第23話 ミュールパント急襲
夜。
寝付けなかったマコトは、城の客室を出てミュールパントの中心街を散歩していた。
月明かりの下、人のいない静かな通りを歩く。
結局、昼間のデートでは、マコトの今後は決定しなかった。
リリィと同行するのは本人が否定的だ。ハルトフォードに戻る場所はない。
行く宛がないのがマコトの現状だ。
「まだ数日滞在するみたいだし、その間にリリィを説得するのが一番か……」
昼間、マコトはリリィと正式に恋人になり、キスをした。
正直、まだ実感が湧いてこないと、マコトは思う。
恋愛や結婚は、リリィの隣にいるという漠然とした目的に対しての、明確な形には違いない。
しかし、マコトは放浪の身だ。
(魔王を倒した後、リリィの制約魔法を解除したら、まともな身分と仕事を手に入れる必要がありそうだな……)
魔王の倒し方も制約魔法の解除方法も、まだマコトは答えを得ていない。
何一つ問題が解決していない状況でその先のことに思いを馳せるのは、楽観的だとマコトは思う。
リリィの隣は居心地が良すぎる故に、つい気が緩んでしまうのかもしれない。
しかし、まずは目の前の問題に対処しなければ、足元をすくわれてしまう。
「あ」
考え込みながら夜道を歩いているうちに、気づけば中心街と外区街を隔てる城壁の前まで来ていた。
この時間帯は、防衛上の都合で城門は固く閉ざされて、見張りの警備兵が立っているはずだ。
門の前には、警備兵の死体が、八つ裂きにされて転がっていた。
(何が、起きている……!?)
異常事態を前にして、マコトは一気に警戒心を強める。
周囲を見ると、城門のすぐ横にある見張り塔の入り口にも、同様に八つ裂きの死体が転がっていた。
塔の内部には、城門を開閉するための装置が設けられているはずだ。
「塔の扉が開いているってことは……」
何者かが城門を開くために、兵を殺して侵入したと考えるのが自然だ。
警備兵が異変に気づく前に惨殺する手際は、只者の仕業ではない。
死体は八つ裂きにされている。武器を使用しての行為である可能性は低い。
(間違いなく、魔法を使っている……しかも見覚えのある魔法だ)
嫌な予感がする。
マコトは見張り塔へ足を踏み入れることにした。
細かく刻まれた肉が浮かぶ血溜まりを跨いで、開け放たれた扉から中へ入り、階段を駆け上がる。
見張り塔に侵入して門を開放しようとしているのは、恐らくマコトの知る人物だ。
その人物がいること自体は、大きな問題ではない。その人物が凶行に及んでいるという事実と、門を開放した後に発生すると予想される出来事が、マコトにとって非常に都合が悪い。
「やはり、君だったのか」
塔の最上階。
門の開閉装置を操作していた人物の名は、ノノ・ノイエンタール。
古びたローブを身に纏い、首元近くまで丈のある大きな杖を持ち歩いている。勇者の仲間としてリリィの旅に同行する、エルフの魔法使いだ。
「おや、マコトさん。奇遇ですね」
マコトは以前、ノノと協力関係にあった。ノノは若くしてハルトフォードの魔法学研究所で活躍する、魔法学の権威だ。
ノノにとって、マコトが独自に編み出す術式や魔道具は研究価値が高かった。マコトは彼女に自社の独自技術の一部を提供する見返りとして、ハルトフォードの最先端技術の試作品を受け取っていた。
「ここで何をしているんだ」
「見ればわかるでしょう。門を開けているんです」
世間話をするような調子で答えて、ノノは肩を竦めた。
「君は、勇者一行として魔軍からミュールパントを防衛する任務に就いていたはずだろう?」
「またまた、マコトさんなら分かっているでしょう。大陸統一を国是とするハルトフォードが、ただの善意で他国を助けるなんてあり得ない、と」
マコトの生家、ハルトフォード。
広大な領土を治める大陸最大にして最強の名家は、魔軍が勢力を広げるこの情勢にあってもなお、大陸の覇権を静かに狙い続けていた。
曲がりなりにも一族に名を連ね、かつて最強の剣として戦ったマコトは、ハルトフォードが他国を侵略する際に用いた手口を熟知している。
「時に力で、時に絡め手で。ハルトフォードらしいな。今回は、絡め手の方か」
「はい。リリィさん率いる勇者一行がブラシュタットを魔軍から救い、信用を得て内部に入り込む。難攻不落である城塞都市のミュールパントでも、内側からであれば容易に崩せます」
低い音を立てて開いていく門を見下ろしながら、ノノは言う。
「リリィに直接攻め落とさせないのは、今後も同じ手を使う余地を残すためか?」
「まあ、そんなところです。今回の件は表向き、ブラシュタットの諸侯がハルトフォードと内通し、門を開けたという筋書きになります」
「ああ、なるほど。その諸侯が、外門を開ける担当か」
「さすがはマコトさん。ご明察です」
