第3話:不良品の烙印

 私立星光学園。放課後のチャイムが鳴り響き、生徒たちが寮や部活動へと散っていく。その緑豊かなキャンパスの地下深くに、この国のいかなる地図にも記されていない場所が存在する。

 国家基盤保安財団、中央司令部セントラル・コマンド

 純白の壁と、冷たい金属光沢を放つ床。空気は完璧にろ過され、サーバの発する熱の匂いがする、感情の入り込む隙間もないほどに無機質だ。そこにいるだけで、自分が巨大なシステムの一部品にでもなったかのような錯覚を覚える。


 神原かんばらせんは、その中央に一人、たたずんでいた。

 彼の目の前にある巨大な執務デスクの向こう側。影の中に座る男は、静かに指を組んだまま、モニターに映し出された報告書に目を通していた。


 公益財団法人 国家基盤保安財団 理事長、神原かんばらまもる

 この国の零極滅消術れいきょくめっしょうじゅつ組織における事実上のトップであり、そして、閃の養父でもある男だ。


 歳の頃は五十代前半。寸分の隙もなく着こなした上質なスーツに、銀髪が混じり始めた知的な髪型がよく似合っている。その細められた瞳の奥には、穏やかな光と、全てを見透かすような底知れない深淵が同居していた。優しげな父親のようでもあり、冷徹な組織の長でもある。その掴みどころのない雰囲気が、閃には何よりも恐ろしかった。


「……閃」


 静寂を破ったのは、穏やかで、それでいて有無を言わせぬ重みを宿した声だった。

「報告書は読んだ。埠頭での作戦、ご苦労だったな」

「……」

「いくつか、聞きたいことがある」


 護は顔を上げない。その視線は、淡々と事実を羅列するディスプレイに注がれたままだ。だが、その声が発する圧力は、閃の肩にずしりと重くのしかかる。


「なぜ、ターゲットを消した? 我々の目的は、あくまで対象の身柄確保と、盗難された兵器の回収だったはずだ」

「……あいつが、隼人さんを……!」

「仲間が撃たれた。だから、頭に血が上った。そう言いたいのか?」


 護の声のトーンは、一切変わらない。まるで、今日の天気でも話すかのように。その変わらなさが、閃の神経を逆撫でする。


(分かってる。分かってるんだ、そんなことは……!)


 唇を噛む。拳を握りしめる。爪が手のひらに食い込む痛みだけが、今、自分がここに立っているという現実を教えてくれた。


「お前のその力は、単なる特殊能力などではない。数千年をかけて、人の体内に流れる微弱な電気を増幅し、意のままに操るために体系化された純然たる体内電流操作技術……。そして、その本質はただ一つ。『兵器』だ。それも、この国が持つ最強のな」


 そこで初めて、護は顔を上げた。その瞳は、息子に向ける父親のそれではない。得体の知れない“何か”を値踏みするような、鋭く、冷たい光を宿していた。


「だがな、閃。制御できない兵器は、ただの災害でしかない。お前はまた、我々の期待を裏切った。最高傑作であると同時に、最も扱いにくい不良品だということを、自ら証明した」

「……ッ!」


 不良品。その言葉が、鋭いナイフのように閃の胸に突き刺さる。

 言い返したい言葉は、喉まで出かかっている。


(あんたに俺の何が分かるんだ。俺がどれだけこの力を憎んで、怖がっているか、あんたは知ろうともしないじゃないか!)


 だが、その言葉が声になることはなかった。

 司令室の自動ドアが、静かに開いたからだ。


「――失礼します」


 入ってきたのは、葛城かつらぎ圭吾けいごだった。作戦時とは違い、今は寸分の乱れもなく制服を着こなしている。彼の後ろには、心配そうな顔をしたたちばな陽菜ひなと、相葉あいばいつきの姿もあった。


「理事長。埠頭での作戦報告書について、一点、確認したいことが……」

 圭吾は、閃のことなどまるで存在しないかのように、真っ直ぐに護を見つめて言った。その完璧なエリート然とした態度が、閃の神経をさらに苛立たせる。


「後だ、圭吾。今は閃と話している」

「いえ。今でなければ意味がありません」


 圭吾は、冷たい視線をちらりと閃に向けた。その目には、侮蔑の色が隠しようもなく浮かんでいる。


「作戦の最終フェーズにおいて、神原一人が暴走した結果、重要な証拠物件と尋問対象者を“消滅”させたと聞きました。そのせいで、我々は敵の背後関係を探る貴重な手がかりを失った」

「……」

「結局、いつものことですね」


 圭吾は、大きなため息と共にはっきりと口にした。


「血統もわからぬ野良犬はこれだから困る。感情の制御もできず、組織の足を引っ張ることしか能がない」


 その言葉が響き終わるか、終わらないか。

 閃の身体は、思考よりも先に動いていた。


「てめぇ、今なんて言った……!」


 床を蹴り、一直線に圭吾の胸ぐらを掴みかかろうとする。その右の拳に、バチバチ、と青白い火花が微かに散った。


「やめなよ、二人とも!」

「閃、落ち着いて!」


 陽菜と樹が、慌てて二人の間に割って入る。陽菜が閃の腕を押さえ、樹が圭吾の前に立つ。


「事実を言ったまでだ。違うか?」

 圭吾は、詰め寄る閃を冷ややかに見下しながら、少しも動じない。

「お前のような存在が、組織の規律を乱す。いずれ、取り返しのつかない災厄を招くぞ」

「うるせぇ!」


 閃が怒りに任せて腕を振り払おうとした、その時。


「――そこまでにしろ」


 神原護の、低く、しかし絶対的な威圧感を込めた声が、司令室の空気を凍てつかせた。


 凍てついた時の中、絶対者の冷徹な眼差しだけが、少年たちの愚かさを断罪する。いかなる鉄拳よりも重く、そして無慈悲なその一言が、下されようとしていた。

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