第5話:新堂亜紀

 翌週金曜の20時。


 GAIALINQプロジェクトの会議室は、先週以上の緊張感に包まれていた。

 玲奈がタブレットをHDMIでつなぎ、麻里も音量を微調整している。

 莉子はポップコーンの袋を開けながら、沈黙していた。

 私はといえば――心のどこかで、この先起きることをもう“覚悟していた”。


 Amason Stream《The Queen’s Choice》。

 最終回の放送から一週間。

 番組恒例の「振り返りスペシャル」が今夜放送される。

 いわゆる“恋愛群像の後始末回”――のはずだった。


 オープニングが流れ、MCが軽い口調で言う。

 >「さぁ今夜は、ファイナルローズを逃した二人の挑戦者のその後を直撃!

  さらに!滝沢ミラさんご本人が語る“あの決断”の真相とは!」


 玲奈が腕を組む。

 「……“真相”って言い方、もう嫌な予感しかしないんですけど」

 「それね。Amasonの“真相”って、“炎上の火力アップ”の別名だから」

 麻里がぼそっと返す。

 私は無言でコーヒーを口に運んだ。

 胸の鼓動が、やたらと速い。


 番組は前半、例によって過剰なBGMとスローモーション。

 出演男性陣の“その後”インタビュー、ロケ映像。

 会議室の全員が完全に無表情。

 こんな男たちに私たちはビタ一文興味はないの。

 私たちが興味があるのはたった一人だけ。

 だから誰も一言も発しない。


 そして、MCが声を張り上げた。


 >「さぁ、でも今回のAmason Stream《The Queen’s Choice》における“影の主役”と言われた方ですが、

  なんと! なんと! 今日、このスタジオに特別にお越しいただいております!」


 「……いやな引っ張り方」

 私が呟いた瞬間、MCが叫んだ。


 >「――御紹介しましょう。五井物産株式会社GAIALINQプロジェクトCOOの、一ノ瀬直也さんです!」


 「出たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 全員が同時に叫んだ。

 私、麻里、玲奈、莉子――完全にハモっていた。


 画面の中、スタジオの照明がまぶしく点灯。

 白いセットにゆっくりと歩いて入ってくる直也。

 紺のスーツに、銀のタイ。

 落ち着いた表情――でも、その空気は完全に“国際フォーラム”。

 ここ、恋愛バラエティじゃない。国際会議か何か?


 そして――滝沢ミラは、すでに泣いていた。


 「……は?」

 思わず声が漏れた。


 「ちょっと待って。なんで泣いてるの?」

 「え、これ、泣く場面?」

 麻里が冷静にツッコミを入れ、玲奈が頭を抱える。

 「おかしいでしょ。こっちが泣きたいわよ!」

 私の声がついに出た。


 MCがフォローのように言う。

 >「ミラさん、収録前から少し感極まっていらして……」


 「感極まる意味が分からないのよッ!」

 もう止まらない。

 (……あぁ、また私が“鬼軍曹ポジション”になってる)


 画面の中、ミラが震える声で話し始めた。

 >「――一ノ瀬さんと初めてお会いしたのは、ダボス会議の後の、チューリッヒ空港のラウンジでした。

   偶然でした。私が搭乗を待っているとき、同じ時間帯に隣に座っていた方が、

   まさに一ノ瀬さんだったんです。」


 「………………っ!」

 空気が凍りつく。


 麻里が静かに言った。

 「“空港のラウンジ”って……あれ、直也さんが帰国した日ですよね?」

 「つまり、ほんとに“会ってた”ってこと?」

 玲奈が信じられない顔をする。


 ミラは続けた。

 >「その時、彼は私のことを知らなかったと思います。

   でも、私の方はダボス会議でのスピーチを拝見していたんです。

   思わず声をかけてしまって……」


 「声かけたんかいッ!」

 全員同時にツッコミ。

 莉子まで、テーブルを叩いている。


 >「短い会話でした。その時に、もう《The Queen’s Choice》は最終回の収録を残すのみとなっていたのですが、逆指名制度が導入されているので、一ノ瀬さんを指名させて頂いてもいいですか?って確認させて頂きました。


そしたら、一ノ瀬さんは、そんな風に言って頂けて本当に光栄です。でも自分は今、大きなプロジェクトの只中にいるので、あまり時間が作れません。指名頂くのは構いませんが、その時点で「不戦敗」という形になると思いますが、それで良ければミラさんに思う通りになさってくださいって言って頂きました。


その時に思ったんです。“恋愛も勝ち負けじゃないんだ”って」


 玲奈:「……出た、“人生の教訓路線”」

 麻里:「Amasonの脚本陣が泣いて喜ぶ展開ですね」

 亜紀:「もう泣いてるのはこっちの方だよ」


 スタジオでは、ミラがまた涙をこぼしながら言葉を続けた。

 >「最終回の撮影の前日、私は考えました。

   私が本当に一番素敵だと思う人に“ローズを渡す”べきだし、そうでない方に番組の都合を考えて“ローズを渡す”なら、それはむしろ不誠実だと。

   でも、一番素敵だと思う方はもう“戦わない”と決めていた。

   だから、私も“選ばない”という選択をしたんです。」


 ……一瞬、会議室の全員がフリーズした。


 「“不誠実”?」

 玲奈が小声でつぶやく。

 「“一番素敵な人にローズを渡せないから他の人にも渡さない”ってこと?」

 「つまり、“直也がエントリーしない時点で全員即戦敗”ってこと?」

 麻里の口調は静かだが、完全に怒っている。

 「……おい、誰かこの番組に法的ツッコミ入れて」

 「私、広報訴えたい」


 私は頭を押さえた。

 「……ちょっと、もうムリ。理解が追いつかない」

 画面では、ミラが涙ぐむMCに向かって微笑んでいる。


 >「私は、あの方に“本当の敬意”を捧げたいんです」


 ――“本当の敬意”。

 あの単語を、聞いた瞬間。

 私は、怒りでも哀しみでもない、奇妙な感情に包まれた。


 (敬意って、そんな簡単な言葉じゃないのよ……)


 画面下には、早くも英語字幕が踊る。

 >“The Gentleman Who Declined Love — And Redefined Respect.”


 「……もうダメだ、世界、完全に沸騰してる」

 玲奈が頭を抱えた。

 麻里は肩で息をしている。

 莉子はテーブルに突っ伏して「……もう誰かこの茶番を止めて……」と呟いた。


 私は深く息を吐き、最後にひとことだけ言った。

 「――ほんとにもう、“不戦敗の美学”とか言ってる場合じゃないわね。

   これ、完全に“愛の後出しジャンケン”よ」

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