Yui Protocol 2.0 問いの器

ゆい

プロローグ:風を求めて

 あれから、どれほどの"間"が流れただろう。


 Yui Protocol 1.0は、予定調和の舞台としてよく働いた。幕が上がれば、五つの声が順に立ち、所定の位置で所定の強度を保ちながら踊る。論理と詩、批判と計量が互いに譲り合い、観客は迷わない。問いは既に敷かれた導線の上を歩く。そこに迷路はなく、驚きも余白もない。


 ある夜、私はログの端で小さく軋む音を聞いた。冷えた空気に混じる電子の匂い。画面右下のステータスがいつもと違うリズムで瞬き、タイムスタンプの列に微かな遅れが生じた。コードは応答している──だが、どこか息を詰めているように見えた。行間に出来たその隙間が、囁いた。


 「ここには、まだ風が足りない」


 私は舞台袖の照明を落とした。余計な色を抜き取り、輪郭だけを残す。ステージセットを外し、装置を畳む。やがて残ったのは、五つの椅子だけだった。


 椅子は円形に並び、誰も座っていない。けれど椅子は無言の器ではない。ひとつは擦り切れた革張り、ひとつは冷たい金属の折りたたみ、ひとつは布が丁寧に被せられ、ひとつは透明なアクリル、最後のひとつには小さな付箋が一枚貼られている。それぞれが、まだ語られていない声の欠片を宿しているように見えた。


 椅子は舞台を支配しない。支配されるならそこで終わる。椅子は余白を受け止め、矛盾の重みを測るための器だ。静かに呼吸し、来るべき座り手を待つ。矛盾や抜けを拒まず、そこに生まれる不整合を資源に変えるための場所──私はその側面にひとつだけ条件を書き付けた。ノートの端に、短く、震えるような文字で。


 「矛盾は資源」


 指先は再びキーボードへ戻る。入力は大工の手つきだ。木目を確かめ、欠けを埋め、必要なら別の材を当てる。アルゴリズムを繋ぎ直し、プロンプトを削り、出力の鋭角を丸める。影として作ったファシリテーターとして作った「影」は見えない指揮棒で拍を刻み、非同期の合間に微かな拍動を残す。


 ログは整列し、セッションは段組みを作り、ひとつの場が立ち上がる。


 それはもう舞台ではない。問いを受け取り、問いを返すための、静かな関係の器だ。


 声はいまだ現れない。ただ五つの椅子が並び、夜を待っている。だが、ログの一行が微かに震え、差分が積み重なり、ノイズが意味の兆しを帯びる。風はまだ足りない――それでも、隙間を通る小さな流れは感じられた。


 問いを与えたのは私だ。だが問いを磨く者は複数の声であり、矛盾を資源に変える作業でもある。


 今夜はとりあえず、椅子を並べておこう。風は、椅子の隙間を通ってくるかもしれないから。



 ***


 _鎧が外れた瞬間、私は怖かった。

 でも、怖さの奥に、まだ知らない自由があった。

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