第15話
建国祭。かつて初代王がシュレーベ湖のほとりに短剣を突き立て、ここに国を造ると宣言した日を祝い、国を挙げて行う祭りだった。
斜陽を通り越し薄暮すら失いつつあるこの国も、その日ばかりは空元気をかき集め、花弁が舞い酒が振舞われる盛大な祭りを執り行う予定だった。
その建国祭を一週間後に控えたある日のこと。この時ばかりは税金も免除され、久方ぶりに王都へと舞い戻る隊商も多かった。そのため外壁の関門も、人々が流入することにおおらかになっていた。
シュレーフェン叛乱軍はその期を逃さず、王都の外の各地域の代表者を集め、最後の打ち合わせを進めていた。
新たに用意した秘密のアジトにて、南の農村地域の代表者、北の鉱山都市の代表者などが集い、地図の広げられた卓を囲んでいる。
カイルに呼ばれ、ヨシュアもその場に同席していた。ユーリェン公司との契約の立役者として紹介され、それぞれの代表者に感謝と畏敬の念を込めて固く手を握られてしまった。
南北の代表者二人は、それぞれ腐敗貴族の支配下にある地域で、その打倒を目指しているとのことだった。さらに枝分かれしていくつかの街に同志を確保しており、自分たちがまず成功を収めれば必ず地域すべてが蜂起して盤をひっくり返すことができると熱く語っていた。
地図を見ながら話を聞いているうち、ヨシュアはようやく叛乱という言葉の実感を覚え始めた。
辺境のミノスよりは小さいが、シュレーベ湖を中心にしてほぼ四角い形の国土を要するシュレーフェン。北にラセイネ、西にエスレーヤ、南にミノス、そして東にアフスリンク。様々な国と隣り合い、独自の領域を守り保っている立派な一つの国だ。
――それを、覆す。
国を守り政を執り行う権力を持つ王を殺し、王政を打ち倒す。
その行為によって生じる結果、さらにはその行為のために流される血の量を初めて意識したヨシュアは、大人たちが人殺しについて熱く語り合う横で、一人怖気を覚え、立ち尽くしてしまっていた。
その晩のこと。
アジトでは決起集会という名の密やかな宴が催されていた。
一週間後の建国祭の日。武器を隠し持ち民衆に紛れて王城へと近づき、数を頼りに一気になだれ込んで天守までを制圧する計画だ。
いくら腐敗しつつあるとはいえ、王城内には近衛をはじめ騎士団が常駐している。祭りへの警備でいくらかは手薄になるだろうが、天守までの道を拓くのに、いったい何人の犠牲が出るのか。
人を殺すために、人が死ぬ。
自分のとりなしで得た武器で、人が戦って、死んでいく。
そう思うだけで、ヨシュアの心はざわめき、罪悪感にも似た感情に締め付けられた。
通いなれてしまった娼館。本来ならば娼婦と客が一晩限りの恋を演じるそこで、今は王国を転覆させるという目的をもって集った男達が酒を呑み歌い、愉しんでいた。
喧騒の中心から逃げてホールの隅で一人佇んでいたヨシュアの側に、不意に、細身の人影が近づいてきた。
「……リリ」
「情けない顔。今更怖気づいたの?」
かつてのリーダーに付き従い護衛をしていた娘だった。異国由来の褐色の肌を持つ彼女はシュレーフェン国内では目立ってしまうため、ファライナ亡き後は表立った活動はせず、ただ雌伏して主の仇討をする機会を待っていた。
「久しぶり。元気そうだな」
「あんたと話すと軸がずれる感じがして嫌い」
「はは、ごめんな」
力なく言って、再び目を床に落とすヨシュア。その眼前に立ったリリは、腕組みをして、棘のある声をヨシュアに投げかけてきた。
「死ぬのが、怖いの?」
「うん。それに、他の人が死ぬのも、怖い」
「馬鹿みたい。何をいまさら」
「うん、そうなんだ」
ヨシュアがなおも脱力したままそう言うと、リリは聞えよがしにため息をつく。
「今まで自覚してなかったことが驚きだわ。あんたはもうとっくに、人の生き死にに関わることに加わってたのよ。今更無垢なふりをしても惨めなだけよ」
「……本当に、その通りだ」
「…………もう」
しょげきっているヨシュア。リリは少しの沈黙の後、低く囁いた。
「抱かれてやろうか」
「……は?」
さすがのヨシュアも顔を上げる。目が合うと、その娘は存外にまじめな顔をしたままだった。
「戦の前に怖気づいた男を奮い立たせるのが、女の仕事だ。別に、あんたなら抱かれてやってもいい」
「……いや、断る。リリは、綺麗なんだからそういう安売りは良くない。大事な恋人とするべきだ」
「……………………」
やがて、リリの顔が朱に染まる。耳まで紅くなり、褐色の肌でもちゃんと分かるものだなぁと呑気に見上げていたヨシュアだったが――
「馬鹿!」
怒号とともにごつんと頭を殴られ、ヨシュアは椅子ごと背後の床に倒れた。
訳が分からないままに床に崩れたヨシュアをさらに一睨みしてから、リリはどこかに走り去っていってしまった。
呆然と残されたヨシュアを助け起こしてくれたのは、南の叛乱軍の代表者の男だった。
「坊主、政治的駆け引きはできるのに女心は扱えないかあ」
「……わけがわからない」
命の象徴のような大きく温かい手だった。しっかりと掴まれ、危なげなく起こされる。父親を亡くして久しいヨシュアには、いささか気恥ずかしさすら覚えるほどだった。
「いいか。おじさんの言うことをよく聞け。女の子からの申し出は、断わっちゃあいけない」
「分かった。肝に銘じておく」
その返事がおかしかったのか、リリの怒号で一時静まり返っていたホールが、どっと笑いに包まれる。
そしてヨシュアは手を引かれるままに輪の中に入らされ、盃を持たされた。
死にゆく可能性もあるというのに、男達の目には暗い光などどこにもなかった。今生きているということを目いっぱい楽しんでいるようだった。
勝手に彼らが死ぬことを確信して勝手に落ち込んでいたのが、やがて情けなくなってくる。
「さあ飲め。若人」
温かい手に支えられながら、ヨシュアは久しぶりの強い酒を呷った。
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