Rec.14

「こんな大袈裟なお礼なんてよかったのに…というか逆にチビ達のゲーム相手になってくれて、こちらこそありがとうというか…」


 翌日、写野からメッセージアプリで教えてもらった住所まで行くと、写野には開口一番そう言われてしまった。


『いやいや…本当に助かったんだよ。おかげで乗り切ることができたというか』


「そこまで重要なことだったのかい?」


『それはもう』


 ここに来るまでに、ちょうど良い言い訳を考えていたのだが、音楽のことならまだしも、不慣れな対人コミュニケーションでそんな都合よくアイデアが浮かぶわけもなく、結局深琴がとったのはゴリ押し戦法だった。


「まぁ…お役に立てたなら光栄だけど…そうだ、よかったら少し上がっていかない? チビ達にも紹介したいし、これもせっかくだし一緒に食べようよ」


 深琴にとってはあまりに予想外だったその提案に、一瞬思考が完全にフリーズした。


 同級生の、家に、上がる。


 ギギギとまるで錆びついた歯車のような思考が、辛うじて軋みながら、今の状況を改めて整理する。


 写野陸矢は同じ高校に通い、同じ学年で、同じクラスに所属する学生である。最初に話したきっかけは、花音と話していたスミスの話題をたまたま聞かれたことだった。


 そこからは連絡先を交換し、花音の作ったチャットルームで、スミスや他のVtuberなどの話に限らず、普段の学校生活のことの雑談を(主に花音が)するようになった。


 深琴は主に見ているだけなのだが、それでも稀にチャットを打ち込み、会話もしている。


 つまり、これまでの情報と状況をまとめるとこうなる。


 普段交流している友人の家に歓迎された。


 ビリビリと背筋に電流が走った。緊張によるものか、それとも動揺によるものか、はたまたそのどちらもか。


『僕が、写野の、家に?』


「えっと、そのつもりで言ってけど…どうしたの急にカタコトみたいに。もしかして、デバイスの調子が悪いとか?」


『いや、すこぶる調子はいいから問題ない』


 初めての状況にひたすら動揺しているだけとはつゆ知らず、写野は純粋な瞳で、見当違いの心配をしてくれている。


 深琴は情けない動揺を表情の裏に隠す。頭の中では、すでに友人の家に誘われるというシチュエーションに応じた対応について検索を始めていた。


 当初の予定では、お礼の品を渡して、その場で解散というものを想定していた。もし写野が何も言ってこなければ、当然のように深琴はそのまま踵を返していただろう。


 しかし写野から誘いの言葉が出てしまったことで、想定は崩れてしまった。ここから軌道を戻すのであれば、写野からの誘いを断らなければならない。


 ではどう断ればいいのか。普通に用事があるとでも言えばいいのか。


 いやいや、もしその嘘が見透かされたらどうする。それに嘘を吐いてまで、どうしても断りたいと思っているわけではない。


 待て。もしかしたら、これは一種の儀礼的な流れという可能性も考えられるのでは。つまり写野は別段誘いたいわけではないが、一方的に礼を受け取るのも座りが悪いということで、形式的な体裁を取り繕っているのではないだろうか。


 だとすると、やはり迷いつつも断るのが正解か。いや、これまでずっと他人とのコミュニケーションを避けてきた自分に正解なんて判断できるのか——裏の裏の裏の裏と延々と続く可能性で思考回路がパンクし、無表情のまま中空を見つめてしまっている。


「あの…えっと、大丈夫?」


『いや、すこぶる調子はいいから問題ない』


「さっきと同じセリフなんだけど…まぁ、いいや。とにかく入ってよ」


 写野は壊れた機械のような深琴に、終始困惑していた様子だったが、とりあえず玄関扉を開いて、深琴を迎え入れた。玄関に入った瞬間、異界の扉を通り抜けたかのように、周囲の空気が一変する。


