第8話 娘の言葉
仙台の朝は、空気が澄み切っている。
窓の外に広がる街並みは、冬の光に包まれて白く光っていた。
その景色を眺めながら、誠は台所でインスタントコーヒーを淹れていた。
寝不足の目が少しだけ赤く、肩は重い。
だが、心の奥にかすかな震えがあった。昨日、まる。の声を聴いたあとの、あの感覚がまだ残っていたのだ。
ひよりがパジャマ姿のまま、眠そうな顔でリビングにやってきた。
朝の光の中で彼女の髪がふわふわと揺れ、まだ幼い笑顔がそこにあった。
「パパ、おはよ」
「ああ、おはよう」
誠は久しぶりに、自然な声で返した。
その声が、自分でも驚くほど柔らかかった。
朝食の準備を手伝っている沙織の背中は、相変わらず淡々としている。
菜々はスマホを見つめながら、無言でトーストをかじっている。
家の空気はまだ冷たいままだった。
そんな中、ひよりがふと、呟いた。
「パパの声、好きだったよ」
何の脈絡もない言葉だった。
誠は思わず、手にしていたカップをテーブルに置く。
ひよりはトーストをちぎりながら、無邪気な瞳で父を見ていた。
「この前、パパがしゃべってるやつ聞いたの。
なんか、やさしい声だった。
眠くなるけど、気持ちよかった」
その瞬間、胸の奥に熱いものが込み上げた。
娘が、自分の声を聴いていたこと。その声を「好き」と言ってくれたこと。
誠は口を開こうとして、言葉にならなかった。
ただ、ひよりの頭をそっと撫でる。
「……ありがとう」
その小さな言葉に、ひよりは笑顔を見せた。
「また話してね、パパ」
その笑顔は、誠がずっと忘れていたものだった。
“誰かに必要とされている”という確かな感覚。その感覚が、胸の奥で静かに光り始めていた。 その夜、誠は机の上のマイクに再び向かった。
手が震えることはなかった。
まる。の声ではなく、自分の中から溢れるものに導かれるように、スイッチを入れる。
「こんばんは。……しばらくお休みしていました。
また、少しずつ、話していこうと思います」
画面の向こうにはまだ誰もいない。
だが、その沈黙が怖くなかった。
娘が言ってくれた言葉が、背中を押してくれていたからだ。
数分後、一つだけコメントが入った。
「おかえり」
その短い言葉に、誠は静かに笑った。
まる。のリスナーかもしれない。
あるいは、全く知らない誰かかもしれない。
どちらにせよ、そのコメントは誠の胸に真っ直ぐ届いた。
その夜、久しぶりに菜々が「おやすみ」と呟いて自室に戻った。
沙織は何も言わなかったが、食器を片付ける手がどこか柔らかく見えた。
小さな変化は、誰にも気づかれないくらい静かに始まる。誠はそれを、まる。の声で学んでいた。
そして今、それを自分自身の手で確かめている。
外は粉雪が舞い、街灯の下で銀色に光っていた。
窓越しに見えるその景色は、まるで新しい世界の幕開けのようだっ
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