第3話 手紙
翌朝、目覚めると窓の外は澄んだ秋空だった。冷たい空気が部屋の中まで入ってきて、毛布の端に触れるとひんやりと冷たい。
悠はそっと目を開け、昨日の夜のことを思い返した。丘で感じた、風の中の紗月の気配。
あの揺れるマフラーの感触が、まだ手のひらに残っているようだった。
台所に立つと、郵便受けに見慣れぬ封筒が入っていた。茶色の封筒。差出人の欄には何も書かれていない。しかし、筆跡には見覚えがあった。
——紗月の文字。
息を呑み、手を震わせながら封を切る。
中には小さな便箋が二枚。開いた瞬間、かすかな香りが漂った。紗月の香りだったのだろうか、あの甘くて懐かしい香り。
「悠へ」
と、最初に書かれていた。
内容は、短い文の連なりだった。
『覚えている? 私たちが最後に会った日。あの日、私はもう、遠くへ行くことを決めていた。でも、あなたに伝えられなかった。ごめんね。秋が来たら、あの丘で待っている——って、そう思っていたのに。』
読むほどに胸の奥が痛くなる。涙が自然と溢れ、肩を震わせた。
——彼女は、ずっと想ってくれていたのだ。
会えなくても、遠くから風に乗せて想いを届けようとしていたのだ。
便箋の最後には、小さく書かれていた。
『この手紙を見つけたとき、私はもうここにはいないけれど、 あなたが悲しまないでくれるように願っている。風がやむころ、あなたに会えたら——』
悠は立ち上がり、部屋の窓を開けた。
庭の木々の葉が、秋の光に照らされて金色に輝いている。風は穏やかで、昨日の丘で感じた静けさと同じものだった。
手紙を握りしめ、悠は思った。
——紗月は、風に託して、私を導いてくれていた。そして、今も導いてくれている。
その瞬間、悠の心に決意が芽生えた。
——あの丘にもう一度行こう。
そして、彼女の想いを、自分の胸にしっかり刻もう。
荷物をまとめ、リュックに手紙を忍ばせた。家を出ると、風が背中を押してくれるように吹いた。街路樹の葉がカサカサと揺れ、足元に落ちる。悠はその落ち葉を踏みしめながら、ゆっくりと丘への道を歩き始めた。
途中、昔よく通った商店の前を通り過ぎる。閉まったシャッターに、かつての落書きやポスターが色褪せて残っている。
思わず足を止めると、目の端に何か光るものが映った。古いポストの中に、一枚の便箋。
手紙ではない。写真でもない。それは、紗月の笑顔の切れ端のような、小さな紙切れだった。
紙を拾い上げると、そこには小さな文字でこう書かれていた。
「風の丘で、待っているよ」
悠は立ち尽くし、深く息を吸った。
涙が頬を伝い、風にさらわれる。でも、その涙は悲しみだけではなかった。懐かしさと温かさ、そして確かな希望が胸に満ちていた。
——紗月は、まだここにいる。
彼女の想いは、時間を越えて、風に乗って、悠のもとへ届いたのだ。
夕陽が丘の方角に傾き、空は金色に染まっていた。
悠は歩き出す。風に吹かれ、落ち葉を踏みしめながら、丘への道を確かめるように。
その足取りは、十年前の自分よりも少し、強く、しっかりしていた。
風がやむころ、彼女に会える——悠の胸に、その確信が静かに灯った。
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