序章『聖者の詩』-02



「――――」


 黒の髪。白の肌。着ているものは、あれだ。


 ……宇宙開発用の軽装甲服?


 インナースーツ基礎の、パワードハーネスを用いた黒い装甲服。学校の授業でも簡易版を着用して救助運搬の訓練があった。

 頭に狼耳があるのはファッションだろうか。

 しかし、


「……!」


 彼女が、狭いエスカレーターを後ろへ、3Fへと突き抜けていった。

 何? と思うより先に、肩を背後から叩かれる。

 行けと、そう言われたのだ。だから、


「……!」


 行く。

 背後。エスカレーターの上階側から激音が重なった。

 樹脂材の破裂音と金属の軋みは、足下への振動としてエスカレーターのフレーム破砕を伝えてくる。

 更に、


「……!!」


 あの女性では無いだろう。何者かの太い悲鳴が聞こえてきた。

 更に打撃音。五発が一瞬。

 そして、


「――――」

 構わず自分は走った。



 解らない、と己は思った、


 ……解らない。

 

 今、何が起きているのか。

 今、何が起こしてるのか。

 解らないことばかりだ。

 上。獣の声がする。先ほどのとは別のものだ。

 他にも”あれ”がいたのだろう。

 あれは何なのか。

 この状況は何なのか。

 すれ違い、激音のぶつけ合いに入った女性は何なのか。

 解ることは何も無い。

 だが、もう構わない。

 視界の中、正面に、両開きの硝子扉がある。


 ……出口!

 

 開いていた。

 シャッターも、そこだけは何故か降りていない。

 ゴールだ。

 あの扉、空白を抜ければ、駅ビルの二階を南北に貫く立川駅のエントランスだ。

 行った。


「……っ!」


 息が外気に散った。

 逃げ切ったのだ。



 安堵からか、転んだ。

 一回転と半分。

 肩から黒のケースのストラップが剥がれ、


「あ」


 ケースが自分よりも向こうに転がった。

 急いで回収しようとして、


 ……うわ。

 

 立てない。

 エントランスの床、タイルの上に手と膝をついた。

 そして気付いた。

 やはり無人だと。



 周囲、誰もいない空間がある。

 幅十五メートルほどの広い通路、立川駅のエントランス。

 すると、不意に右手の甲に一つの感触が来た。柔らかく湿ったものだ。

 何かと思って見れば、猫だ。まだ幼さの残る茶色い猫がいる。

 しかし、猫という存在があることに、己は背筋を震わせた。

 周囲、見れば人影が一つもない。

 今まで見たのは、襲ってきた影と、すれ違った女性だけ。

 上から見たロータリーも無人だった筈。

 この猫も自分と同じなのかと、自分は猫を抱き上げる。

 一瞬だけ合わせた視線の先、猫がこちらを見上げたが、身体を持ち上げると目を細めた。

 だから決めた。連れて行こう、と。

 立ち上がる。


「とにかく北口のテラスへ……」


 とつぶやき、右手側、テラスに繋がるエントランスの北口を見た。

 そのときだ。

 テラスの向こう、ロータリー側に金属音を伴った風が落ちた。

 見れば、ロータリーに立った風は、巨大な灰色の姿をしていた。


『――――』


 人型の機械として、だ。



「は……? ちょっと、チュート君」


 いきなりのことに疑問し、習慣から表示枠を呼ぶが、


《――――》


 駄目だ。

 空中にグリッチノイズが散って限界。何も出て来ない。

 ならば答えは正面にしかない。

 前方。テラスから上半身を突き出す身長は十メートルを下らない。全身は灰色の、


「ロボ……、いや、――鎧?」


 疑問に答えるように、巨大なシルエットが身を起こす。

 そしてこちらに顔を向けた。


『――――』


 巨体の顔の中、目のあたりで赤い光が二つ。

 見られている感覚が、確かに来る。


 ……うわ。

 

 鼓動がすくみ、身がしぼむ。

 息が出来ず、そこで初めて怯えているのだと自覚する。

 すると、震えた腕の中で、猫が身じろいだ。

 腕の締め付けをきついと言うように、だ。

 猫が鎧の視線など気にもせず、甘えるような鳴き声を挙げた。

 場違いな声に、己の口から、ふと、苦笑が漏れた。


 ……あー、くそ。

 

 思う。自分の恐怖は猫には無関係だと。

 何も解らないこの猫は、怯えていないと。


「――私だってそうなのにね」



 何も解らない。



「は」


 浅い吐息を一つ。それを合図とするように、身に力が戻る。

 いける、いける、と二度思う。

 左。

 自分がいるエントランスとテラスの間、下へと降りる階段がある。 

 あの巨人の大きさから言って、テラスの下に回り込むのは容易ではない筈だ。

 階段までは距離十五メートル。

 全力なら三秒かからない。

 だから決断、即座に走る。

 一歩目から全力で。だが、


「あ」


 と気づいたときには、右足を引っかけられたような動きで転んでいた。


「な、何!?」


 痛みよりも驚きで身体を跳ね起こす。

 見れば右足の先、革靴が転がっていた。

 靴の口からサイドソールまでが裂けている。

 先ほどエスカレーターを駆け下りたときに裂いていたのか。

 しまった、と立ち上がろうとした右の足首。

 そこに痛みが来た。

 立てない。

 膝から力が抜け、自分は冷たいタイルの床に転がった。

 く、と声が漏れ、倒れたまま背後を見た。テラスの向こう、巨人がこちらに右腕を掲げている。その右腕の外側に何か筒のようなものがある。


『――――』


 どう見ても、砲だ。

 狙われている。



「あ……」


 と更に声が漏れ、続きそうになる音を飲み込む。

 すると涙が出た。

 そして己は気づく。自分の抱いていた猫が、倒れた腰のあたりにいることに、だ。

 猫は倒れたこちらを気遣うように、脚に首をなすりつけてくる。

 もはや反射的な動きで、自分は猫を抱きかかえた。

 守る。

 そのまま巨人を見上げ、睨む。

 次の瞬間。


『……!』


 巨人の右腕。砲の先端から、こちら向きの力が炸裂した。

 まず初めに見えたのは炎。

 続く一瞬で白い煙が大気を走って来た。

 風走る先から響くのは、大気を貫く高い音。

 砲撃。

 来る。

 そして危険だ。

 自分は再び立ち上がろうとする。


「……っ!」


 喉から漏れるのは、悲鳴ではなく、己への憤り。

 抵抗を叶えようと望む声は、


「――!」


 だが、敵の放った力が一瞬で眼前に到達。

 爆発した。

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