助けなきゃ、帰らなきゃ①
「レモン!」
ぼくはあわてて駆け寄る。
セルがレモンを抱え起こす。何かの薬を出して、飲ませる。
「……あり、がと……」
レモンは弱々しく目を開ける。
「レモン、大丈夫か? わかる?」セルはそっと呼びかける。「一刻も早く、洞窟から出て教会に行く。まずはここから離れないと……」
「大……丈夫」レモンはゆっくりと、体を起こす。
「歩けるの……?」ぼくは不安になってレモンを見つめる。
唇が青紫色だ。顔色も、手足も、まるで石みたいな土気色をしている。
「もっと、解毒薬を……」
セルは薬を出そうとするが、レモンはそれをそっと片手で制し、
「転移……するから、わたしのそばに、来て」
途切れ途切れのかすれた声で言った。
「は!? ……無茶だ」
セルは信じられないという顔でレモンを見る。「その状態で魔法を使う気? そんなことしたら……」
「大丈夫。言ったでしょ」レモンは力なく笑う。「わたしの、言う、通りに……大丈夫、だから」
そう言われると、何も言えない。
セルも黙ってしまった。
レモンはすうっと息を吸いこみ、
「赤の光よ、我らを包み、青の光よ、座標を指定せよ。黄の光よ、目標は――一層。すべての光よ、空間を超えて我らを運べ。トリコロル・ウーニオ・トランスラティオ」
流暢に唱えた。
赤、青、黄色の光がくるくるとぼくらを包みこむように回る。
あ、大丈夫だ。
ぼくはホッとした。
一層まで行ければ、ぼくとセルでもレモンを運べるだろう。そう思った。
まわりが白く光り、体が浮かぶ――
体に重力が戻ってきて、光が消えてきて、
「……あれ?」
ぼくは、目をこらした。
一層にしては――暗い。まわりが見えない。
一層の暗い端の方に来ちゃったのかな。
「…………」
セルが蛍光石を灯し――無言になった。
「え、ここって――」
ぼくは思わず声を上げてしまう。
砕け散った岩々。周囲の灰色、赤茶色、黒色の岩壁。でこぼこした地面は冷たく、岩がせり出している。
一層ではない。二層だ。
それも、さっき岩ゴーレムと戦った――つまりはかなり奥の、三層に降りる手前のあたり。
失敗した?
いや、届かなかったんだ。
おそらく、レモンの魔力が足りなくて――
「……レモン?おい!レモン!」
セルのあせった声に振り向いて、ぼくは、ひゅっと息をのんだ。
レモンの顔が、体が、砂岩のような土色になっていた。
目はうつろに開き、澱んでいる。光がどんどん失われていく。
「えっ」
まさか――
死ぬ?
ぼくの背筋がスッと寒くなる。急に自分の立っている地面の感覚がなくなり、足が震え出した。
「あ……え、えっと」セルの顔色も蒼白だ。震える手でカバンを探る。
「解毒薬……いや、回復薬……」
片っ端から薬を飲ませるが、レモンの口は半開きのまま動かず、口の端から薬が流れ落ちてしまう。
「セル……」ぼくは言う。「なんか、石とかで、ないの?解毒とか、回復とか」
「そんなのない」セルの答えは無情なものだった。
「じゃ、じゃあ、せめて命をつなぐとか」
「命……」セルはハッとして、サッとカバンの中から、親指くらいの大きさの、透き通った黄色い石を出した。中に、何か茶色のスジのような斑点のようなものが見える。
「それは……」
「で、でも」セルの手が震えている。「使ったことない……」
「ゴーレムもやっつけられたんだから大丈夫だよ!」
ぼくは思わず強い声で言った。
「というか、やれることをやらなくちゃ、死んじゃうよ!」
死んじゃう、という言葉に、ビクッとセルの体が跳ねた。
セルは黙ってその石をレモンの胸に当てがう。
スッと息を吸いこみ、
「――その黄金色の恵みで、命をつなげ――
石が、パァッ……と、黄金色に輝いた。トクン、トクンと、脈打つように、光を瞬かせる。
強い光ではない。穏やかな輝きだ。
それでも、ぼくにもわかった。
みるみる、レモンの頬に赤みがさす。唇の色も、どす黒い青紫色から、徐々に赤紫、紅色と、色が戻ってくる。
すう……とレモンの口元から、呼吸の音がかすかに聞こえた。
「……はああ……っ」
ぼくは思わず、安堵のため息をつき、へたりこんだ。
けれど、セルの顔は真剣なままだ。
「まだだ、まだ油断できない」
ささやくように言う。「この石は――生命琥珀は、扱いが難しいんだ」
「わ、わかった。セルは集中してて」ぼくはそっとまわりを見渡し、何も、誰もいないことを確認した。
ここで何かに襲われたら終わりだ。
「……教会に、運べたらいいんだけど……」
セルがつぶやく。額から顎を伝って、汗が流れ落ちる。青い髪が汗で頬に張りついている。
「ぼくが運ぶよ」ぼくはそう言ってレモンをかつぐように抱き上げた。
ズシっと人間の重みがぼくの方にのしかかる。
「うっ……」
意識のない人間はこんなにも重いのか。
というか、レモンのポケットに、緑や赤、黒の石がめっちゃ詰め込まれている。
「セ、セル……この石は……?」
「宝玉石と電気石」セルは短く答える。「毒を出させて回復させる、という言い伝えがあるから……あくまで言い伝えだけど、ないよりはと思って」
じゃあ入れといた方がいいか。重いけどしかたない。
ぼくは転ばないように一歩一歩、石柱や岩の間を歩く。
セルは後ろで支えながら、ブツブツと呪文を繰り返している。
――と。
「危ない!」
セルが声を上げ、グイッとレモンごとぼくを引っ張った。
次の瞬間、
ベチャッ!
