしたり、時には室内の掃除をしたり。宿題で分からないところを、和花に教えてもらうこともあった。この図書室で、決して短くない時間を、二人は共有していた。

「きみ、今年も毎日ここに来るつもりなの? 第二図書室の方には行かなくていいの」

「だってあっち、流行りの本とか人気の本とかしか置いてないんだ。借りられてない本は、読んだことあるのばっかりだし。ひとの出入りも少なくないから、新しい本が入ったときくらいしか行ってない」

 どちらの図書室も、そう広くはないから仕方ないのは分かっているけれど。よく借りられる本が多い第二図書室に対して、第一図書室に置かれているのは主に、『古くなって、第二図書室では借りられなく/貸し出せなくなってしまった』本たちだ。こちらの方が、訓がまだ読んだことのないものが多くあって楽しい。

「でも訓くん、読むの早いからなあ。卒業するころには、こっちの図書室の本も全部読み終わってそう」

「……それは、どうかなあ」

 つい、言葉尻に溜め息が混じる。訓の様子に、和花が首を傾げた。

「ああ……ぼく、転校が多いから。卒業までこの学校に居られるかどうか……。もしかしたら、今年中には、また」

「えっ、そんな! せっかく、仲良くなれたのにね」

「ぼくも、残念。こんなに親しく話せる友達、今までいなかったから」

 訓が俯くと、和花は微笑んで、そっと言った。

「……そっか。じゃあ一緒に居られるうちに、もっといっぱい話さないとね」

「……ありがとう」

 彼女の言葉が、照れくさくなるくらいに暖かくて、優しくて、嬉しかったから。訓の声もまた、密やかに落ちた。

 その照れを見透かして、和花はくすり、と小さく笑う。そして、ふと思いついたといった様子で呟いた。

「けど、そっか。きみも、だったんだね。……だから、ここに……」

「……きみ『も』?」

 今度は和花が、照れたように笑った。一つ頷いて答える。

「わたしもね。友達つくるのとか苦手で。クラスには仲良いひと、誰もいなかったんだ。それどころか、ちょっと嫌われてたくらいで」

「嫌われてた……?」

 ちょっと想像つかない、というのが、訓の正直な気持ちだった。何があったら、そんなことが起こるのだろう。訓にとって彼女は、一緒にいるとそれだけで楽しいくらいの友達なのに。

「うん。誰も、理由は教えてくれなかったけど。……だから、教室が苦手で。休み時間になる度に、この図書室に逃げ込んでた。……その内、休み時間だけじゃ飽き足らなくなっちゃったんだけどさ」

「……何か、あったの?」

 胸の痛みを堪えながら、訓が問うた。

 だって和花の話は、彼とは程度が違う。訓のはただの話下手、人付き合い下手でしかないけれど、和花のは違う。嫌われていると判断できるということは、そう分かるだけの悪意を向けられているということだから。その挙句に保健室登校ならぬ図書室登校になってしまっているのなら、それは深刻なことじゃないのだろうか。

 だとしたら――力になりたい。初めてできた大切な友達に、何かを返したい。そんな小さな祈りから、訓は和花に続きを促した。

「……三年生になったばっかりの頃にね。体調崩して、遅れて登校した日があってさ。教室のドアの前まで行ったのはいいんだけど、……どうしても、それが開けられなくて」

 ドアの向こうの、他の子どもたちの視線を想像して。

 彼らから向けられる、心無いからかいの言葉を思い浮かべて。

 引手に手を伸ばすことも出来ず、足が震えて、竦んで。

「だから……だから、その日も、わたし、この図書室の前まで逃げてきたんだ。でも、休み時間じゃなかったから。開いてないかも、怒られるかもって不安になって、やっぱりドアを開けられなくて。……でも、ね」

 逡巡する彼女の前で、唐突に、そのドアが開いたのだという。

『……どうぞ、入ってらっしゃい』

 そう言って彼女を手招いたのは、その時の司書教諭。図書室に通い詰めていた和花にとっては、見慣れた顔ではあったけれど。そう言えば、あまり話したことはなかった、とそのとき気付いてしまった。

