隠居神様、事件です!

因幡咲良

はるかぜこおりをとく(前編)


 民に惜しまれながら隠居を宣言した神様は、今、その民と共に賭博にのめり込んでいる。

 僕が金の都に訪れたこの日も、彼はくらべうまに金をつぎ込んでいた。


 くらべうまっていうのは、本来はとても神聖な神事らしい。このためだけに飼育された優秀な馬達を走らせる、特別な催し物なのだ。

 筋骨隆々のでっかい馬達は、たくましくも凛々しくて、子供心に見てもかっこいいと思う。でも、誰かがお金を賭けだして以来、馬達は賭けの対象にされてしまっていた。


 だが蛇骨じゃこつ様には、悲しいかな、賭け事の才能はなかったらしい。

 僕が賭博場に着いたこのときも、彼は民に金をむしり取られ、地面に這いつくばっているところだった。


「ああああああああ! 僕のお金がああああああ!」


 蛇骨様の心からの絶叫が響いて、走りを終えたばかりの馬達が少し怯える。

 だけど蛇骨様は、人の目なんか気にせずおいおいと男泣きしていた。


 見た目は青年とはいえ、神様がこんな情けない姿をさらしていいのだろうか。涙ながらに地面でのたうち回る姿は、正直、信仰する者としてはあまり見たくない。

 でも、僕以外の民の人達は皆慣れているのか、呆れるどころか失笑しだした。


「はっ! いい気味ですね蛇骨様! 先日うちの野菜を値切った罰ですよ!」


「はあああ!? あれはあんたも納得しての交渉だっただろーが!」


「あんな詐欺まがいの交渉、納得できるわけないでしょーが! いつもいつも、舌先三寸でうまく丸めこみやがって!」


「その舌先三寸で丸め込まれちゃうあんたが単純なんじゃないですかぁ!?」


 やいのやいのと言い争う蛇骨様と国民を見て、僕は頭を抱えてしまう。


 蛇骨様は一番長くこの国を支えてきただけあって、国民との距離感は一番近い。でも、あんまり馴染みすぎているのも困りものだ。

 そりゃあ、壁がない関係性は素晴らしいけども……。そのおかげで皆、皇帝である僕に対してもフランクに接してくれるから助かっているんだけども……。でも、やっぱり、この関係性には頭が痛くなる。


「じゃ、蛇骨様。一旦落ち着きましょう……!」


 僕が蛇骨様を引き剥がすと、彼はようやくこちらの存在に気付いた。彼は僕が賭博場なんかにいることに驚いて、咎めるように金色の目を細める。


「は? うわ君、なんでここにいるんですか。皇帝様が護衛もつけずにこんなところに来ちゃだめじゃん」


 むに、と頬をつままれて悲鳴が零れる。僕が嫌がるとケタケタと笑って面白がるのが憎たらしい。僕は不満をあらわにして手を振り払うと、彼に向かって手のひらを突き付けてやった。


「ご安心を。護衛の者はちゃんと離れたところに待機しています。……そんなことより、大変なことが起こりまして」


 僕の言葉に、蛇骨様だけじゃなくて、周りの国民達も首を傾げる。

 僕は、霜みたいに真っ白な蛇骨様の髪を眺めて、大真面目に声をひそめた。



「大事件なんです。……このままでは、今年の夏が越せないかもしれないんですよ」






「夏が越せないってなんじゃそらって感じだったけど、なるほど、そういうことね」


 街を歩いてみてようやく事態が飲み込めたのか、蛇骨様は乾いた笑みを零す。


 蛇骨様が覗いていたのは魚屋だ。本来なら、温かくなってきた今の時期に合わせて氷が敷き詰められているはずの桶が、ひたひたの水で満たされていた。鼻をつく生臭さに、魚が傷んでしまっているのがよくわかる。

 だけどこれは、魚屋のおじさんの不注意ではない。しかも、氷が溶けているのは、なにもこの店だけではなかった。


 そう。この街のすべての氷が、一斉に溶けてしまったのである。


 特に被害を被ったのは氷屋だ。夏に売りさばくはずだった商品がすべて溶けてしまい、店のおじさんは見てられないほど落ち込んでいた。

 涙目のおじさんいわく、夏でもないのにいきなり熱風が吹いて、数秒も持たず氷が溶けてしまったらしい。


「被害は? 他の都でもこんなですか?」


「えっと、今のところはこの金の都だけ被害が広まっているようです」


「ふぅん。なら、氷魚ひおのところから氷を調達すればいいんじゃないですか?」


「それはもう手配済みです。水の都なら、氷も潤沢でしょうし……」


「それなら、僕は別にいらなくない?」


 やる気を出さない蛇骨様に、僕はぷっくりと頬を膨らませる。


「氷が溶ける原因を突き止めなきゃ、また同じことの繰り返しじゃないですか」


「それくらい、皆でなんとかできるんじゃないの? いつも言ってるけど、僕達はもう内政から手を引いたんですよ。国内のトラブルの解決は、皇帝である君のお仕事です」


「本気で言ってるんですか……!? 僕、まだ12歳ですよ……!?」


「それがなんだと言うんですか。いいですか、幼いうちから国の頂点に立つことになった人物はたくさんいます。異国ではもちろんのこと、この国の長い歴史の中にだって……」


 また理屈をこねて丸め込もうとしているのを察して、僕は黙り込む。蛇骨様はそれを見て早くも勝ち誇った顔をしていたけれど、次の僕の一言で固まった。


「……協力してくれなきゃ、賭け事のこと、獅童しどう様に言っちゃいます」


「……は?」


「蛇骨様、悪い遊びについて獅童様にいい顔されてなかったですよね。いいのかな。獅童様の拳骨、めちゃくちゃ痛いのにな……」


 じっとりと蛇骨様を睨みつけながら言えば、彼はひくりと顔を引きつらせる。


「こ、このガキ……。どこでそんな脅し文句を覚えたんだ……」


「知りません。口がよく回る、誰かさんのせいじゃないですか?」


 ぷいっとそっぽを向けば、蛇骨様はわなわなと震えた。しばらく百面相していたけれど、獅童様の拳骨の威力を思い出したのか、がくりと肩を落とす。


「……仕方ないですね。まったく、僕もお前には甘いものです」


 蛇骨様は溜息をつくと、おもむろに僕の体を引き寄せた。面食らっていると、神力で体が浮き出したので、慌てて彼にしがみつく。


「じゃ、蛇骨様、どこに行くつもりなんですか……!?」


 落ちないよう必死になりながら叫べば、蛇骨様は、金色の目を皮肉げに細める。


「決まっているでしょう。……氷を溶かした、犯人のもとですよ」


 呆気にとられる僕を抱えて、蛇骨様は、行く先も告げずに空を駆けていくのだった。

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