 他人の家に入る感覚——随分と久しぶりに感じた気がする。


 一応他人の家に上がるのが初めてというわけではない。小さい頃は、それこそ幼馴染である花音の家に招待されたことはあった。


 しかし途中からすっかり彼女の家の空間には慣れてしまって、他人の家で感じる特有の新鮮な違和感というのは感じなくなった。


 というか、花音は平気なのにどうして写野の家に入るのはこんなに緊張するのか。不慣れな空間も相まって、浮き足立つ。


『弟さん達は家にいるのか?』


 沈黙のまま靴を脱ぎ、歩くのは耐えられなかったので、深琴は強張った声で尋ねる。


「うん、2人も夏休みに入ったからね。今は2階にいるよ。とりあえず部屋に案内するからついてきて」


 そう言って、写野はしばらく進んだ廊下の先にあった階段を登り始める。既にここは異界も同然。なんの法則も理解できていない自分は、写野の後をついて階段を登るしかなかった。


 階段を登ったところで、奥の部屋から子供の声が聞こえてきた。写野はまるで迷いなく、さも当然かのように、声のする部屋の扉を開けた。


 すぐに二つのまっすぐな視線を感じた。深琴は思わず、奥の壁を見つめる。


 視線の気配は動かないまま、少しの間沈黙が続く。向こうもいきなり見知らぬ男が部屋に入ってきて、固まってしまっているのだろう。


 深琴は恐る恐る壁に向けていた目線を下げていく。そこには整った写野の顔の面影のある子供が2人。1人は小学生くらいの男の子、もう1人は小学低学年か、あるいは幼稚園くらいの女の子だ。


