依存
第10話 反応
第2章『依存』
まだ結構な暑さの残る夏休み明け、宿題が終わっていない生徒達の阿鼻叫喚が学校中のそこかしこから響き、答えを書き写す為にドリルワークの用紙を二つ並べる机がちらほらと見られた。
「ねえ、リン、部活誘われたんだけどどうしよう」
小雨が降る昼休みの中庭の、屋根の下でアルトラは深刻そうな顔で私にそう言った。
「ぶ、部活に誘われたの!?」
私達二人はいわゆる『帰宅部』で、友達もいないので今更部活に入る機会はなかなか無いのだが、なんとアルトラは勧誘を受けたらしい。
「え、何部に誘われたの?」
「柔道部。道場の先輩経由で誘われた」
「そういえば柔道やってるんだもんね」
あの事件の後で知ったが、彼が同級生や高校生をいなしたり投げたりしたのは、大半が柔道の技だったらしい。
ただ、本来柔道では相手を左手で支えて『受け身』を取らせるのが正しいらしく、どちらかと言うと彼の技は柔術という危険な武術のものに近いのだと、インターネットで調べて知った。
「あと相撲部。なんか例の事件の噂を聞いたらしくて、部長が入れって」
「え、二個も誘われてるの?」
「いや、何故かバレーボール部の熱血系の先生からも誘われてる」
「うわぁ、アルトラのアタック、普通に怪我人でそうだなぁ……」
朝のホームルーム前、ちゃんと宿題を終わらせたアルトラと私は、吹奏楽部の練習音と、長期休暇明けの絶望と後悔の合奏を聴きながら、のんびりとそんな会話をしていた。
アルトラが部活に入るなら、私もマネージャーとして入部しようかな、と考えているのが顔に出ていたのか、彼は「どこにも入らないよ、面倒くさいし」と宣言した。
それからすぐにホームルーム5分前のチャイム──あるいは誰かにとっての死の宣告が聞こえて来たので私達はそれぞれの教室に向かった。
そんな夏休み明け後の一週間で、アルトラが高校生を相手に大喧嘩をしたという噂は学年中に広がっているらしく、野次馬根性で私にも噂の話をしようと話しかけてくる同級生もいた。
「例の高校生ノックアウト事件の話なんだけど、素手で、しかも一人でやったって本当?」
ある日の昼休み、名前も顔も知らないやんちゃそうな男子二人組がそんな事を聞いてくるので、私はおどおどしながら「本当だよ、アルトラは私を守る為に戦った」と教えると、二人は顔を見合わせながら「マジかよ」「パネェわ」などと、驚きと軽薄な笑いを交えて言いながら、去っていった。
中には本人に話しかける人も──それも女子までいて、昼休みにアルトラと一緒にいた時に話しかけられた際には、アルトラは貼り付けたかのようなぎこちない笑みを浮かべながら「ヒッシデ、タタカッタヨ」と、棒読みで受け答えをしていた。
アルトラ本人に尋ねる人の大半は、過去の噂の方については詳しく知らず、単にアルトラが『女の子の為に戦ったヒーロー』だと思っている人も多いような印象だった。
加えて同級生の不良達も、放課後にアルトラの姿を見かけると逃げる様に去っていくようになり、アルトラの存在のお陰で『治安』が良くなったと感じている人も『裏掲示板』の書き込みを見る限りいるようだった。
そうやってこの短期間でいろいろな人と話すうちに、彼にも友達ができ始めたようで、少し残念ではあるが、二人で話す機会は少なくなってしまった。
それでも今日は、放課後に時間を作ってくれて、いつもの石製ベンチに座りながら、例の一日一行日記の事件当日の『ハンバーグの作り方を教わった』という文に対して「実践してどうする」と先生に笑いながら言われた、という話をしてくれたりした。
「──そういえばアルトラ、再来週はテストだけど、テスト勉強ってしてる?」
私が期末テストに関する話題を出すと、アルトラの眉は笑顔のままピクッとして固まる。
