第20話 お茶会と小さな陰謀

 夕方、ガルドの街角に静かに灯る看板がひとつ。

 金文字で《喫茶・月灯(げっとう)》と書かれたそれは、柔らかな橙光に包まれ、

 まるで月明かりのように人を誘っていた。


「……うわ、緊張するな」


 悠真は襟を正し、店の前で何度目かの深呼吸をしていた。

 鏡代わりの窓に映る自分の姿に、思わずため息を漏らす。


「こんな普通のデート、何年ぶりだ……いや、そもそも初めてかも……」


 相手は、セレナ=ハーヴェル。

 冷静沈着な薬師で、普段は研究室に籠もって薬草と瓶に囲まれている。


 そんな彼女から“デートのお誘い”が来たのだ。

 男なら誰でも緊張する。いや、むしろ警戒する。


「……まさかドッキリとかじゃないよな?

 あのリサあたりがドッキリ看板持って隠れてたり……」


 などと呟いていたその時――


「お待たせ」


 ふと聞こえた声に、悠真は反射的に振り向いた。


 ――瞬間、呼吸が止まる。


 ラベンダー色のワンピース。

 肩に月光を受けた柔らかな髪。

 普段の理知的な雰囲気とは違い、どこか柔らかで、

 まるで“夜の妖精”のように見えた。


「……お前、今日はずいぶん……その、可愛いな」


「観察対象が照れるのは予想外だったわ」


「データ取るなって言ってんだろ!」


 いつもの掛け合い。

 それだけで、緊張が少し溶けていく。


 けれど、セレナはそのまま柔らかく微笑んで――

 悠真の胸の鼓動をさらにかき立てた。

 

 そんなふたりの姿を、路地の影から見つめる視線があった。

 黒いローブの男。

 男は何かを小さく呟き、懐の水晶がわずかに紫の光を放つ。


 その光は、カフェの看板にも一瞬だけ反射した。


「ここが《月灯》か……思ってたより落ち着いた雰囲気だな」


 店の扉をくぐると、やわらかい香りが迎えてくれた。

 コーヒーと紅茶の香り。

 バターの焼ける甘い匂いが、疲れた心を解かしていく。


 木目調の壁、ランプの優しい光。

 奥には丸い窓から夕焼けが差し込み、

 まさに「月灯」と呼ぶにふさわしい空間だった。


「……いい店だな。高そうだけど」


「大丈夫、研究協力費で経費に計上しておいたから」


「デートを経費で落とすなよ!?」


 ツッコミつつも、セレナが紅茶を注ぐ仕草に見惚れる悠真。

 

「あなたの脈拍数が通常時より一・五倍。

 リラックスティーの効果、実験データとしては上々ね」


「だから観察するなっての!」


 カップの中の紅茶がきらりと光り、月型のランプの反射がゆらめいた。

 まるで、二人を静かに見守っているようだ。



「こういう時間、久しぶりね。あなたが誰かに追われてないのって」


「ひどくね!? いつも追われてるわけじゃ――あ、いや、半分くらい追われてるな……」


「自覚かあるのね」


 くすっと笑うセレナの微笑みに、

悠真の胸の奥がふわりと熱くなる。


 彼女がほんの少しだけ視線を伏せた。


「……今日は、“調査対象”としてじゃなくて、

 “悠真”として過ごしてみたいの」


「…………」


 不意を突かれた言葉に、悠真は何も返せなかった。

 ただ、心臓の鼓動が静かなカフェの中に響いた気がした。


 静かな時間。

 小さく響くティーカップの音が、まるで心臓の鼓動のように重なる。


 ――いい雰囲気。


 ――が、そんな空気を容赦なくぶち壊す音が。


 カランカランッ!!

 勢いよく開かれる扉。風鈴が悲鳴を上げる。


「悠真っ!!」


「出たなトラブル女神!!」


 乱入してきたのは、見覚えのありすぎる少女――リサだ。

 両手にはなぜか花束、顔は真っ赤、そして空気は台無し。


「な、なんでここに!?」


「えっと……なんでって、気配がしたから!?」


「探知魔法の使い方おかしくない!?」


 リサは真っ赤になりながら机に突進し、

 見事にトレイをひっくり返した。


 紅茶が宙を舞い、皿がスローモーションで床へ――


 がしゃんっ!


