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    第4話 犬の見つめる瞳への応援コメント

     はじめまして。尾川と申します。
     連日御企画にて作品を募られ、目にもとまらぬ捷さで卒読・感想を述べられる手腕に陰ながら舌を巻いております。一種の批評家が先鞭をつけたあとの作品は、先の人の読みと、自分の読みとが、自ずからどう喰い違ってくるかに注目すると、なお読書が面白くなるので、新しい作品に出会う道しるべのようなものに御企画はなっており、ありがたい限りです。
     以下、本作に接して感じたところです。
    ――
     柴犬カイトの存在感が際立っていました。翔をして《永遠に帰れなくなる気》にさせるような、純朴な、真っ黒な瞳。カイト自身にそんなつもりはなかろうと、パンダの目の周りの黒い隈取りが人に目だと勘違いさせるような塩梅に、カイトが天徠もっている瞳は、人に過大で非現実的な忠実さ・無垢・純粋さといったものを想起させる。ハキハキしたところの消え失せた、近所であまりいいように思われていなかっただろう男の死を、誰よりも純粋に悼んでいるように、翔たちをして思わしめるような、樹下に瞠られたつぶらな瞳。少年の頃は、むしろこの真っ黒な瞳を通して、真っ黒な瞳の純粋な真っ黒さを信じて、《大きくなれば分かること》を彼自身が分かることを拒否しているような印象を持ちました。
     問題は懐かしさをおぼえるかどうか。
     僕はそれほど懐かしさをおぼえませんでした。総体的に平べったい感じがしました。
     空の描写と、街を構成している物たち。空の描写には小学生が夏休みの課題でえがくポスターのような、チューブから出したままの原色の色づかい、教科書的平明さがあり、街並の構成物にはプラスチックな=年代を感じさせない=そこだけが本作が失われたあとにも永久に残るだろう腐蝕耐性の語感だけがあります。安全基準を満たした規格品やチェーン店はみな同じ姿をしているから、それらは記号と化しています。街並がひらけてくる感じはなくて、記号が並んでいる感じです。その余波は廃洋館にも及んでおり、ここに不気味な中間色のとらえがたい生彩はなく、配置だけが問題になっている観があります。
     高層マンション、ファミリーレストラン、自動車の販売店、車、バス……。これらにいかにして懐かしい色彩を付与するかが手腕の見せ所ではないでしょうか? いま一度これらを新たに描き直し新たに樹ち上げようという気概がなければ、懐かしさを醸し出すことはできなかろうと存じます。
    ――
     進んだ技術が、清潔感と健康および長寿を約束するのは、画一化された生活スタイルや空間デザインの上においてです。高層マンション、ファミリーレストラン、自動車販売店とだけ書けば、それだけで伝わるような気がするのは、画一化されているから。画一化が文面から起伏を奪ってゆく流れは止まらないでしょう。歩くのにやさしい平坦な道から、石高道、難所をこえて、その先に見晴るかされる表情豊かな景勝地と呼ぶべきものを技術は文面から回収してゆきます。身の回りにある文物から、いわば技術は進めば進むほどに、文学的要素を回収して行ってしまう。だから、僕らがものを描写するときは、技術に回収されないように気を遣い、あまつさえ技術を腐蝕させるように努めるべきではないか、と思います。技術の所産が実生活のあらゆる疑惑をあらかじめすべて無効化している(ように思われる)から、現代作家はしばしば、むき出しの現実の上に問いを立てることはしないように見受けられます。高まってゆくリベラリズムの思潮、多様性、価値観の解放等々の好尚、巷で猛威をふるっている思想的流行の上に問いを立てる傾向がうかがえます。しかしおそらく土台から問うことはしないでしょう。つまりファミリーレストランをただにファミリーレストランとだけ書いて済ませる習慣から、あえて脱却しようとはしないでしょう。土台への問いはすでに技術によって回収されているから。
     しかしながら技術が予め回収したかのように見える疑惑を、再び掘り返してさらけ出すことが、純文学には必要になってくると私考します。そしてその気概は描写の仕方においてまずつまびらかになるだろう、と。

    作者からの返信

    尾川喜三太さん、長文の感想をありがとうございます!

    犬の見つめる瞳は、遠藤周作のエッセイをベースに考えたもので、犬の瞳を通じて、大いなるもの、神のようなものの意志を表したものなのですね。人間世界に働きかけたくとも、それをなしえない存在、しかしその瞳は人間への愛に満ちている、というニュアンスを込めたものです。

    ノスタルジーに関して言うと、改めて設定ミスしてるな、と実感いたしましたのは、これ、令和の現代で書いているんですよね。そうではなく、筆者の子供の頃、1980年代にするのがベストでしたね。書いてる本人は昔の出来事を書いているので、ひとりノスタルジーを感じて悦に入っているわけですが、読者様はそうではない。似た経験を持っている方は共感していただけるのでしょうが、それがなければ、尾川さんのような感想になるのはいたって自然な事で、失敗したなぁ、と思っている次第です。改稿しようかな…。

    懐かしさを、風土という観点で考えた場合、尾川さんのいうように、土台からの点検が必要になるでしょう。残すべきもの、変えていいもの、変わっていくもの、変えてはならないもの、とても大事な観点ですし、それらを書くのも作家の一つの務めだと思いますね。これから書いていく作品に、私の家の近所の公団住宅も全て潰して、新たにタワマンを作る予定のようですが、そういった物への想いを書こうと思います。

    編集済
  • 第4話 犬の見つめる瞳への応援コメント

    星と申します。
    犬は何でもわかっているんですよね。特に人の悲しみとか辛さを感じ取る、不思議な能力があるみたいですね。
    人の死、心の病、初恋、親の優しさ、そして犬の感情。しみじみと描かれていて秀悦な短編でした。

    作者からの返信

    星ジョージさん、感想を書いてくださってありがとうございます!

    この作品は基本的に実体験ベースなのですが、カイトの最後の姿はフィクションで、これは遠藤周作の犬に対する考え方をベースにしています。

    >「家に帰りたくないんだよ」と私はそのクロだけに自分の切なさをうちあけた。「どうしてこうなったんだろうなア」と、クロは私をじっと濡れた眼で見て、「仕方ないですよ。人生って、そんなもんですよ」と答えた。読者は笑われるかもしれぬが、あの時、クロは確かにそう言ってくれたのである。ほかに話相手のない子供にとって、その犬だけが悲しみのうち明け相手、慰めてくれる友だった。<
    https://seitar0.exblog.jp/241272543/

    犬は人間のよき理解者、愛すべき友である、と私も確信していますので、そのように書きました。

    褒めていただいて嬉しいです、このような作品がもっと多くの人に届いて、何かを感じてくれたら、と思っています。

  • 第1話 陽が沈む頃への応援コメント

    企画にご参加いただきありがとうございました。
    執筆頑張ってくださいね!

    作者からの返信

    ありがとうございます!リョーシリキガクさんの作品も
    拝読しに行きますね、お待ちください。