ぼくがいたところに、結晶スライムが落ちてくる。
「ひっ――このぉ!!」
ぼくはあわててレモンから手を離してスライムに切りつけた。
背後でレモンを抱えたセルが転び、「わっ」というセルの声とゴンッという鈍い音がする。
スライムは俊敏に剣をよけ、壁に張りついてぼくらをねらっている。
「シロ、俺たちはいいから、スライムを頼む!」
セルが後ろから声を上げる。
ぼくはスライムを見つめたままうなずき、切りかかった。
「はあ、はあ……」
なんとかスライムを追い払い戻ってくると、セルはレモンを心配そうに見ている。
「うう……うう……」
レモンが声を出す。ホッとしたのもつかの間、ぼくはレモンの様子がおかしいことに気づいた。
「うう……カーマイン……カーマイン……」
レモンは苦しそうに目を閉じたまま、顔をしかめ、うわごとをつぶやいている。
「夢でも見てるのかな……」
ぼくがつぶやいた瞬間、ハッとレモンが目を見開く。
「レモン!わかるか」
セルが呼びかけるが、レモンは真っ青な顔で目を見開いたまま、ぼくらの方を見もせずに、虚空を見つめている。
「あ……ああ……」
体がガクガク震え出す。
「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……やめてやめてやめて……」
「レモン」
「やめて、やめてやめて、連れてかないで……チャコ……」
ピクッとセルの肩が動く。
「チャコ……行かないで……カーマイン……置いていかないで……あ、ああ……」
「幻覚だ」
セルがつぶやく。
「おそらく、あの毒に幻覚作用があったんだ」
「そんな……」
ぼくは絶句する。どれだけ強い毒なんだろう。
レモンが震える口を開く。
「……黄金色の天の灯よ、我が掌に……」
詠唱だった。
「まずい」セルの声に焦りが混じる。「よせ、レモン」
レモンは聞こえていないように、必死の形相で虚空を見つめ、つぶやき続ける。
「闇を裂き、罪なき者の道を照らせ……」
光がレモンの手に集まってくる。いつものきれいな光とはどこか違う、ギラギラととげとげしい光だ。
杖を持っていないから?
詠唱が不完全だからだろうか?
それとも、レモンの精神が不安定だからだろうか?
セルは必死でレモンの手をつかみ、呼びかける。
「やめろ、それは幻覚だ。……幻覚?」
セルはハッと何かに気づいたような
取り出したのは、さっきぼくが渡した、幻影水晶だった。
セルはそれをレモンの目の前にかざし、
「その透明な体躯と内なる色をもって、姿を見せよ――
と唱えた。そしてグッと強く、目を閉じる。
「……チャコールは無事だ……カーマインも無事だ……レモン……心配するな」
その時、不思議なことが起きた。
幻影水晶から、白と黒と、灰色のもやのような光が、ボワボワ……と溢れ出した。
みるみるうちに、それは、レモンの目と目の間あたりに吸い込まれていった。
ふっ……と、レモンの体から力が抜け、目がトロンとした。
「……あ……」
レモンはホッとしたような表情になり、スッと目を閉じた。
……すう……すう……
規則正しい寝息が聞こえてくる。
「……はあっ、はあ、はあ……」
セルがドッと手をつき、荒い息を吐く。
「……セル、今のは……」
「幻覚を……幻覚で、上書きした」セルは汗をぬぐって言った。
「幻覚……って、チャコと、カーマインの?」
「多分……」セルの声が少し弱くなる。「俺はそれを強くイメージしたけど、どうかな……カーマインの顔はほとんど覚えてないし、とにかく……チャコとカーマインが無事だって、強く念じたというか……」
そして、生命琥珀をレモンの胸元のポケットに入れ、立ち上がった。
「行くぞ。早くしないと、この調子じゃ身がもたない。……あ」
思い出したようにぼくを見て、
「シロ、スライムをありがとう。助かった」
と言った。
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