協力してでも火を点けなければならない

 だがもはや争っている猶予も、怒鳴る体力も残っちゃいなかった。


 必然的な交戦ではあったが悪手でしかない。


 気絶している間も豪雨に晒された体は血液まで冷え切っていて、先の激しい運動によって加速的に全身に巡っていた。


 急速に現れる眩暈と震え。指先は痺れ、もはや拳銃を握っていても照準は定まらない。


 可能な範囲で衣服の水を搾り取っても焼け石に水。水。水……。


 竜騎兵の少女は狼のような尻尾がある分、余計にしんどそうに見えた。大量の毛が水を吸って、沈むように泥の地面を這っていた。


 疲弊を隠すように軋む犬歯。鋭い睥睨だけが相も変わらず敵意を剥き出しにしていた。……無様なものだ。


 ユミフネは少しでも余裕を保とうと自分と同程度の敵兵を嘲って、震える手でマッチを手に取った。


 幸い、複葉機の残骸は比較的形を残していた。翼は屋根のように雨風を遮ってくれるだろう。


 それならば服は一時的に脱いだって構わない。直接雨に打たれなければその方がマシだ。


 それよりも急ぐべき問題は火だった。体温の低下に伴って歯がガチガチと鳴り続けている。この樹海一帯の気温が低いわけではないはずだが、今ばかりは火でもなければ凍え死んでしまいそうだった。


 燃料タンクは損傷していたが内部には少量だが液化爆炎石燃料が残っている。火さえつければ容易に現状を乗り越えることができる。


「っ……点かねえ」


 マッチは全て湿気ていた。五本ほど無駄にして、八つ当たりもできずにポケットにしまい込む。


 拳銃の弾を石でぶつけてみるか? ……否、貴重な弾丸なうえにそんな行為で火が点く保証もないだろう。それどころか金属片が周囲に飛散するだけだ。


 ……他に方法はないのか?


 思考は即座に一つの結論に至って、ユミフネはじっと竜騎兵の少女の様子を伺った。


「っ……なにを睨んでいる。ははぁ? わかったぞ。命が助かりようもないと理解して死ぬ前にこのワタシで鬱憤を晴らそうと企んでいるな?」


「いや……違うが」


 彼女は容姿に自信があるらしい。自信過剰ではないだろう。平常時なら彼女の銀の髪にも、柔らかそうな尻尾にも、大きな胸にも視線を惹かれたとは思うが。


 今は泥と煤で汚れ、尻尾は雨を吸って萎み、大きな胸も……大きいままだが、とにかくそういう状況ではなかった。


 ユミフネの淡々とした否定に竜騎兵の少女は屈辱的に顔を赤らめて唸ったが、すぐに視線を逸らして、火を点けようとする行為を再開していた。


 空気中の魔力が反応し、彼女の指先に一筋の火が灯る……ものの、微かな火種では雨に濡れた草木を燃やすこともできず、すぐに風に掻き消された。


 見ていると、ジトリとした眼差しが睨み返してくる。


 ―――互いに持っていないものを持っていた。


「……おい、燃料を寄越せ」


「ゴタゴタ言わずに火を出せ」


 利害は一致していた。


 屈辱的なことに、協力し合わなければ野垂れ死ぬだろう。


「話が通じるようで助かるな」


「はは、ワタシはゴタゴタ言ってないのに隙あらば攻撃するのだな。君は。皇国兵士の鑑ではないか」


 竜騎兵の少女は捻くれた笑みを余裕なく浮かべ、嫌味を口にしながら歩み寄ってくる。複葉機の翼の下にまで来ると、雨が当たらなくなってか、僅かに肩の力を下ろした。


 ユミフネは持っていたハンカチを二つに裂くと燃料を僅かに沁み込ませた。


 近くに飛び散った金属片とその辺に落ちていた石で即席の炉を作ると、濡れた枝の外側を削り落とし、中に押し込んでいく。


「おい女。見てないでお前も手ぐらい動かせ」


「おい女だと? ワタシにはな。シロロン・ロロン・ロンロンという名前があるんだ。君ごときに教えるのも癪だが、女呼ばわりよりはマシだ」


 シロロンはそう言って再び睨みつけた。鋭い眼光をギラつかせながらも、大人しく火のために枝を削っていく。


 ……アマツ皇国ではとてもじゃないが聞かない名前だった。


「…………」


 ユミフネは彼女の言葉を無視して、ハンカチの残りの半分を石で埋めていく。


「おい……! ワタシは名乗ったのだから君も名乗るべきではないのかね? それともワタシに、おい。男。などと呼ばせたいのか? そういう趣味なのか?」


「……サカノ・ユミフネだ」


 キャンキャンと吠えられて、ユミフネは渋々自分も名乗り出た。


「そうかユミフネ。それで? これはもう火をつけていいのか?」


 出会って早々名前で呼ばれることに首を傾げながらもユミフネはそうだと、相槌を打った。


 空気が歪み、魔力が指先に込められると小さな火の花が咲いて燃料の沁みた布切れに燃え移っていく。……火種には充分だったのだろう。


 火は安定して燃え続けると、段々と裂いた枝にも燃え移っていった。


「っーーーーふーーー…………」


「はぁ……」


 両者それぞれ、安堵のため息をこぼした。


 びしょ濡れの地べたに座るわけにもいかず、その場にしゃがみ込んだまま一息ついていく。

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