Rec.06
しばらく音楽制作を我慢したこともあって、期末テストはそれなりの手応えで乗り越えることができた。
あとは結果をただ待つだけ。もうあれこれと考える必要は無い。
それから早々に帰宅した深琴はテスト終わりの解放感に身を任せながら、途中で止まっていた楽曲制作を再開した。
金曜日の午前に期末テストが終わり、そのまま休みに突入するので、制作は夜通し行われた。その結果、作りかけていた新曲はほぼ完成といえるところまで形にするまでに至る。
『よし…これならもう送ってもいいか』
深琴は一度楽曲を出力し、それをメッセージで三河に送信することにした。
日曜日——つまり明日、三河と新曲や今後の活動について、顔を合わせて話し合うことになっている。
それまでに新しい曲のイメージを共有できるかどうかは、テスト終わりの調子にかかっていた。しかしどうやら自分の想定以上に、音楽に触れなかった期間の鬱憤は凄まじく、溜まりに溜まった創作意欲を発散するために調子は絶好だった。
『今回の曲はどうだった?』
楽曲ファイルを添付したメッセージを送り終えた深琴は、ふとPCに向かって尋ねる。
命はすぐに顔をひょこっと出し、興奮冷めやらぬ笑顔を近づけてくる。
「もちろんっ! 素晴らしかったのです。今回の曲は一体的というか、運命的な流れを感じるような曲でした!」
命は今回の新曲の印象を端的に言語化する。それを聞いて、深琴は自分が曲に込めた意図が的確に反映していることに手応えを感じた。
今回の新曲は主音を軸に置いた対称性を強く意識して制作した。
Aメロは主音から始め、サビを主音で終わらせるようなコード進行にし、再び主音から始める。
さらに曲全体がアーチを描くような流れにし、始点と終点を同列にする。そうすることで聴き終わった後、始まりを想起して運命的な繋がりのようなイメージが生まれる仕組みだ。
またアーチ構造の流れにすることで、聴き手は次の音を想像し、その通りの音が返ってくることで、未来を覗き見ているような感覚になる。
想像と運命が連鎖し、音はどんどんと聴き手に流れ込んでいく。最大のポイントはその途中であえて不安定な音も入れることだ。そうすることで揺さぶりをかけ、予定調和の想像の中に、想定外を生み出す。
運命というものはある。でも、それは人間には決して測れない。全ては気まぐれな神様の掌の上にあるというイメージをそのまま音楽という形にした。
命による歌詞の生成も、曲調に合わせて1番と2番で、まるで対称的な内容になっている。これ以上にないという仕上がりだ。
『明日は、三河さんにも良い報告ができそうだな』
「マスターの音楽はいつだって神がかっているのですから当然なのです!」
いつもなら大袈裟だと釘を刺すように言っていたところだが、今日は良い出来の楽曲が完成したこともあってか、悪い気はしなかった。
テスト期間中に溜まっていた鬱憤や悶々とした気持ちも吐き出せて、気分は爽快。加えて自分の音楽が確実に進めていることへの手応えもある。
今日は良く眠れそうだ。
◇====◇ ====◇ ====◇ ====◇
日曜日。今日は三河と、新しいMV制作など今後の活動について話し合う日になっている。
深琴としてはテストさえ終われば、毎日引きこもりの暇人ではある。だから都合は三河の方に合わせる旨を伝えたところ、今日になったのだ。
どうやら今回も三河は張り切ってくれているらしい。
『それじゃ、行ってきます』
「行ってらっしゃい。帰ったら、ちゃんと詳しい話聞かせてよー」
リビングのソファに座って、録画していたドラマを見ながら、気の抜けた声で見送ってくる母親を、横目に通り過ぎ家を出発した。
昨夜のうちに母親に大体の話はしてある。基本的に皇家は放任主義なところがあるので、報告さえしておけば問題はない。
むしろ悩ましいのは命のことだ。契約書を交わすとなれば、それ相応の法的な身分が必要だろう。しかし命には戸籍もなければ、そもそも人間ですらない。
署名させてしまえば、多分私文書偽造罪とかになるだろう。
だからなんとか契約書を交わすのは深琴だけにしなければならない。そのためにはスミスの活動を、全て深琴の個人事業として運営しているという体裁を取る必要がある。
現実でもよくある手法だ。でも仕事の契約なんて当然初めてな深琴としては、どうしても不安が残る。何せ相手はプロの大人なんだから。
大丈夫だと言い聞かせながら歩いていると、あっという間に目的地へと辿り着いてしまった。
『確か…ここのビルだよな』
てっきり最初に顔を合わせた喫茶店をまた指定されるかと思っていたが、今日は全く別の店だった。
事前に三河から送られてきたビルの名前と、画像から間違いなく指定された場所だ。
