第13話:歪んだ正義
あの日以来、
私立星光学園の広大な訓練施設。その一角にあるラウンジは、普段なら訓練を終えた生徒たちの、賑やかな声で満ちているはずだった。
だが、今は息が詰まるような沈黙が、そこにいる者たちを支配している。
テーブルの一角に座るのは、閃、
(……クソ。なんだってんだ、この空気は)
閃は、内心で悪態をついた。
豊洲埠頭での、あの忌まわしい事件。
それが、脳裏に焼き付いて離れない。
圭吾の行為は、許せない。だが、組織の命令だったという事実が、閃の怒りの矛先を鈍らせる。そして何より、自分もまた、あの力の
「……圭吾くん、今日も一人だね」
ぽつり、と樹が呟いた。
彼の視線の先、ラウンジの最も奥の席で、圭吾が一人、分厚い専門書を読んでいた。彼はあの日以来、誰とも言葉を交わさず、まるで自ら壁を作るかのように、孤立を深めている。
彼を責める者は、誰もいなかった。
責める資格など、あの場にいた誰にもないと、皆が分かっていたからだ。
「……ほっとけよ」
閃が、低い声で言う。その声には、苛立ちと、やり場のない無力感が滲んでいた。
「でも……!」
「俺、ちょっと頭冷やしてくる」
樹の言葉を遮り、閃は席を立った。
これ以上ここにいたら、息が詰まってどうにかなりそうだった。
自分たちの戦いが、必ずしも清らかな正義のためではないという現実。
自分たちが信じてきた組織が、時に冷酷な「処分」を命じるという事実。
割り切れない思いが、黒い
その重さに、押し潰されそうだった。
━━◆━━
学園の医務室。
薬品の匂いがかすかに漂うその部屋で、
陽菜から聞いた、あの夜の出来事。
仲間が、人を「消した」という事実。
(……でも、私たちは……)
圭吾がやったことは、組織の命令だったのかもしれない。
けれど、それは本当に「正義」なのだろうか。
権力者のスキャンダルを守るために、人の命を奪うこと。それが、自分たちが命を懸けてまで、守るべき正義なのだろうか。
答えは、出ない。
考えれば考えるほど、思考は深い霧の中に迷い込んでいく。
(閃くんは……どう思ってるんだろう)
誰よりも仲間を想い、誰よりもその力に苦悩している彼のことが、詩織は心配でならなかった。
いてもたってもいられなくなり、彼女は医務室を飛び出した。
彼を探して、あてもなく学園の廊下を歩く。
そして、彼女は閃を見つけた。
第二実技訓練室。重力を自在に変化させられる、特殊な訓練施設だ。
その中央で、閃は一人、汗だくになって
ドッ! ドゴッ!
まるで、内に溜まった何かを吐き出すかのような、荒々しい打撃。
彼の拳には、青白い火花がまとわりついている。
「……閃くん」
詩織が、おそるおそる声をかける。
閃は、動きを止め、ゆっくりと振り返った。その瞳は、苦悩と怒りで揺れていた。
「……詩織か。何の用だ」
「ううん、別に用ってわけじゃ……。ただ……」
詩織は、言葉に詰まる。
何と言えばいいのか、分からなかった。どんな言葉も、今の彼にとっては、空々しく響くだけのような気がして。
「……心配、してくれてんのか」
先に口を開いたのは、閃の方だった。
「悪いな。……今の俺、多分、相当ひでぇ顔してるだろ」
「……うん。してる」
詩織は、正直に頷いた。
「すごく、苦しそうな顔。……見てられないよ」
そのストレートな言葉に、閃は一瞬、虚を突かれたように目を見開いた。そして、ふっと、
「……そうかよ」
彼は、訓練室の壁に背を預け、ずるずるとその場に座り込む。
詩織も、彼の隣に、そっと腰を下ろした。
「……俺、分かんねぇんだ」
ぽつり、と閃が呟いた。
「何が正しくて、何が間違ってんのか。俺たちがやってることって、本当に……」
「うん」
詩織は、ただ静かに相槌を打つ。
その、静かな時間が、不意に破られた。
『――神原、水瀬。それに、他の選抜メンバーもだ。至急、第一ブリーフィングルームへ集合せよ』
頭の中に直接響いてきたのは、隼人の、いつもより少し硬い声だった。
閃と詩織は、顔を見合わせる。
何か、新たな動きがあったのだ。
二人は、胸に宿る割り切れない思いを抱えたまま、重い腰を上げた。
彼らの抱える問いに、答えは与えられるのか。
それとも、さらなる闇が、その口を開けて待ち構えているだけなのか。
張り詰めた空気の中、運命の歯車が、静かに軋みを上げていた。
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