第20話 アムリタの静かな帰還

帰還と無人の街の再認識


 馬車の車輪が止まると、アムリタの街は深い静寂に包まれていた。旅の仲間たちが一斉に馬車から降り立つが、出迎える者は誰もいない。街全体を覆うのは、復興途上の瓦礫と、風に揺れる草木の音だけだった。


 アイリスは腕を組み、廃墟が広がる光景を厳しい目で見つめた。


「まったく、里へ行く前と何も変わっていないわね。一刻も早く再建を進めないと」


 イヴリンは、稼働している風車や水路、畑の自動水やり機構などに目をやり、安堵のため息をついた。


「誰もいなかったからねぇ。各インフラ機能は動作してくれたみたいだけど」


 リオンはそっと、リンの肩に手を置いた。


「にゃあたち協力するにゃ。『獅子の誇り』にかけて、恩はしっかり返すのが獣人族の掟にゃ。里はシエナが『秩序の守り手』として見てくれるにゃ」


 イヴリンがリオンたちに目を向け、街の名物となった温泉施設を指さした。


「獣人族の協力は頼もしいねぇ。でもまずは……アレ。入りたいんでしょう?」


 リオンとリンが顔を見合わせ、目を輝かせる。


「にゃあああっ」


 アイリスが微笑み、皆の疲労をねぎらった。


「そうね。まずは疲れと傷を癒すためにも、久しぶりにみんなで入ろっか。温泉」


 その提案に、皆が賛成の意を示し、一行は街の中心に位置する温泉施設へと歩を進めた。



 ◇



温泉での癒しと里の解放報告


 高温の湯気が満ちる温泉施設に、仲間たちの安堵の息が響き渡った。全員が湯船に身を沈めると、リオンは天国のような心地よさに目を細める。


 リオンの全身の骨が軋む痛みが、湯に浸ることで音を立てて鎮まっていく。


「にゃあああ……生き返るにゃ。やっぱりアムリタの湯が世界一にゃ! この湯がある限り、にゃあは、どんな魔物にも、ダンジョンにも挑めるにゃっ」


 ノアは湯船の縁に頭を乗せ、穏やかに笑った。


「リオンの故郷も無事解放できたし、まずは一安心だね。シエナさんが長代行を引き受けてくれてよかった」


 アイリスは湯に浸かりながら、リオンに尋ねる。


「それで、里の協力は具体的にどの程度見込めるの? 特に資材調達や、我々の専門外の力仕事は大きな助けになるわ」


 リオンは身を乗り出して報告した。


「里の者たちは、にゃあの代わりに温泉を広めることに協力してくれるにゃ。それから鼻を利かせた採取も採掘もできるにゃっ。身体を動かすのが、獅子族の得意分野だにゃ!」


 イヴリンは満足そうにフラスコを振り、「それは素晴らしい! 錬金術と獣人の力が合わされば、アムリタ再建は加速するね!」と高揚した声を上げる。


 しかし、すぐに空気が変わる。アイリスが鋭い視線をノアに向けた。


 アイリスは、しっかりとタオルを身体に巻き付けて湯船に浸かっていたが、その場に立ち上がると、ノアを指差した。彼女の顔はわずかに赤く染まっている。


「ノア、貴方の功績は認めるわ。里の解放も、ダンジョンでの働きもね。だから、こうして私たちも貴方を『信頼できる仲間』として、疲労回復のために特別に混浴を許しているの、分かる?」


 アイリスは指を突きつけたまま仁王立ちし、顔を赤くして告げた。


「だから、あんたもちゃんと『英雄の証』を隠しなさいね!」


 アイリスはそう言いながら、自分でも頬が熱いのが分かった。さらに顔を赤らめながら、アイリスは畳みかける。


「それに、あ、あたしは、里の陽動作戦をしたノアに、獣人族の『恍惚状態』のお姉さんたちが変なことを言ってたのが気になって仕方ないんだからっ!  何があったかちゃんと説明しなさいよ!」