「きゃあああっ!」


「リ、リサ!? お前何してんだ!」


 あたり一面に紅茶とスコーンの残骸。

 店内は騒然となり、カウンターの奥から店主が現れる。

 渋く、眼光の鋭い中年男性だ。


「……君、弁償できるかね?」


「え、えっと……」


「じゃあ働いて返してもらおうか」


「ええぇぇ!?」


 こうしてリサは――即席ウェイトレスになった。




「いらっしゃいませ〜! 本日のおススメは『嫉妬風スコーン』です〜!」


「そんなメニューないから!?」


 セレナは頬を引きつらせながら笑い、悠真は頭を抱える。


「……この店、平穏に紅茶飲ませてくれないんだな……」

「あなたのせいでしょ」


 リサはウェイトレス服姿でバタバタと動き回り、

 テーブルに皿を置くたび、どこかしら何かを倒していた。


「リサ、頼むから静かに――」


「了解っ! 静かに全力で働くねっ!」

「だから矛盾してるって!」


 店内は笑いの渦。

 だが――その喧騒の奥、ひとつのドアが静かに開いた。


 その向こう、薄暗い廊下。

 足音もなく進む二つの影。


「……この反応、“封印魔法”の残り香よ」


 低く呟いたのはミリア。

 その隣で、金髪を揺らすクリスティアが頷く。


「つまり、ただのカフェではありませんわね」


 ――ミリアとクリスティア。

 リサから「バイトになっちゃった助けて!」と呼ばれて来たはずが、

 結果、スパイ潜入ミッションに早変わりしていた。


「店主、裏で誰かと話しているみたいですわ。

 “黒紋石”“供物”“市場地区”――どれも穏やかじゃありませんわね」


「……怪しいわね」


 二人がカウンター裏に向かう一方、表ではさらなる惨劇が。


「熱っ!? あっ、悠真、ごめんっ!」


 ドボッ。


 悠真のシャツにコーヒー直撃。

 反射的に立ち上がると、そのままリサのドレスにこぼれ、

 さらに跳ねた雫がセレナのノートへ――


 三人同時に「ひゃっ!」の大合唱。


「ちょ、違うの! 手が滑っただけで!」


「お前は滑り芸人か!?」


「……観察対象の耐久値、低下中ね」


「……観察対象の耐久値が下がったわね(冷静)」


「セレナさん!? 今それ分析してる場合!?」


 周囲の客が笑いを堪える中、悠真たちのテーブルはカオスの極み。

 それでも、ほんの少しだけ――楽しげな空気が漂っていた。




 同時刻、地下倉庫。

 ランタンの光が、埃に包まれた部屋を淡く照らす。


「……見つけたわ」


 ミリアの指先が、床に落ちている黒い石を指した。

 手のひらほどの大きさ。

 表面に刻まれた文様は、どこか禍々しく、

 見た者の心をざわめかせる。


「これが……黒紋石」


 彼女が触れた瞬間、

 紫の光が一閃。


 一方、地上でも異変が。


 紅茶のカップが震え、ランプが一瞬だけ暗くなる。

 客たちがざわめく中、悠真が小声で呟く。


「……まただ。前みたいな光の揺らぎ」


悠真が呟く。

 セレナは立ち上がり、真剣な瞳で窓の外を見る。


「封印が、完全には安定してないのかも」

 

 その時、カウンターから低い声。


「……封印、か。そんな言葉を聞くのは久しぶりだね」


 ――店主。


 渋い笑みを浮かべ、こちらを見ていた。


「あなた……何者ですか?」


「ただの珈琲好きさ。だがね――

 古いものは時に、人を引き寄せる。君たちのような面白い客を」


 意味深に言葉を残すと、店主は背を向けた。

 その足元、ひび割れた床から微かな黒煙が立ちのぼる。


「リサ、下がって!」


 セレナの声。

 だがリサは逆に一歩前へ出た。


「……悠真を、巻き込むものはもう嫌なの」


 リサの手の中、砕けた黒紋石の欠片が光を放つ。

 風が巻き起こり、煙が弾け、紫の光が消えた。


 静寂。

 やがて、店主が口の端を上げる。


「……面白い娘だ」




 事件の後。

 カフェ《月灯》の外に、五人が並んでいた。


 店の看板は再び温かな光を灯し、

 風が心地よく頬を撫でる。


「……デートのはずが、なんで事件解決してんだ俺」


「あなたの平穏は都市伝説になったのよ」


「でも、楽しかったよ?」

 リサが笑い、悠真はため息をつく。

「お前、爆発させた張本人だぞ!?」


「違うもんっ、爆発してないもん!」


「論点ずれてる!」


 ミリアとクリスティアは微笑み合い、

 セレナはふと夜空を見上げる。


 そこには、満ちる月。

 けれど一瞬だけ、光が揺らいだ。


「……封印は、また誰かに狙われてる」


セレナの声に、悠真は肩をすくめる。

「また俺が巻き込まれる未来しか見えねぇ……」


「ふふ、慣れてるじゃない」

「慣れたくねぇよ!」

 笑い声が夜に溶ける。


それでも、誰も文句を言わなかった。

 なぜなら、騒がしく、面倒で、けれどどこか愛しい。

 それが、彼らの日常だった。

 月の光が、そっと彼らを照らす。


 喫茶月灯

 今宵も、平穏と騒動の境界線で、静かに笑い声がこぼれていた。



あとがき

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