深琴はビルの中に入り、細長いエレベーターで6階のボタンを押す。ゴウン、とエレベーターが動き出し、一度も止まることなく6階へと到着する。
エレベーターの扉が開くと、すぐに店だった。個人経営の隠れ家的レストラン兼バーといった雰囲気だった。
薄暗い中、レトロな置物や壁にかけられた絵が視界に入り、深琴はエレベーターから出た後固まってしまう。
しかしすぐカウンターにいた店の人に案内され、深琴は顔を強張らせたまま、個室へと通される。
契約云々の話をするということだから、完全個室を指定したのだろうか。確かに喫茶店で人がいる中でするような話でもないか。
緊張を紛らわすようにそんなことを考えながら部屋に入り、深琴はすぐ部屋の中のおかしさに気が付く。
「深琴くん! 久しぶり〜っ ほら、こっちに座って」
無表情のまま困惑しているところに、奥の席に座っていた童顔の女性——人気Vtuber兼イラストレーターである
今日の装いは、前回とは打って変わって全体的にダークカラーな雰囲気で、薄暗いこの店とマッチしている。
三河は深琴に向かって手を振りながら、もう片方の手で空いた彼女自身の隣スペースをぽんぽんと叩く。
『し、失礼します』
物々しさすら感じる部屋の空気の中でも、三河はいつも通りだった。その様子に安堵しつつ、深琴は三河の隣に座る。
正面には三河以外に3人の人物が、深琴の様子を伺いながら座っていた。そう、3人だ。
1人はスーツ姿の二十代後半くらいの女性、真ん中に同じくスーツで四十代くらいの男性。そしてその隣には、視線が自然と吸い寄せられる独特な雰囲気を持つ若い女性。スーツ姿の人よりもずっと若く見える。大学生くらいだろうか。
ドレスのようなワンピースタイプで、いかにも高そうな小物もつけている。髪はボリュームあるサイドテールでまとめていて、化粧も本人の美しさを完璧に引き出している。一部の隙もなく、その背筋もピンと伸ばされている。
芸能人——直感的に深琴はそう思った。佇まいが、明らかに常人のそれではない。
そんな人が、なぜこの場に同席しているのだろうか。今日はスミスのMV制作についての話し合いや、契約を交わすという内容だ。
深琴としては三河に加えて、担当のマネージャーが1人くらいのイメージだったが、契約となるとそれなりの人数が必要だということだろうか。
忙しなく正面の3人に視線を順々に向けていると、三河が深琴の動揺に気がついたのか、少し気まずげな声で、
「あー…ごめんね。ちょっとびっくりさせちゃったかな。急遽深琴くんに会いたいって人がいてね…今回の新曲にも少しだけ関わる話でもあるから、同席してもらったの」
『そうだったんですか』
状況を説明してもらい、ざわついていた胸の内がようやく落ち着いてくる。
「お邪魔してしまい、大変申し訳ござません。話にくいということでしたら、私と彼女は一度席を外しますが…」
真ん中に座っていた四十代くらいの男性が、申し訳なさそうに言った。その視線は芸能人風の女性の方を向いている。
つまり深琴に別件で用があるというのはこの二人ということだ。
『いえ、三河さんが問題ないということであれば、僕は気にしません』
「…その声、チョーカーから出てるんですか?」
ふいに芸能人風の女性が不思議そうな表情でそう尋ねてくる。隣の男性が静かに狼狽していた。
『…えっと、はい。生まれつき声が出ないので。このデバイスの機械音声で話しています』
「聞いていたけど…実際に聞くと不思議な響きですね」
微笑む女性に、深琴は少し面食らう。驚いたり、不気味がったりすることはよくあるが、不思議な響きなんて言われ方をしたのは初めてだったからだ。
「大変申し訳ございません…」
スーツの男性がすぐに頭を下げる。
『いえ…僕の方は別に気にしてませんので』
「ありがとうございます…もし差し支えなければ、私どもの方から自己紹介させていただいてもよろしいでしょうか」
男性は冷や汗をかきながらも、深琴に提案した。ただその意識は隣の女性に向けられている様子だ。
『あぁ、はい。ではお願いします』
深琴が頭を小さく下げながら了承すると、男性が流れるような所作で名刺を取り出し、こちらに差し出してくる。
「はい、私はティーリンクプロダクションでプロダクション統括をさせていただいております室谷と申します。そしてこちらは弊社タレントの——」
「ちょっと、自己紹介くらい自分でさせてください」
室谷の言葉が遮られた。深琴の視線は、芸能人風のその女性に向けられる。
その大きな瞳に吸い込まれそうだった。
「私はいち…っと、本名言っても仕方がないよね。えっと、ティーリンクプロダクション所属のタレント”
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