第17話
リリとヨシュアがカイルに追いつく頃には、すでに城門は落とされ、場内へと民衆がなだれ込んだ後だった。
思ったよりも騎士の数が少なかった。とはいえ互いに犠牲者を出し酸鼻を極める状況であることに違いはなかった。
昨日まで、それどころかつい先ほどまで動いていた人間同士が殺し合い、永遠に動かなくなる。
ヨシュアはその痛々しい光景を極力見ないようにしながら、カイルに従い天守を目指していた。
「……君の姉ならおそらく王が逃がしていることだと思う。悪いが、ここまで来たのなら天守までつきあってもらうぞ」
すでに抵抗する騎士の姿は少ない。城内へなだれ込んだ数百人のうち、まともに戦おうとしている者も少ない。多くは暴かれた宝物庫の方へ向かい、簒奪の限りを尽くしているようだった。
すべてカイルの目論見通りだった。
だが私怨を燃やしとにかく王を討ちたいと天守を攻めている人間もいないわけではない。籠城用にできているという天守は、内側から閉ざされると侵入の難しいつくりになっている。
カイル達が天守の前に到達すると、そこには大柄な騎士と、その周りに幾人もの叛乱軍の骸が横たわっていた。
「……近衛隊長だ」
十人ほどと相打ちになって、幾本もの剣や槍を体に受けたままになっているその騎士を痛ましそうに見やってから、カイルは天守の側面へと二人を誘った。
「……こっちへ」
正面では何人かの男が扉をこじあけようとしていた。それを横目に、ヨシュアとリリはカイルについて奥へと向かう。
閉ざされた要塞のような天守だったが、裏手には少し高いところにいくつか小さな小窓がついていた。檻のような金枠がはめ込まれていたが、カイルは石壁を器用に上り、それを手で外してから、中へと滑り込んだ。リリがそれに続き、ヨシュアは慌ててその後を追った。
何とか天守の中に降り立つヨシュア。
そこは廊下の隅だった。そして、先行した二人を見やると――リリが、カイルに刃を向けているところだった。
娘の目には、静かに燃える炎のような強い光がある。
「何となく分かってたけど、あんた、やっぱりこっちの間諜だったの。どうしてこんな入口を知ってるの」
「リリ、カイルは……」
取りなそうとしたヨシュアを制して、カイルは落ち着いた様子で口を開く。
「そうだ。だが、王を倒すという目的では君のそれと一致している」
「……信じられない」
「信じてもらえなくても結構」
そしてカイルはリリに背を向けて歩き出す。
「待て!」
「歩きながら説明してやろう。もう時間がない。私には、他の者が来る前に、為さねばならないことがあるのだ」
「この……っ」
ナイフを振りかざそうとしたリリを、ヨシュアは必死で押しとどめる。
「リリ。征こう」
「あんたもグルだったの……っ」
「違う。おれは姉さんを助けたいだけだ」
ナイフを握ったままじたばたと暴れるリリだったが、ヨシュアはつかんだ腕をけして放さず、カイルについて天守の上を目指した。
螺旋階段を上りながら、まるで自分にも言い聞かせているかのように、カイルはリリに冷静な声で真実を告げていった。
ラウドの目的。カイルの正体。そして、ミゲルの裏切り。
本当の仇がミゲルで、すでにいないことを告げられたリリは、一瞬放心するものの、やがて消え損ねた火が再び燃え上がり、やりどころの無い怒りを抱えてヨシュアに当たり散らした。
「どうして……どうして、もっと早く言ってくれなかったの! あたしの手で、殺したかった……!!」
胸を締め付けるような慟哭の声。ヨシュアはかける言葉が思い浮かばず、ただ彼女の手を引きながら上を目指した。
やがて、三人は最上階へと到達する。
血のようなビロード張りの廊下。その先に、目指す黒檀の扉があった。
姉を助けたいヨシュア。ファライナの仇を討ちたかったリリ。そして、いまだ最後の目的を明かさないカイル。
目指すものも求めるものも違う三人は、ゆっくりと扉を押し開け、中へと足を踏み入れた。
そこに広がっていた光景は――
血の海に斃れている太った男。そして、蒼白な顔をして玉座に腰掛ける、放蕩王ラウドの姿だった。
それは紛れもなく、ヨシュアが仮面劇で同席をしたあの男だった。
「陛下……!!」
顔色を変えたカイルが思わず駆け寄ろうとする。だが、途端に雷のような鋭い声がヨシュア達を打った。
「下がれ、下郎ども」
「――っ」
思わず固まるカイル。リリとヨシュアも何もできずに立ち尽くす。
「貴様らが叛乱軍とやらか。よくぞ来た」
にやりと笑うラウド。そして、自身の脇腹を示す。
「だが、惜しかったな。王を討った立役者はそこの大臣だ」
「……陛下……」
ヨシュアが横のカイルを見やると、王の一番の忠臣たる彼はわなわなと震え、泣き出しそうな顔をしていた。
「貴様らには我の首をやろう。だが……一つ頼みがある」
血が足りなくなってきたのか、浅い息をしながらもけして余裕の表情を崩さないラウド。顎で右後方を指しながら、続けた。
