終わりのクロニクル オリジン
川上 稔
序章『聖者の詩』-01
●
夜は何もかもに優しいと、そう思う。
●

「嘘でしょ……、これ。何よ? 何が襲ってきてるのよ……?」
終業後の駅ビル内部に、声が響いた。

「……は」
と、荒い息と共に足を止めるのは、一人の少女だった。

「……どうなってんの? あれ……、狼男?」
小さな非常灯の下、髪を乱した制服姿は冬の紺。
抱えているのは、刃物か何かで三本の切り裂きを受けた大きめの黒いケースだった。
彼女の正面、下りのエスカレーターは動いていない。
現在の表示階数は黄色で”3F”。
折り返して降りれば”2F”となる。
だから、

「そこから外に出るエントランスへ……」
視線を送ったのは右手側だ。
テナントが入らず、休憩所のようなスペースとなっている空間には外窓がある。
窓の向こうに見えるのは、二階外に広がるテラスだった。
そこに行けばいい。
外は安全。
だがその安堵よりも、一瞬、目を奪われるものがあった。

「――――」
夜だった。
●

……暗い。
街明かりがあるのに、暗い、暗い暗い窓の向こう。
あるのは伽藍と晴れた夜の空。
だが何処までも突き抜ける大気の下。
立川駅北口と表記されたテラスに出ればいい筈だった。しかし、

「……何で?」
向かいのビルが壁面時計で夜十時を指す下。
テラスにも、飲食店の入ってたテナントにも、道路にも、

「何で誰もいないの? 私だけ? ここにいるの」
気付いたように声を出す。

「チュート君?」
右手を上げてV字に振るのはモーションコントロール。
応じるように、空中に光る画面が出た。
表示枠。
RARコンソールだ。実際表示式の8インチサイズは、しかし、

《――――》
ノイズにまみれ、消えかけていた。
充電課金の不足は無い筈だ。だから、

「ちょっと、どういう……!」
答えは来た、

《――現在の設定では 表示許可が出ておりません》

「……は!? ここ、立川駅だよ!? 駅ビル!」
就業時間外のせいかな、と思うなり、追加の説明が来た。

《申し訳ございません 現場監督者に許可を得て下さい》
その言葉と共に、画面が消えた。
そして見えたのは夜の向こう。
窓外。
見ればテラスの下側、まだ枯れ枝の駅前通りの下には、車の列があった。
しかし、どの車も動いていない。
バスも、タクシーも、あるのに、動いていない。
恐らくは、駅から延びる線路の上にある電車も同じだ。
それら悉くに、あるべき人の姿が無い。
●
誰もいない。
●

「嘘」
だって、

「これだと、誰も助けがない……?」
何だこれは一体。
世界滅びた? それとも異世界転移? または私が既に死んでる?
全てまとめて、

「嘘」
ともう一度言ったら、咳が出た。
ここまで、上からずっと走りすぎた。
言葉に続く空咳が、肺の空気を枯渇させる。
身体を前に折りつつ、唇が言葉を音無く作る。
御免なさい、すぐに帰らなかった私が馬鹿でした、と。
腕の中の、傷を持った黒いケース。それを抱きしめる力が強くなる。
ケースのトップ、メーカーロゴの横にあるマークは、笛のシンボルだ。
サイドポケットには一つの紙が丸まっていた。
己は紙を結ぶリボンの白を視界に入れ、

「全部ここからケチがついたんだわ。
三年分のケチが。それでいつもの隠れ場所でイジケてたら、警備員のお爺さんの姿までなくなってて……、変な影が刃物を振りかざして……」
その前に、何か、妙な声を聞いた気がした。
頭に響くような声。
聞いたことがない響きだった。
RARコンソールの緊急発信でもない。
だがそれで目覚めたのだ。
あれは何? と首を捻り、しかし、返す首を強く横に振った。

……早くここから出ないと。
息をつくと、応じるように頭上で音が響いた。
直上、上階のエスカレーターから、杭打つように駆け下りてくる足音がある。

「……来た!」
●
行こう。

「……うん!」
自分はケースのストラップを手に掴み、エスカレーターへと身を躍らせた。
下へ行くことを選択。
下へ、下へ、下へ、二階へ。
追加要素は急げという一言だけだ。
エスカレーターは動かなければ雑な階段。
アルミのステップを駆け下りて行く。
足は革靴、強く踏めばステップは堅音を一奏だ。
走り降りる自分の足音。
それと重なるように、上から足音が聞こえる。
だが、そこで全ては終わらない。

「……風?」
外だった。
ビルの北面側。
そちらに、東から一つの音が近づいてきた。
深く長く広く響く低い音。
何? と身構えた直後。
ビルも大気もエスカレーターも、自分も含めて何もかもが、殴られたように横へ震動した。

「――っ!?」
●
それは大音。
飛行機の通過音に似た、身体の感覚を失うほどの大気爆発だった。

……うっわ。
全身が震えて総毛が立ち上がった。
脚など一瞬で止まる。
身体に聞こえる轟音は高速で東から西へ通過。
そして後に響く抜けるような風音も、また同じように西へ、西の空へと突き抜けていく。
沈黙。

「あ」
と気づけば、音から解放されていた。
身を一度震わせ、踵をステップ。
脚に震動を、身に力を。
感情は叫んでいる。
意志は前に進むことを望んでいる。そして、

《頑張って!》
いきなり出て来た表示枠が、聞いたことのない女性の声でそう告げた。
●

《二階のシャッターをこれから開けるから! 援護も行くけど、急いで!》
そして、

《――負けないで!》
●

……ああ
と、己は思った。
黒革ケースのサイドポケットにある紙。
賞状。順位は上から三つ目。
それを今日、貰ったときから聞きたかった言葉が、今聞けた。
●
己の望みに逆らうことなど出来はしない。
●

「は……」
息を入れて、駆け行く脚に力を入れる。
下を見れば、エスカレーターはあと数段で終わり。
急げ、と感情が叫ぶ。
が、視界から得た情報が心を停めた。
視界にわずかな闇がかぶっていた。それは上から、エスカレーターの上側から何かが迫っていることを示す影。
耳の中、上で響いていた足音が消えている。

……エスカレーターを、”下りる”んじゃなく”飛び降り”て来た!?
来る、と思ったときには動いていた。
手の中、ストラップの握りに力を込め、

「――御免」
と、ゴルフスイングのような動きをもって、ケースを上に回そうとする。
叩きつける。
それをもって不明の迎撃とする。
その瞬間だった。
下から、不意に己の動きが止められた。

……え?
正面。いつの間にか、目の前に人影がある。
2F側、下から突っ走って上がって来たのは、

「――――」
女性だ。
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