第十一話 キャンパーズヘブン

 意味深なルイの言葉は酔いが醒めるとすっかり頭のなからも消えてしまっていた。あの夜、焚き火を囲み酒と肉を嗜みながらとても大切なことを耳にした気がするのに。


 ジリジリと太陽に照らされ、身体中から汗が流れ落ちていく。蝉時雨が降り注ぎ、空では入道雲が気持ちよさそうに天へと伸び上がっている。家に咲いていた紫陽花もすっかり枯れ、季節がまた一つ進んだことを実感した。


 あのルイと焚き火をしてからというもの、姫乃咲さんとキャンプに行く日がなかなか決まらず、夏休み直前になってようやく日程が決まった。どうやらキャンプ場の選定に随分悩み時間がかかったそうだ。彼女なりにこだわりが強いのだろうか、すっかり任せっきりにしてしまって申し訳ないことをした。


 我が家の駐車場に車が停まった。ゴツゴツと角張った大きな車だ。タイヤまで随分大きい。見るからにアウトドア仕様でカーキ色の車の運転席から、ひょいと身軽に降りてきたのは、これまたアウトドアの服に身を包んだ姫乃咲さんだ。


 今日はいつもと違い、ハットを被りシャツを着て、スカートではなくパンツを履いている。若干ブカブカなサイズ感のせいか、こちらに駆け寄る姿がまるでペンギンのように見えてとても可愛らしい。


「こんにちは、お兄さん。すっかり夏になっちゃいましたね」


「あぁ、キャンプにはもってこいだ。にしても、姫乃咲さん、髪切ったんですね。ショートボブって髪型ですか?てっきりルイ君かと思いましたよ」


「あははー。どうです、これでもう気がつきました?」


「気づく?えっ、他に何かあるの?」


「ここまで鈍いとは思いませんでしたよ」


「あっ、わかった!前より、綺麗になってる!」


「えっ?」


「なんか、前会った時より、綺麗になってますよ。今まではお嬢様的な気品と可憐さがとても綺麗で、でも今日は見た目も格好もボーイッシュなのに、とても可愛らしい。こう、なんというかより女性らしさが際立っているというか」


「へー。そういうとこは気がつくんですね」


「あっ、ごめんなさい!またなんか失礼なこと言っちゃいましたか?」


「いいえ、別に。でも、僕のこと可愛いって思ってくれてます?」


「そりゃ、もちろん。」


「・・・へへ。なら許します。じゃあ、早速行きましょうか。今日は僕が運転しますので、荷物を車に積んじゃいましょう」


 俺は玄関先に用意しておいた荷物を車に積み込んでいく。すでに姫乃咲さんの車内にはキャンプ道具が積み込まれているが、外袋についてるメーカーロゴを見るに、ハイエンドモデルであることは間違いなかった。あのお嬢さん、思った以上にキャンプを嗜んでいらっしゃる様子だ。


 そしていよいよキャンプ場へ出発だ。家から片道二時間くらいの場所にあるらしいが、久々の長距離ドライブに心が躍る。

 

「も〜ほんとすいませんでした。キャンプ誘っておいて、結局こんな時期になっちゃって。でも、どうにか夏休み前に行けるので、混んでることはないと思います」


「夏休みは何かにつけて混雑するか。いや、申し訳なかったです。キャンプ行くのに、色々任せっきりにしてしまって」


「いいえ〜。お兄さんキャンプ未経験なわけですから、僕がリードしなきゃですし。でも、お兄さん結構キャンプギア集めたんですね」


「あ〜、それはだな。普段も使えるかなと思って、キャンプ椅子やらテーブルやらランタンやら買っちゃって・・・」


「沼に沈みかけてるじゃないですか。あんなにレンタルでいいって言ってたのに」


「仕方ないよ。事前にルイ君と焚き火してみたけど、楽しくて仕方なかったから」


「そうでしたか。それは何より」


 窓を開け風にあたりながら、姫乃咲さんはドライブを楽しんでいる。そんな彼女の横顔を眺めながら、俺も窓を開け、景色と車に流れ込む夏の風を味わう。今日はいい天気だ。初のキャンプには申し分ない天気だ。


 俺たちは他愛のない話をしつつ、道中のスーパーに寄りながら今晩の食材や焚き火用の薪を調達し、無事キャンプ場へと着いた。今回姫乃咲さんが選んだキャンプ場は、彼女曰く穴場らしく、平日というのもあるのだろうが、随分と利用客が少ない。それに、フリーサイトが多く車も乗り入れができるので、荷物の運搬も非常に楽だ。