マコトの考察を聞き、ノノはうなずいた。
ミュールパントには中心街と外区街を隔てる門以外にも、都市内外を隔てる城壁と門が存在している。
ノノ単独では一箇所しか攻略できない以上、もう一方の門を開放する役割を他の誰かが受け持つ必要がある。
「ブラシュタットの軍は、どうやら一枚岩ではないようでして。英雄的な存在であり軍の中心であるマティアスと、彼が軍の指揮権を持つ現状に異を唱えるフェルランの派閥に分かれています」
「それで、フェルランの方に内通の話を持ちかけたのか」
「そういうことです」
「よくそいつも裏切る気になったな。ミュールパントの守りがあれば、ハルトフォードでも攻略できないのは歴史が証明している。それを一番知っているのは、他でもないブラシュタットの人間だろう」
最後にハルトフォードがミュールパント攻略を試みたのは、三十年程前だ。
その際はハルトフォード側の大敗に終わった。
「昔と違って、今のハルトフォードにはリリィさんとマコトさんがいますからね。その強さを目の前で見せつけられて、力の差を理解したんでしょう。彼らが壊滅寸前まで追い込まれた魔軍をリリィさんは三日で半壊させ、マコトさんは単独で四天王を撃破してしまったのですから」
「……皮肉な話だな」
リリィが勇者としてミュールパントを防衛するために取った行動は、最終的に真逆の結果をもたらした。
裏にあった思惑を、リリィは把握していないだろう。
「ミュールパントは落ちるな」
「ええ。二つの城門が開かれ、都市内では内通者が挙兵して大混乱。そんな状況で満を辞して、ハルトフォードの大軍勢がお出ましです」
ノノが、遠くを指差す。
フェルランの軍によって開け放たれた外区の門の、更に先。
遥か彼方に、一筋の光が揺らめく。
光は数を増していき、すぐに地平線を埋め尽くした。
ハルトフォードの大軍が持つ、松明の炎だ。
地鳴りのような音が、少しずつ確実に、迫っている。
「どの軍だ」
「第一軍です。指揮官はマコトさんもよくご存知の、アーサー・ハルトフォード様ですね」
アーサー・ハルトフォード。マコトの兄だ。
ハルトフォードの長男であり、正当な後継者。
マコトを最も忌み嫌う人物でもある。
「よりによって、あの人か」
他の誰かならともかく、アーサーが相手ではマコトに交渉の余地はない。
今のマコトは、ハルトフォードの本拠であるマグナ・ハイランドで殺人を犯した罪人だ。
捕らえられる前に、この城塞都市から脱出する必要がある。
「そういえばマコトさん。マグナ・ハイランドで親戚を殺して逃亡中なんでしたっけ。とすると、アーサー様の軍に見つかるのは都合が悪いですね」
「知っていたのか」
「はい。リリィさんたちやブラシュタットの人間は、まだ把握していないでしょうけど」
つまり当事者を除いたら、ミュールパントであの一件を知っているのはノノだけだ。
「君は耳が早いんだな」
「ええ。どうしてだと思います?」
ノノは煙に巻くような態度で、はぐらかす。
「今更どうでもいいさ」
「おや、そうですか。でしたら代わりに耳寄りな情報を教えましょう」
ノノはローブに手を突っ込むと、丸められた羊皮紙をマコトに投げ渡した。
「これは?」
「城塞都市の外へ繋がる通路を記した、秘密の地図です。その地図に記した道に沿って行けば、マコトさんは安全にミュールパントから脱出できます」
羊皮紙を広げてみると、確かにそれらしい地下通路に関する情報が図で記載されていた。
「この状況で君からの情報が信用できると思うか? はっきり言って、今の君はこの街で一番胡散臭いぞ」
「信用するかはお任せしますが……どうせ他に逃げ道なんてないんですから、とりあえず行ってみることをオススメしますよ。私は純粋にマコトさんを気に入っているので、助かってほしいだけですから」
笑顔を見せるノノだが、どうにも怪しさが拭えない。
「騙されたと思ってこの地図に従ってみるよ。ハルトフォードの軍を相手にミュールパント内で逃げ隠れするのは難しいだろうし」
ノノの思惑はともかくとして、指摘は間違っていない。
どうせマコトは、他に行く宛がない。
まずは地図の場所に行ってみて、怪しいと感じた時点で引き返せばいい。
マコトはノノに背を向けると、登ってきた階段を下りるために、一歩踏み出す。
「あ、そうだ」
その背中に、ノノが一声かけてきた。
「ニコラさんには、お気をつけください」
マコトが振り返ると、ノノは含みのある笑みを浮かべていた。
どういう意味だと聞いたとしても、彼女はマコトが満足する答えを提示しないだろう。
もう一度ノノに背を向けて、マコトは階段を駆け下りる。
戦乱の悲鳴が、城下から聞こえ始めた。
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