 ノアは顔を引きつらせ、湯船に沈みかけた。


「あれは……ええと、イヴリン先生の薬の効き目が強すぎて、彼女らが僕を捕まえるどころじゃなくなったというか」


 イヴリンは得意げに胸を張る。


 「ね、ノアくん。あれは最高傑作だろ?  獣人の五感に訴えかける超音波と、猫科を理性のタガから解放する究極の錬金術だよ」


 エルザが静かにノアを見つめ、厳しく言い放った。


「ええ、貞操の危機に瀕した女性獣人がいたと聞きましたよ。二度とあんな危険な薬を安易に使わないことですね。ノアさん」


 ノアは顔を青くし、小さく頷いた。


「はい……。心に刻みます!」


 ノアの脳裏には、恍惚状態になった何十匹もの獣人たちが、一斉に自分を『愛の獲物』として追い回す、『本能の暴走による地獄絵図』が瞬時にフラッシュバックした。


「て、ていそうって……」


 アイリスは顔をさらに紅潮させる。


「いえ、ノアさんが何かしたと言ってるわけでは……」


 エルザのフォローにアイリスは納得せず、ノアの顔のすぐそばまで湯を掻き分けて最接近すると、再度、追求した。


「本当に、変なことは何もなかったのよね!」


「ち、ち、ちかいよ。アイリス」


 ノアは、薄い布一枚だけに隔てられただけのアイリスの身体の先端が顔に触れそうになり、顔を真っ赤に染めながら湯に沈んでしまった。


 この様子を見て、エルザは静かに結論づけた。


「この様子なら、何もなかったのでしょうね。分かりきっています」


 ノアの耐性のなさは、獣人の貞操危機とは無縁であったことを示していた。


 アイリスは一応納得した顔をして湯に浸かり直した。リンはそんなノアを見て、面白そうに姉に話しかける。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん! ノアはああいう変な薬をよく使うの?」


 リオンは妹の頭を撫でながら、愉快そうに笑った。里の解放という緊張が解け、仲間たちの間に温かい日常の空気が流れる。



 ◇



ダンジョン攻略に向けた連携強化


 リフレッシュを終えたノアとリオンは、アイリスの研究室で巨大な羊皮紙の図面を見つめていた。その図面には、ダンジョンの構造と、以前ノアが持ち帰ったゴーレムの動きの記録が、錬金術のインクで詳細に書き込まれている。


 アイリスは羊皮紙の図面を指し示しながら、リオンに真っ直ぐ告げた。


「リオンにはノアと一緒にダンジョン攻略に挑戦して欲しいの。薬草探しの時のジャガーノート・ビースト戦も、獅子族の長を決める戦いも、あなたの戦闘力の高さは際立っていたわ」


「もちろんにゃ。ノアと一緒に攻略するにゃっ」


 リオンは初めて挑むダンジョンを恐れるどころか、目を輝かせ、ワクワクしている様子だった。


 ノアは剣を抜き、床で軽く素振りをする。


「うん。リオンとなら、もっと先まで攻略できる」


 剣士であり、リソース管理能力に長けるノアと、圧倒的な身体能力と爪の必殺技を持つリオンの戦闘特化パーティーに、アイリスは大きな期待を寄せていた。


 アイリスは図面から目を離し、ノアを真剣な表情で見つめた。


「いい? 無理は絶対だめだからね。今回の攻略は、あくまでアムリタを冒険者が集まる街にするためのテストだからね」


 イヴリンが新しい錬金釜を抱えて入室し、目を輝かせた。


「いいね、いいね! リオンくんの動きの軌跡を元に、私の新しい動的錬金術地図を改良したよ! ダンジョン内の魔物の行動を高精度で予測できるはずだ!」


 リオンはノアに目を向け、決意を促すように問いかける。


「ノア。準備はいいにゃか」


 ノアは剣を構えたまま、まっすぐリオンを見据えた。


「ああ。ここからが、僕たちの英雄物語の本当の幕開けだ。行こう、リオン。新生アムリタの英雄として!」


 リオンはノアに並び立ち、力強い咆哮のような叫びを上げた。


「応! 温泉のために、ダンジョンをぶっ潰すにゃ!」


 イヴリンは肩をすくめ、小さく呟いた。


「ぶっ潰されちゃ困るんだけどね」


 二人は、ダンジョンへの期待を胸に、硬く扉の閉ざされた入口を見上げた。


 ノアは、全身の力を込めるのではなく、『英雄の道』への第一歩を踏み出すように、そっと扉を押した。軋む音と共に、扉の向こうに広がる暗闇。


 新生アムリタの命運を賭けた、本当の冒険が、今、始まる。


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