「いいキャンプ場だね。人も少なくて、のんびりできそうだ」


「でしょ?さぁ、お兄さん。早速設営しますよ」


「せつえい?あぁ、テントを張ったりするやつね」


「お手伝いよろしくお願いしますね」


 彼女の指示は実に的確だった。流れるようにテキパキと設営作業を進めていき、俺は言われるがまま彼女の作業を手伝った。椅子を広げ、テーブルを立て、テントを張る。ものの十数分でまるで雑誌で見るようなレイアウトが完成した。


「すごいな〜。姫乃咲さん、いつもこんな感じでキャンプやってるんですか?」


「ハイ、大体いつもこんな感じですよ」


 何気なく言うが、この拘り方は相当キャンプを嗜んでいるに違いない。俺は彼女という人物像を見直しつつ尊敬を新たにした。ところでだ。


「姫乃咲さん、テントはこの一張だけですかい?」


「えぇ。このテント大型なので大人二人寝ても余裕ですよ」


「いや、そこじゃなくて。一応ほら、男女が同じテントに寝るのってさぁ、ほら、ねぇ・・・」


「はは〜ん。お兄さん、そっちの心配はご無用ですよ。お兄さんが僕を襲わなければいいだけですので」


「またそんなことを言う」


 また妙なことを言われて、俺は顔が紅くなるのを抑えきれない。彼女はそんな俺を指でツンツンしながら「純情ですね〜このお人は」と楽しそうに揶揄い続けている。


 本当にこの人は距離感がどこかおかしい。縁が結ばれているからとはいえ、この距離感はいまだに慣れない。


 俺は今からでもテントをレンタルして別に寝ることを提案したのだが、驚くほど姫乃咲さんは頑なに拒み、挙句涙さえ浮かべて同じテントで寝ようと縋るので、渋々同じテントに寝ることになってしまったが、ここで別の問題がまた浮上した。


 すっかり設営も終わったのだが、それ以外にやることがない。夕食にしても焚き火にしても、始めるにはまだ明るすぎる。かといって、何か遊ぶにしても、俺はキャンプでどんな遊びをしているのかすら知らなし。いや、そもそも、キャンプってテントで寝たり外で食事したり以外、何かやることがあるのか?


 そんな疑問に頭を悩ませている俺を横目に、姫乃咲さんはチャカチャカと何か支度を始めていた。


「あの〜、姫乃咲さん何をしてらっしゃいます?」


「なにって、お酒の準備を」


 彼女はニッと笑い、ビール瓶を拾いあげ誇るように俺に見せた。


「真昼間から悪い人だ」


「一緒に悪の道に落ちようぜ」


「仕方ない、ご一緒しますか」


 どうやら、姫乃咲さんは初めからこうするつもりだったらしい。車に詰め込んでいたキャンプギアに混じって大きいクーラーボックスがあったが、しこたま酒を持ち込んでいたようだ。大量の氷に冷やされたビール瓶を取り出し、俺たちは乾杯した。


 照りつける熱い日差しの中でタープを張り、できた日陰で冷えたビールを飲む。時折吹く風が頬を撫でれば、ほてった体も冷めていく。まさしく夏の醍醐味を全身全霊で俺は味わっている。世の中、楽しいことも気持ちいことも、知らないだけでいっぱいあるんだな。


 ふと姫乃咲さんの視線を感じ、目を向けると、ビール片手に頬杖をついてニヤニヤしている彼女がいた。


「お兄さん、楽しんでますか?」


 小悪魔のように笑い尋ねてくる彼女に返す答えはもう決まり切っている。


「あぁ、最高だ」


 彼女は満足そうに笑い、ビールを口へと運んだ。


 酒もしこたま飲み、果たして彼女はどんな話をしてくるのかと思っていたら、彼女は自分が愛用するキャンプ道具の蘊蓄を語り始めた。すでにキャンプ道具に沼り始めていた俺も、今日に備えて新たに用意したキャンプギアを広げ、大いに語り合った。


 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。辺りは薄暗くなり始め、暑さも和らいできたところで、俺は焚き火の支度を、彼女は夕飯の支度を始めた。今晩のメニューは焼肉だ。彼女曰く、夏はビールと焼肉らしい。


 俺は前回のルイとの焚き火を思い出しながら、なんとか一人で火を起こしたところ、姫乃咲さんはしっかり身についてますねとしたり顔だ。まるで、前回のルイとの焚き火の場に居合わせていたかのようだ。またルイに焚き火での俺の様子を聞いたのだろう。


 今回の焼肉は姫乃咲さんが持ってきたバーベキューグリルでじゃんじゃん肉を焼く予定だ。焚き火に炭を加え、火がついたらバーベキューグリルへと炭を移し、あとは肉を焼くだけだ。

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