第9話



 誰も知らない劇場の最奥。


 暗幕のさらに奥、埃をかぶった照明機材の影で、霊能力者・クオンが膝をついていた。


 血を垂らし、円陣を描く。


 口の中で何百年も封印されてきた言葉を唱える。


 それは、命と引き換えに魂の記憶ロックを解除する術式──。


「……解錠、始動」


 その瞬間、劇場全体が震えた。


 照明が白金から紫へと変わり、音響が“記録の頁が裂ける音”を奏でる。


 観客はそれを“演出”だと信じ込む。


 だが、舞台上では記録そのものが書き換えられていた。


 神々の記録帳が脈動を始める。


 頁の隙間から光が漏れ、文が生き物のように蠢く。


 《記録の解錠》《契約の再起動》《魂の暴走》


 神々の筆が震え、過去と現在と虚構の境界が崩れていく。





 ギルガメッシュ――煌がのたうち回る。


 観客は息を呑む。迫真の演技だと思い込む。


 だが、彼の中では記憶の奔流が始まっていた。



 ¤ ¤ ¤ ¤ ¤


 イシュタルを拒んだ日。


 シャマシュの加護を盾に、成長を疎んだ記憶。


 転生のたびに、同じ顔の女=カルマ=イシュタルを追い、執着し、手に負えず、捨て、恨まれ、また繰り返してきた記録。


 そのすべてが、いま一つに重なっていく。


 ──そして、心の奥で声がする。


「俺たちは、世界の終幕後に再び王になるつもりだった。

加護を失わないために、成長を拒んだ。

魂が腐ると知らなかった。

気付いてからも、俺の気持ちは変わらなかった」


「だから、エンキドゥも諦めた。

一緒に腐ることにした。

再び別れないために」


 何千年分の“逃げ”が、彼の内側に雪崩れ込む。


 ¤ ¤ ¤ ¤ ¤



 照明が赤黒く揺れ、舞台の空気が変質する。


 観客の視界が歪み、現実が劇に吸い込まれていく。


「このままでは、俺が世界を壊す」


 煌の声が──演技ではないポツリと漏れた声は、誰にも届かない。




 記憶の解放とともに、ギルガメッシュの魂が古の契約を思い出す。


 封印されていたシャマシュの加護が再接続され、太陽の力が肉体に宿る。


 照明が暴走する。


 光はもはや照明機ではなく、実際の太陽光だった。


 客席の観客が顔を覆う。


 舞台の熱気が現実の温度を侵食していく。


 音響が焦げ、マイクが爆ぜる。


 空調が狂い、劇場全体が息を詰めるように止まった。


 スタッフが非常灯を点けようとする──だが。


 電源が、消えていた。


 暗闇の中、ひときわ眩しい光の中心で、

 煌──ギルガメッシュが、静かに笑う。


 その笑みを、神々の記録帳が刻む。


《器の覚醒》《加護の暴走》《現実の侵食》


 その瞬間、舞台と世界の境界は──完全に失われた。







 ギルガメッシュは城壁を築く。


 その中で独り、己の存在を問い続ける。


「魂を浄化するのではなく、破壊の使者になる」


 彼が手にしたのは自戒ではなく王冠。


 それは神の意志を象徴するものだったが、彼の掌で軽く震えた。




 天井の高みに、低く響く声が落ちる。


「神の子よ、聞くといい」


 煌──ギルガメッシュは、声の正体が神であると理解した。


「俺は……最初から……壊すために作られた……?」


 問いの瞬間、王冠が粉々に砕ける。


 破片が空中で光を反射し、神の声がさらに厳かに響く。


「確かに私は、壊すためにお前を設計した。

だが、更正するチャンスは何度となくあった。

それを選ばなかったのは――ギルガメッシュ、お前自身だ。

ニンスンは見守り、シャマシュは守り、エンキドゥは信じた。

選んだのは、神ではなく魂だった。」


 ギルガメッシュの周囲に、光と影が渦を巻く。


 王冠の破片が舞台の空気を切り裂き、城壁の一部が現実に侵食する。



 その時、舞台の暗部が音もなく裂ける。


 照明が一瞬、全方向から吸い込まれ、劇場全体が“記録の空白”に沈む。


 空気が凍り、観客の鼓膜に**無音の圧力が走る。


 そして、設計者たち──神の影が顕現した。


 冥界の女神・エレシュキガルが立つ。


 衣装は黒曜石の霧。


 その足元から、舞台の床が死の砂に変わる。


「終幕は人間を創った時から計画されていた」


 記録の神・ナブーが現れる。


 彼の周囲には、文字の残骸が宙に浮かぶ。


「エンリルもエンキ無断で洪水を起こした。

あの世には人間を愛し子とする者ばかりではない。お前の守護者のように」


 声が重なる。


 それは神々の言葉ではなく、 記録帳そのものが語っているような響き。


「「最初の神の子よ、聞け。

お前の母は、王の覇気に耐えられなかった。

神話の波動が、彼女の魂を押し潰した。

それは、愛ではなく圧。

守られることで、彼女は壊れた」」


 その言葉が落ちた瞬間、 舞台の空気が金属のように軋む。


 照明が赤黒く揺れ、観客の心拍が、音響に同期する。


 煌は言葉を失う。


 自分の魂の腐敗が、母の崩壊をもたらしたとは知らなかった。


 その胸痛は、演技ではない。


 ──舞台全体が、彼の痛みに共鳴して震えた。





 舞台の壁が轟音と共に崩壊する。


 現実が舞台に侵入し、観客席が揺れる。


 観客席に異常な振動が走る。


 椅子が軋み、床が波打つ。


 誰かが悲鳴を上げた。


 誰かが立ち上がり、出口へ走った。


 だが、扉は開かなかった。


 照明が赤黒く暴走し、 天井から降り注ぐ光が皮膚を焼くような熱を帯びる。


 照明が暴走し、赤黒い光が天井から降り注ぐ。


 音響は破裂し、風のように割れた声が劇場を包む。


 劇場全体が“風のない嵐”に包まれる。



 神々の記録帳が刻む文字。


 《記録不能体、現実侵入》


 舞台と現実の境界が消え、ギルガメッシュの咆哮が、世界に直結した瞬間だった。


 観客の視線は凍りつき、誰も息をつけない。


 王は、自らの破壊と真実を、目の前で体現していた。





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