(……入って、いいの? どうしよう、怒られるかな。授業に出ないで何やってるんだって、言われたりしないかな)

 不安に身を縮ませながら入室した和花を迎えたのは、静寂に包まれた図書室と、何も言わず作業をしている司書教諭だった。戸惑う和花が立ち尽くしていても、閲覧席の椅子に座っても、本棚から本を引っ張りだしてきても、それを読んでいても……何も言わなかった。

「正直あの司書の先生のこと、ちょっと怖いなって思ってたんだよ。背すごく高いし、目つき鋭いし、声低いし。でも、……何にも言わないでくれた。担任の先生を呼んだりもしないで、わたしがただここにいることを許してくれた。だから、わたし……あの司書の先生のことが本当に大好きになったし、この図書室のことも、もっと好きになった」

 それ以来、和花は休み時間でなくとも、この図書室に出入りするようになった。司書教諭とも親しくなり、時折手伝いをしたり、本の話をしたりするようにもなった。……ちょうど、今の和花と訓のように。

「どうしても辛いときには図書室に行けばいい、って思えば、教室にいるのもちょっとだけ苦しくなくなったんだ。……でも、四年生が終わるくらいになって、司書の先生が退職しちゃうってことを知って。それと同時に、よく借りられている本とか、新しい本なんかを、ずっと空いている教室に移して、そっちをもう一つの図書室にするってことが決まって……」

 今の第二図書室のことか、と訓は頷く。あちらの方が日当たりがいいし、低学年の教室に近くて利用しやすいだろう、ということで、あちらをメインにして、それまで使われていた『第一』図書室は、ほぼ書庫のような扱いになることが決まってしまったのだという。

「先生がいなくなる日までは、ここにも自由に出入りできたし。五年生になってすぐ、図書委員としてここに入れるようになったから。教室にいるのがいやになったり、辛くなったりしたらここにくる、っていうのは変わらなかったんだけど。でも、やっぱり。先生がいないのは寂しかった。……だから、ね」

 きみが来てくれて、本当に、嬉しかったんだよ。

 和花が、訓の目を見つめて囁いた。

「きみが来てくれて、ここに通うようになってくれて、わたし、もう寂しくなくなったんだよ。この部屋の外のことはもうどうにもならないし、何にもできないけど……ここで楽しい時間を過ごすことは、まだ出来るんだって嬉しかった」

「……そんなの、ぼくだって」

 友達なんて、どうやったらできるかさえ知らなかった。

 こんなに毎日会いたくなって、こんなに話していて楽しい相手が、自分に出来るなんて思わなかった。

「ぼくだって、和花ちゃんに会えて、本当に嬉しいよ」

「ありがとう。……だから、ね。これからも、ここに来てくれたら、もっと嬉しいな。――きみが転校することになる、その日まででいいから」

「……うん、もちろん」

 訓の瞳に、迷いは無かった。夕焼けの色を受けながら、真直ぐに和花の目を見つめていた。

「ありがとう。……えへへ、嬉しいなぁ」

 その笑顔は、とても綺麗で。今までに彼女が見せた中で、一番喜びに溢れていた。

 それなのに、と、訓の胸裏がじわりと痛む。

 そんなぼんやりとした疑問が顔に出たのか、和花は少しだけ首を傾げる。

「もう、どうしたの、そんな顔して。……ほら、もうすぐ下校時刻だよ。急いで帰らなきゃ」

「う、うん。……あの、あのさ。また、来るからね」

「うん、またね」

「また来るから、……笑って」

 変なの、こんなに良い笑顔なのに。

(何で、今にも泣きだしそう、なんて思えたんだろう)

「……訓くんって、ほんとうに優しいね」

「え、えっ? どうしたの、急に」

「ううん、何でもないよ。……ほら、チャイムが鳴る前にさ。気を付けて、帰るんだよ」

 和花の笑顔が、少しだけ色を変える。その困ったような眉が、ようやく泣きそうな気配を薄れさせてくれたようで、訓は胸を撫で下ろした。

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