「あはは……してないや……」
「でしょうね! だから夏休み終わりに勉強会しようって言ったのに!」
「はい……言われました……」
アルトラはしょぼんとした顔で、大げさにうつむいて、わざとらしい沈黙がしばらく続くと、自然と二人とも笑顔になった。
「来週、いっぱい勉強会するからね」
「はい……」
「ところで、アルトラって前期中間テスト何点だったの?」
「えっと、219点……」
「えっ!?」
失礼な話だが、あまりの低さに驚いてしまった。
私より明瞭な思考を持ち、複雑な哲学的思考をする彼が、平均点390点のテストでそんな点数を取ったと言うので、驚きが隠せなかった。
「その、小学五年生からまともに授業受けてなかったから、アルファベットの書き方も分かんなくって……」
「アルトラ、今日からテストまで毎日、帰ったら勉強会しよ。それと、明日明後日も一日一緒に勉強ね」
「えっ?」
「せっかく皆がアルトラに注目してるんだから、ここでアルトラがお馬鹿さんだと思われたら勿体無いでしょ!」
そう言われると、アルトラは週末のゲーム三昧と新しい友達からの評価を天秤に掛け始めたようで、石製の机に肘を付き顎を手のひらに乗せ、考え始めた。
「そうだ、平均点取れたら、一緒にカラオケでも行こうよ!」
「え、ほんと?」
こういう時のアルトラは、ご褒美で誘惑するとすぐに釣れる。
担任の先生いわく期末テストでの五教科の平均点は大体300点前後になるらしいので、かなり頑張る必要はあるが、それでも彼が一週間みっちり勉強をしたなら、平均点は取れるだろう。
「よし、そうと決まれば、今から家に行って勉強しよう」
簡単にやる気を出したアルトラは、カバンを持って元気よくベンチから立ち上がると、早速家に向かって歩き始めるのだった。
アルトラの家の、赤茶色の砂利が散りばめられた駐車場には、見慣れない背の高い黒色の軽自動車が停まっていて、彼いわく今日はお父さんが休みで家にいるとの事だった。
「なんか、緊張しちゃう……」
「んー、多分大丈夫だよ」
そう言いながら玄関を開けたアルトラは「ただいまー」と元気よく挨拶をすると、彼の声を一段低くした様な声が「おかえり」と返事をした。
「お、お邪魔します!」
まだ姿も見えない、アルトラのお父さんに挨拶をすると、いきなりリビングの方から、慌てて何かを用意するような音がしたかと思うと「いらっしゃい!」と返事をしてくれた。
「いやー、ちょっと今から急用で、夕方過ぎまで外すから、ゆっくりしていってね」
アルトラより二周りか三周り──多分もっと大きな、アルトラとそっくりなお父さんが、そう言いながら廊下に現れ、すれ違って玄関のドアを開けながらアルトラに手招きをした。
「あ、先上がってて」
アルトラはそう言いながら、玄関を出ていくお父さんに着いて行って、外で何かを話し始めたらしい。
すぐにアルトラが家の中に戻って来たかと思うと、彼は耳を真っ赤にさせながら、何も言わずに私が座っているリビングの椅子に腰掛けてカバンをテーブルの下に置いた。
「な、なんかお父さんは勘違いしてるけど、気にしないでね」
ああなんだ、あのお父さん、うちの母と同類か。と思うと、私は彼が何を話して来たのか大体想像が付いて、思わず笑ってしまった。
「いいから、ほら、早く勉強教えてよ!」
アルトラは照れを隠すように勉強用のノートをテーブルの上に取り出すと、すぐに筆箱からシャープペンシルを手に取った。
そんな慌てる彼の姿を見て、私の中の少し意地悪な気持ちはテーブルに肘を付かせ、彼を眺めながらニヤニヤとさせるのだった。
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