 深琴と目が合っても、2人の視線は動かない。気まずい空気が流れ始める。


「それじゃ、俺はもらったこれを出したり、飲み物持ってきたりするから、皇は座って少し待ってて」


『えっ』


 唯一どちらとも接点がある写野の一時離脱に、深琴の視線が反射的にそちらへ走る。よりにもよって、こんな空気のまま離れてしまうのか。


 しかし深琴の視線での訴えはまるで届くことはなく、写野はそのまま部屋を後にしてしまった。


 気まずい空気がさらに濃くなる。深琴は扉の前で動けなくなっていた。写野の弟と妹も、動かない。こちらの一挙手一投足に身構えている様子だ。


 写野は座って待っていてと言った。深琴は2人を刺激しないようにそっと視線を動かし、部屋の真ん中に置かれた足の短いテーブルを見つける。


 とにかく言われた通りにすれば、問題はないはずだ。深琴は釘でも打ち込まれたかのように動かなくなっていた足をようやく持ち上げ、部屋の真ん中に移動して腰を下ろした。


 ほっとしたのも束の間、一瞬テーブルに落としていた視線を持ち上げると、まるで音もなく写野の弟妹2人が、目前まで迫ってきていた。


 驚きのあまり息が止まる。思わず声を上げなかった自分を褒めたい。


 ホラーか、あるいは猫か。


 以前に母親が見ていたホラー映画、あるいは余暇の時間に見ていた動画サイトのショートの内容が同時に思い浮かぶ。


 2人は近づいてきても無言だった。まだ警戒しているのか、それとも自分が話し出すのを待っているのか。


 写野が戻ってくる気配はない。このまま沈黙を続けていいのか。それとも何か話した方がいいのだろうか。


 待たれている気がする。話し出すのを。


 しかし自分よりもずっと年下の子供と話す経験なんて深琴にはない。大人には敬語で話せばいいだけが、その逆は一体どうするべきなのだろうか。


 知らぬ人に声をかける——直近でそうしたのはクラスで氷上と初めて会った時だ。あの時みたいに普通に喋ればいいのか。


 いや、いきなりそんな声のかけられ方をしたら怖がられるかもしれない。ならここは、あくまでも丁寧に対応するべきだ。


『ど、どうも初めまして。僕は君たちのお兄様のクラスメートである皇深琴と申します』


 口にした後、自分でも丁寧の意味を履き違えていると思いつつ、しかし出てしまった言葉を引っ込めることもできず、ただ目の前の2人の反応を待つしかない。


 しばらく様子を伺っていると、2人は不思議そうに目をぱちくりとした後、


「変な声ー。宇宙人さんなの?」


 先に口を開いたのは妹の方だった。


「こら、そんなわけないだろっ」


 すかさず弟の方が小さな声で、妹を叱りつける。とはいえ、その弟の方も深琴の声にはおっかなびっくりとした様子だった。


 子供には深琴の喉の筋肉や神経の微かな動きを読み取って、代理で発声してくれるこのチョーカーデバイスからの機械音声が、宇宙人に聞こえるらしい。


 そこで深琴の脳裏に妙案が思い浮かんだ。このチョーカーデバイスの隠された機能——それを使えば、この気まずい空気も多少和らげることができるかもしれない。


 深琴はもう長い間触れてこなかった、首の後あたりにあるデバイスのつまみを少しだけ動かす。


『アーアー、ボクハアヤシイモノジャナイ』


 するといつもの機械音声よりも幾分が高音となった声が出力される。


「わーっ! すごい、すごい!」


 急に変貌した声に、妹の方は大喜び。弟の方は不思議そうに深琴のデバイスを見つめている。小学生くらいの男の子は、こういう機械に興味があるものなのかもしれない。


 ともあれ、手応えはあり、だ。深琴は再度つまみを動かして、


『キョウハ、オレイヲシニキタンダ』


 今度はいつもよりも低い声で出力する。2人の反応は良し、少し楽しくなってくる。


 この音の高低の手動調節は、旧式のデバイスならではの機能だ。本来、出力される声の微調整をするためのものだが、新しいモデルは事前に声帯の形や、身長、骨格、体重などの詳細なデータを読み取り、最も適切な声が出力されるようになっている。


 まさかこの機能で、子供を喜ばせることになるとは思わなかった。


「——仲良くできそうでよかったよ」


 宇宙人として話しているところに、ふと背後から写野——陸矢の方の声が聞こえてくる。


『イ、イツノマニ…ア…』


 深琴は慌てて音声を戻す。動かしすぎたせいで、元の声がなかなか見つからない。


「お兄ぃ! 宇宙人さんすごいんだよ! いろんな声が出せるの」


「宇宙人じゃなくて、友達な。ほら、飲み物とお菓子持ってきたぞ。このお菓子、そこのお兄ちゃんが持ってきてくれたんだ、お礼言おうな」


「わーい! ありがとう、宇宙人さん!」


「ありがとう…」


 つまみを調節する深琴にお礼を言って、妹弟は陸矢の持ってきた飲み物と、お土産のお菓子に寄り集まっていく。


『あー…ようやく戻った』


「ほら、皇も食べようぜ」


『ありがとう…なんか、悪いな』


 お礼として持ってきたお菓子を、自分が食べることに軽く罪悪感を感じつつも、個包装のお菓子を一つ取って頂く。


 この短い時間で慣れない小さい子供の相手をしたからか、お菓子の甘さが心地よく身体を満たす。ちなみに中身は餡子のお菓子だったようだ。


「宇宙人さんっ お兄ぃの動画見るっ!?」


 テーブルを囲んでもぐもぐそれぞれお菓子を食べていると、妹の方が何の前触れもなくそう声を上げた。


『動画?』


「こらこら、そんなの見せなくていいから」


「でもお兄ぃの動画すごいんだよっ! 宇宙人さんもきっとすごいって思うよ!」


 どうやら妹は自分の兄の凄さを自慢したいらしい。勢いよく立ち上がったと思うと、部屋にあったPCの方へと向かう。どうやらスリープ状態だったようで、妹が軽くマウスを動かしただけでモニターが起動する。


『——え?』


 深琴は思わず間の抜けた声が出てしまった。何せそのミニターに唐突に映し出されたのは、あまりに見慣れた少女だったからだ。


 そう、自称スーパーAIこと命が、写野家のパソコンからまっすぐとこちらの世界を見つめていた。

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