第21話
「お待ちなさい。皆さん──義勇騎兵団の団長殿ですよ。
丁重に扱わねばなりません」
柔らかく、それでいて人を刺すような声。
焚き火の光の向こうから、白い衣が現れた。
修道服に似た純白の法衣。
胸には“蹄”の紋章──その上に、神聖樹の葉をあしらった刺繍。
それは浄蹄同盟の高位に立つ者の証。
「審問官、ベニス様!」
同盟員の一人が敬礼する。
「しかし、コイツら
「駄目ですとも」
ベニスは穏やかな微笑を浮かべた。
「
なんと素晴らしい忠誠心でしょう。感動いたします」
その声は穏やかだったが、底に潜む“冷たい笑み”がセリューネの背を冷やした。
「審問官殿。その
斧を持ち出すなど穏便とは思えませんが」
トウジンが問うと、ベニスは肩をすくめる。
「泥棒ですよ。我々の食糧を盗もうとしたのです。
いやはや……飢えた者に恵みを与えようという善意を妨げるとは、
まことに許し難い」
「……泥棒?」
セリューネが眉をひそめた瞬間──
兎の獣人が叫んだ。
「違う! 泥棒はコイツらだ! 俺たちの村から野菜を奪っていきやがったんだ!
俺は話をつけに来ただけだ!」
焚き火の明かりに照らされた兎の顔。
腫れ上がった頬、裂けた唇。
殴られた痕が、彼の言葉の真実を語っていた。
デュノールが剣の柄に手を置く。
その声は、低く、怒りを押し殺していた。
「……と、言ってるが。どう説明するつもりだ?」
空気が変わった。
ベニスの笑みが、ゆっくりと深くなる。
まるで──“問われたことを楽しんでいる”かのように。
「
あなた方も……そうでしょう?」
ベニスは穏やかな笑みを浮かべ、軽く肩をすくめた。
その声音には悪意しか感じられない。
兎だけでなく、セリューネたちまでもが侮辱された。
焚き火の明かりの中で、同盟員たちがどっと笑い声を上げる。
「貴様っ!」
デュノールが堪え切れず、剣の柄に手を掛けた。
「おやおや、落ち着いてください。これが目に入りませんか?」
ベニスはゆっくりと懐に手を入れ、一枚の巻物を取り出した。
ぱさり、と広げる音が夜気を裂く。
「……
セリューネの顔に苦悶が走った。
「ええ、そうですとも。太陽聖教の神聖なる御印により、
我々は
神に代わって裁く──ありがたいことです」
ベニスは恍惚としたように目を細め、巻物を光にかざした。
その聖印の下で、焚き火の炎が小さく揺らめく。
「姫……あれを出されては、太陽聖教の司祭でも連れてこぬ限り、
何も言えませぬな」
トウジンが低く呟く。
セリューネは唇を噛み締めた。
剣を抜けば、叛逆者の汚名を着せられる。
何も言わなければ、ただの共犯者。
──王国の正義とは、これほどまでに腐っているのか。
彼女の拳が、静かに震えていた。
「さぁ! お話は終わりだ。刑を執行するぞ!」
同盟員たちの掛け声に、露天の空気が一斉に硬くなる。
子供の泣き声が遠ざかり、石が石を弾く擦れる音が雑踏に混ざる。
斧が新しく振り上げられる。木の柄が軋む音すら、はっきり聞こえた。
「待て! まだ話は終わっていない!」
セリューネはランスを掲げ、ひとり前へ出る。
胸の奥がざわつき、鎧がいつもより重く感じられる。
息が浅くなるたび、鼓動が耳に響いた。
「終わりだ! 終わりだ!」
「私たちの総意だ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ!」
叫びは波のように広がり、群衆の声がセリューネを押しつぶす。
焚き火の煤と湿った土の匂いが鼻を突き、彼女の喉を詰まらせた。
視線を巡らせれば、手を振り上げる腕、むき出しの歯茎、目の奥の怨嗟。
──そこに同情はない。
「くっ!」
セリューネは一歩を踏み出した。だが、背後からトウジンの手が肩を掴む。
老人の手の暖かさが、しかし安堵ではなく、諦めのぬくもりを伝える。
トウジンは視線を逸らし、静かに首を振った。言葉はない──
セリューネの唇が震え、胸が押し潰されそうになる。
彼女は己の槍の柄を握り直し、目の前の焚き火が跳ねるのを見ていた。
(——私は、誰のために、何と戦うのだろうか)
その思いが胸を貫き、セリューネの足は地に強く根を下ろしていた。
全ての終わりを悟ったはずの兎は、しかし──目に光を宿していた。
命は数秒。だが、光は消えない。
「……喰われてしまえ」
その声は、騒音の海に投げ込まれたひとつの石のように、水面を広く震わせた。
群衆のざわめきが、消えた。なぜか、皆の耳にその一言だけが届いたのだ。
「皆、喰われてしまえ! 獣王様の大きな口はお前らの首元にあるぞ!!」
静寂が一瞬走ったあと、空気が再び裂けるように変わった。
『獣王』──その名は昔話の恐怖であり、神託でもあり、忌むべき怪物の名だ。
今、そこに声として落ちてきた。
「なんという……なんという……貴様! この期に及んで獣王だと!!
不敬にもほどがある!」
ベニスの顔が紅潮し、指先の血管がぶるりと震えた。
彼は思わず拳を振り下ろすように手を振った──命令の仕草ではなく、
発作めいた怒りの所作だった。
「最早、生かしておく理由も無い! 殺せ!」
その叫びは群衆の延焼に油を注ぐ。
声が重なり、短く、断片的な掛け声が波打って伸びる。
「殺せ、殺せ!」「駆逐しろ!」「神に裁かれよ!」
だが──兎の叫びはすでに埋没してはいなかった。
空気に落ちた“獣王”という言葉は、群衆の心に小さな種を残していた。
恐怖という種を──
──続く。
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