第17話 或る奇跡
17 或る奇跡
翌日、二人が件の教室に行くと、当然の様に誰も居なかった。
代わりに、教室の外で控えている筈のタウガが、入室してくる。
「あー。
ダメですね。
二百五十五名の生徒は、母国の政府にリタイアを申し出たそうです。
今の今まで、政府も生徒達を説得していたらしいんですが、無理でした。
申し上げにくいのですが彼等はもう、二度とリーシャ様達と関わりたくないそうです」
「………」
この時になって、リーシャは初めて自分はやり過ぎたのだと悟り、反省する。
これには流石のリーシャも、項垂れた。
「いや。
この場合、いい様に捉えよう。
あの程度の事で逃げ出す様な連中では、俺様達の授業にはついていけない。
早々にそれが分かっただけで、十分だ。
今は、そう思う事にしようぜ」
「……珍しいね。
ジュジュが、私を慰めるとか」
「そうか?
俺様はこれでも、リーシャには気を遣っているつもりだぜ?」
「あー。
確かに、そうかも」
ジュジュの励ましを受けながらも、やはりリーシャは気落ちする。
ジュジュとしては、実に珍しいリーシャだと思うしかない。
お陰で彼女達は、まだその事に気づかない。
いや。
それより早く、リーシャ達は、その異変を知った。
タウガが開けた扉の陰に、誰かが隠れている。
その事に気づいたリーシャは、その扉に近づく。
見れば、そこには見知った顔があった。
「……ひぃっ?」
彼女、ワルキュール・オゼはリーシャ・レグゼムの顔を見て、当然の様に怯える。
リーシャは、彼女の意図を問うだけだ。
「……どうして」
ワルキュールは、ここに居る?
或る意味彼女が一番、リーシャを怖がっていた筈ではないのか?
そう思うしかないリーシャは、不思議がるしかない。
ワルキュールは、生まれたての子鹿の様に震えながらも、何とか毅然であろうとした。
「――だって、このまま引き下がったら余りにも無様じゃない!
あんなに粋がって、でもその結果は最悪で、こんなの本当に酷すぎる!
ここで逃げ出したら、私は本当に只の負け犬なの!
だったら、負けると分かっていても、私は断じて立ち向かうべきなのよ!
私は自分の尊厳を懸け、あなたと対峙しなきゃならない――!」
「………」
正直、意味不明な言い分だが、リーシャはこう解釈した。
即ち――〝ワルキュール・オゼは自分達の授業を受けに来た〟――と。
それがどれほど尊い事か、リーシャは知っていた。
周囲の人々から畏怖されてきた彼女は、常に孤独だったから。
一度怖がられれば、その恐怖は一生その人物に付きまとう。
この時点で、その人物との関係性は、完全に破綻するだろう。
二度と気を許される事はないし、生涯敬遠されるのが、オチだ。
だが、このワルキュール・オゼは、その恐怖を克服しようとしている。
自分とリーシャの間にある繋がりを、断とうとしない。
ワルキュールの、この限りない勇気を知った時、リーシャは思わず彼女に抱き付く。
「――よかった!
ワルキュールだけでも、来てくれて!
本当によかったよ!」
「あ、う、あ」
恐怖の対象から抱擁を受け、ワルキュールの体は、硬直する。
だがその一方で、ワルキュールは、こうも感じたのだ。
〝……アレ。この人って実は、とても可愛い人なのでは?〟――と。
思えばこの時点で、ワルキュールは脱帽した。
実力的にも、存在の在り方としても、ワルキュールはリーシャに魅了されたのだ。
その事に初めて気づいた時、ワルキュールは顔を引きつらせながらも、口角を上げる。
それが笑顔という表情である事に、今のワルキュールは気づかない。
ワルキュール・オゼは――この時点でリーシャ達の数少ない教え子となった。
◇
「というか――僕ってワルキュールさんより先に教室に来ていたんですが」
「おお?」
「え?」
この時、誰もが驚きの声を上げる。
漸くリーシャから解放されたワルキュールも、それは同じだ。
だが、確かにそうなのだ。
先程まではその意味に気づいていなかったが、タウガ・アウヴァ曹長はこう言っていたから。
即ち――〝リタイアした生徒は二百五十五名だ〟――と。
生徒の総数は、二百五十七名だった。
ならばワルキュールの他に、もう一人リタイアを申し出ていない人物が居る筈。
それが、この彼だと言うのか――?
十七歳位の彼は、普通に頷く。
「ええ。
僕って昔から、そうなんですよね。
影が薄いと言うか、皆と居る時も、誰かに気づかれる事がない。
現に今も先生達でさえ、僕が教室に入ってきた事に、気づかなかったでしょう?」
「………」
それはそうなので、ジュジュ達は頷くしかない。
というより、リーシャには大いなる疑問があった。
「えっと、きみは大丈夫なの?
他の生徒と違って、私達を怖がっていない?」
「え?
いえ。
リーシャ先生の事は、確かに怖いですよ。
でも、それ以上に、僕はリーシャ先生の方がずっと辛いと思ってしまったんです。
だってあんなドス黒い何かを抱えて、今を生きているんですよ?
だから怖いと言うより、ある種の尊敬の念の方が、僕の中では強いです。
そう感じたら、不思議と逃げる気にもなれなかったというか……」
最後に曖昧な事を言って、彼は苦笑する。
と、席に座っていた彼は、徐に立ち上がった。
「……と、申し遅れました。
僕は――ザザン・エッドと言います。
出身地は、バリキリアという国です」
小国と言えるのが、バリキリアである。
発展途上国であるバリキリアは、それほど豊かではない。
今もその資源を為政者達が、独占しているから。
全ての国を回ってきたジュジュ達は、その事も知っていた。
「けどそのパワーバランスも、僕が先生達の技術を習得すれば、一変するかも。
僕が祖国に革命を起こして、完全な民主主義を実現する事もユメじゃない。
勿論秘密ですけど、それが僕の本心です」
〝本当に秘密ですよ?〟とザザンは屈託なく、微笑む。
と、彼は最後にこうつけ加えた。
「えっと、僕はワルキュールさんの様に、抱き付かれないんですよね、やっぱり?」
「………」
そう指摘された時、リーシャは無心でザザンに抱き付こうとする。
渋い顔でそれを止めたのが、ジュジュだ。
「いや。
普通に抱き付こうとするな。
というか、そんなに抱擁してほしいなら、俺様がしてやろう。
何なら、熱いベーゼもプレゼントしてやろうか?」
これに驚いたのはザザンではなく、リーシャである。
「……え?
ジュジュは、そういう趣味の人なの?」
「やかましいわ。
そんな訳があるまい。
今のは単に……あー、この場合何と言えばいい?」
この時になって、漸くワルキュールも、話に加わる。
「え?
そこは普通に〝リーシャ先生を庇った〟でよくない?
それとも〝リーシャ先生が他の男に抱き付く所を、見たくなかった〟と言うべき?」
「………」
と、ジュジュは一間開けてから、鼻で笑う。
「随分饒舌になったな、ワルキュール・オゼ。
その調子で、授業も頑張れ。
今の内に言っておくが、俺様は現時点できさまには容赦しないと決めた」
「は?
……は?
何でそうなるのっ?
意味不明過ぎて、理解が追いつかないんだけどっ?
というか、ジュジュって完全にツンデレだよね――っ?」
「やかましいわ。
俺様にも先生をつけろ、先生を」
とにかく、これで話は纏まった。
リーシャ達のゼミは、首の皮一枚で繋がる事になる。
その様をタウガ・アウヴァ曹長が――失笑しながら見守っていた。
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