「奥の部屋、に……この大臣に巻き込まれて死んだ可哀想な女中が居てな……我とは何ら関係の無い娘だ。悪いが……、どこかに、弔ってやって欲しい」
突然の、不穏な言葉。冷ややかな予感を覚え、ヨシュアも顔をこわばらせる。
「とある人物に必ず返すと……約束した物を、返すことが……できなかった。つくづく…………愚かな、王だ…………」
独り言のようにそう呟いた放蕩王は、やがてゆっくりと金に縁取られた美しい目を閉ざしていく。カイルが息をのむ。
辞世の句すら残さず、まるで、美しい獅子が眠るように――
ヨシュア達が見つめる中、諸悪の根源、憎しみの頂点たる男が息を引き取った。
完全に脱力し、玉座の上で崩れるラウド。
カイルが膝から崩れ落ち、声にならない悲鳴を上げて慟哭した。
ヨシュアは彼の肩に手を置き何とか励まそうとするも、その前に、彼自身が涙を乱暴に拭い、立ち上がった。
「陛下。これより、最後の王命を遂行いたします」
そう言って、玉座へと向かう。
「君たちは見ないで良い」
かすれる声で告げられる。そしてカイルは結局留めることのできない涙をこぼしながら、ラウドをそっと床に横たえ――その首に、刃を向けた。
泣きながら、吐きながら。
カイルはそれでも、主君に命じられたとおりに、その首を落とそうとしているのだ。
「カイル……」
何もできずに呆然としていると、不意にリリがヨシュアの袖を引いた。
「ヨシュア。こっち」
いつの間にか激情を抑えたリリが、静かに言った。
「……何だ」
「いいから、来て」
そしてヨシュアはリリに導かれ、最上階の間の奥へと進む。主君の首を落とすべく痛ましい努力をしているカイルの横を過ぎ、玉座のさらに奥へ。
臙脂のカーテンが垂れ下がった先に、小さな部屋があった。本来の謁見の際の準備などに使うものなのだろう。だが今は倉庫のように季節の装飾品などが積まれていた。
そんな中に――フィオナが、いた。
「……フィー姉」
ぽつりとした呼びかけに、彼女は応えなかった。
埃まみれの部屋の中、雑多な物が立ち並ぶ中にもかかわらず、それは、まるで王妃の寝台のようだった。
腕を組み目を閉ざした彼女は、気高く、静謐で――美しかった。
肩から胸にかけての傷を隠すかのように、レースのヴェールがかけられていた。その気遣いを誰がしたのかは、明白だった。
「…………やっと、会えたのに。やっと、助けられると思ったのに」
ヨシュアはゆっくりと、温度を失ったフィオナの横に膝をつく。
そして、改めて、その白い顔を見る。
そこに苦悶の色はなかった。ただ、幸せな夢を見ながら眠るかのような柔らかい表情をしている。
「何があったかなんて考えられないけど……きっと、自分でこうなることを選んだんだな。フィー姉」
ふと、その手に古ぼけた指輪が握られていることに気づく。大きな翠玉を戴いた銀の指輪だった。おそらくは、ここに彼女を横たえた人物が握らせたものなのだろう。そこに込められた感情を想像できないほど、ヨシュアも子供ではなかった。
「他の奴らが来ないうちに、この人を運んであげた方がいい。ここに居たら王族の関係者と思われて辱めを受けるかもしれない」
「……分かってる。分かってるけど」
そう言って、ヨシュアは自身の手のひらに目を落とす。血の気を失ったそれは、小さく震えていた。
「体が、動かないんだ。もう、動けない。これから何をすればいいか、わからない」
「しっかりしなさい!」
「!」
リリが襟首をつかむ。
「あんたが傷ついているのだって分かる、あたしだってファライナが死んだときはおかしくなりそうだった。でも、状況を考えなさい。あんたが今この人のためにできることをしないと、きっとこの後永遠に苦しむ。
悲しむのは後よ。後でいくらでも慰めてやるから、今は立ちなさい」
言葉の内容よりもむしろ、彼女の剣幕に圧されたようなものだったが、ヨシュアは何とか拳を握りしめ、やがて頷いた。
「――ありがとう、リリ」
そうしてヨシュアがリリに支えてもらいながらフィオナを背負い、何とか歩き出したそのとき。
「陛下。それでは、参ります。どうか、私に力を」
希代の名君の忠実な臣下が、目的を遂げ、それを手に掲げたところだった。
そして、すべてを振り切るように顔を拭い、謁見の間を出て、先の窓からそれをつきだした。
そして、高らかに叫ぶ。
「王を、獲った!」
瞬間、割れんばかりの歓声が下から響いてきた。
叛乱は、成功したのだ。
民の心を束ね、周到に準備をし、奇襲をかけ、そして、王を斃す――すべてがかなった。
これからこの国はどうなるのか。悪い魔法使いが、意地悪な猫が死んでしまった国はどうなるのか。
ヨシュアは大きすぎる喪失感の中で、ぼんやりとそれを思いながら――姉の骸を背負い、天守を後にした。
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