序章『聖者の詩』-03
●
目を開けた。
周囲に風があることもだが、腕の中に猫がいることに己は気づいた。

「生きて――」
という自分の声が聞こえない。
耳をやられている。
ただ身体のふらつきを視覚で感じながら、己は、尻をついた姿勢で周囲を見渡す。
広い駅のエントランス。
その床の上を、煙と風が走っている。
爆発が起きたのは間違いない。だけど自分は生きている。

「何が起きたの……?」
疑問がかすかに聞こえた。音が、耳に戻ってくる。
聞こえてくるのは風の音。そして、風が吹いてくるのはテラスの方角だ。
テラスやロータリーの外灯が作る逆光の中。
己は一つの影を見た。
灰色の巨人を遮蔽するように、背を向けて立つのは白と黒の衣装。
それは長髪とロングスカートをなびかせた女性の影。
右手には巨大な杖のようなものを提げ、左手を前へ、
テラスの方へと向けている。
●
負けないでと言った、”あの声”の人だと、直感した。
●

「――――」
ただ前を見ている女性。
こちらに振り向かない。
かざされた手より向こう、覗けるテラスの上には煙が巻き、床は左右に大きくえぐれている。
風が走り、テラスにたなびいていた煙が飛んだ。
テラスの向こうにはやはり巨人がいる。
どういうこと、と全てに対して思う疑問を、高い声が停めた。
眼前に立つ女性の声だ。

「
その声に、応じる言葉があった。

「見ていたよ、新庄君」
それは男の声。しかも、すぐ近くから。
猫を抱いたまま振り仰げば、いつの間にか一人の青年が横に立っていた。
佐山と呼ばれた人だろう。
白と黒の兵服に似た服を着ていた。
サイドに白髪が一筋入ったオールバックの髪の下。鋭い視線を持つ顔がある。
彼、佐山がこちらに歩み寄り、見下ろすのではなく、首を傾けて視線を合わせた。
ふむ、と風の中で彼が頷き、こちらと、猫を見て告げた。

「乱入者とは珍しい」
手が伸び、頭を撫でられた。
グラブ越しに、堅い手指の感触がある。
そしてふと、安堵からか、自分は思い出す。
先ほど、傍に転がった楽器ケースのことを、だ。
三位に終わった結果は、意外に近くにまだあった。
それを視界に入れた時、一つの言葉が来た。

「――よく頑張った」
●
それは今日、聞きたかった、もう一つの言葉だった。
今日、それを聞いていれば、ここにいることは無かったろうか。
心で思った疑問に、しかし力が抜けた。

「――――」
それは身体が、床に沈んでしまうような感覚。
あ、いけない、と思ったときにはもう、自分は安堵から床に頽れていた。
●

「さて……」
と、倒れた少女の背を手で支えた佐山は、その細い身体を床に横たえる。
見れば、猫が少女の横から離れない。
まるで護衛役のようにしている猫に、己は苦笑。
先に前に立つ新庄の方に目を向けた。
右の肘を立て、髪を掻き上げ、

「現状はどうかね?」
問うと、顔横に表示枠が出た。

《失礼します
現状 近く範囲内の”敵”は人型・十五
主に1st-

「ウワー面倒。
ともあれこっちの主力もそれぞれテキトーに展開中の筈。
今までの中ではいい感じに久しぶりの大規模だね。
暴れる直前に概念空間に捉え切れて良かったと思うよ、ボクは」

「先ほど、

「追い立てられたのが、そこ、向こうにいるよ。一体」

《失礼します
他 飛行可能な二体が 飛場班と交戦中です
また 駅ビル内部及び周辺地域では ディアナ班 ガルム班が制圧に向けて進行中》

「
新庄の言葉を聞いた自分は、大げさに頭を振る。
手を左右に広げ、

「原川にはあれほど破壊するなと言ったのだが。
崩壊率が上がったら将来の世界に申し訳が立たない。
あのヤンキーは一度しっかりゴーモンにかけておくべきだと思わないかね?」

「きっとヒオが言うよ。ソフトにやって下さいね、って」

『勝手なことを言うな佐山・
とノイズ混じりの男の声が、表示枠から響いた。
己は、表示枠を一回タップ。
通信用のコンソールに変えると首を傾げ、

「――勝手なことではない、原川。君のため、この世界のためを思ってのことだ。あとで担当者を紹介しよう。電圧次第だが、大体五秒ほどで素直になれるそうだ」

《失礼します
奥多摩UCATのB2Fに御座います専門施設"濁点無しで黄門様"が 魔女裁判フェアとして半額の上でプリンターもついてくるサービス中です 是非御利用下さい》

「――だ、そうだがね? 原川。プリンターが来ればヒオ君も年賀状の印刷で困らないだろう。どうかね?」

『佐山・御言、アンタのために昔から言いたかった大事な一言がある』

「何かね? 並の賞賛では動じぬよ?」

『地獄に堕ちろ』
通信シャットダウンのノイズが聞こえた。
●
新庄は、とりあえず後ろを見た。
佐山が額に手を当てている。

「フ、原川……、全くもって困った男だ。世界にとって有害だね、ああいう自尊心の強い人間は」

「……鏡見たことある?」

「あるとも、朝と夜に十分は確認する。それと原川に何の関係があると?」

「……いや、佐山君は佐山君で異常に素晴らしいよなぁ、って今また確認しただけ」
己は視線を戻した。馬鹿の時間帯に関わると自分も馬鹿になる。気を付けねば。
ともあれテラス向こうの巨人が、顔周囲に幾つもの表示枠を射出していく。
こちらへの対応のため、防護障壁を展開の上、対人モードに切り替えているのだ。だが、

『…………』
その速度が遅い。否、遅く見える。
これはつまり、

《失礼します 現場監督の指示により現状十二倍の知覚圧縮を概念空間内にエンチャント中 効果はあと体感十五秒分続きます》
成程、と己は呟いた。背後、佐山に振り向かず、

「そこの子は? どう?」

「大丈夫だ。負傷はあるが、負けはしていなかった」
そう、と己は頷く。
頑張ったね、と、そう言葉を重ね、

「良かった。さっきの一撃に対して、防御用概念の符を全部使った甲斐があるね」
その一言が契機だった。

《失礼します 知覚圧縮 解除されます》
巨人が等速で動作した。

『――!』
来る。
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