叡智の薬譜

@TACHIBANA-K

第1話 叡智の薬譜

白衣のポケットでスマートフォンが震えた。画面に表示されたのは、見覚えのない海外番号。

「……こんな時間に? ってことは、あの人しかいないか」

共同研究者のスティーブ・エメルソン。時差を無視して平気で電話をかけてくる彼の癖は、もう慣れっこだ。

「また『日本のお守り送ってくれ』って頼みかな。前は少彦名神社だったけど……」

ため息をつき、コール音を無視して仕事に視線を戻す。

ここは医科大学付属病院の薬剤部。橘楓は、研究員兼薬剤師として新薬開発に追われる日々を送っていた。

本もゲームも読む時間がない。ファンタジー好きの彼女にとっては少し寂しい日常だ。

けれど頭の中には、病室の少年の顔が常に浮かんでいた。

「必ず助けるから。だから待ってて」

その言葉は、彼女自身を奮い立たせる呪文だった。

机の上には、彼女が大切にしている分厚い薬理学書がある。照れ隠しに「叡智の薬譜」と呼んでいるその本を手に取り、ページをめくった。

「……もし、この成分とあの植物を組み合わせれば……」

独り言をつぶやきながら指先でページをなぞる。次第に意識が朦朧とし、全身が鉛のように重くなった。

「だめ……まだ、調べなきゃ……」

視界が揺れる中、本から光があふれ出し、楓の身体を包み込む。

彼女の願いと知識への渇望が、具現化するように。

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