嘘のないただいま
鳥羽一太
出会い
壊れた。
傷にも、小さな穴にも気付いていた。これはいつまでも持たない、そんなことは分かっていたではないか。それでも、目を背け続けた馬鹿な自分を嘲る気にすらならなかった。
運よく、本降りになる前に公園にある東屋に避難できたものの、かなり濡れてしまった。濡れた靴は足先の感覚を奪った。あえて靴は脱がなかった。凍傷...だったっけ。確か、死んだ事例もあったはず。
身体を横に倒した。少し湿ったベンチは冷たく、触れた頬と手から確かに体温を奪ってゆく。目をつむった。もう開かなことを願って。
誰かが来た。そんな音がする。…近づいてきているのか。徐々に足音が大きくなる。
まだ…まだ、待ってほしい。あわよくば意識を失うまでは。
「どうしたの?あなた…大丈夫?」
ドキッとした。声は母ではないものの、捜索に来た警察である可能性もあったからだ。
「こんなところで寝ていたら危ないわ。もしもし?」
うるさい心臓に急かされ、目を開いた。一夏の前には、女が立っていた。制服は来ていない…どうやら警察ではないように見える。
「…すみません、大丈夫です。…母を待っていたら、少しうとうとしてしまって。」
下手に心配されないように身体を起こした。
「そう、よかったわ。」
優しい声だった。顔を見ることはできなかったが、笑っているだろう。
向こうを向いたことを確認し、女性の横顔に視線を移した。ちょうど、髪をかき上げていた。その横顔からでも、整った顔立ちであることがよくわかる。加えて、宝石のように輝く黒髪に目を奪われた。…フードを深くかぶった。きっと今、自分はひどい顔をしている、それが堪らなく恥ずかしくなった。
「お母様はいつ来られるの?」
「…え?」
顔を上げると、目が合った。優しい笑みを浮かべる彼女に思わず見惚れてしまった。
「ん?」
「…あ!えっと…もう少し掛かるみたいです。今頃は…向かってくれてるんじゃないですか…?」
「そう…」
一夏を一度見回すと、女性は傘を開いた。
「私の店にいらっしゃい。傘をあげるわ。」
そう言うと彼女は手を差し出した。
バレたのだろうか。母は来ないということ…誰も待っていないということが。
「あ…いや、私は…」
「ほら。」
細く、スラリとした手。気づけば私は彼女の手を取っていた。多分、導かれたかったのだと思う。これ以上、自分一人では歩けなかったから。
公園を出ると、目の前に古風な面構えの建物が現れた。あたかもずっとそこにあったような風貌であるが、新しい店なのか、見覚えがない。
看板は読めなかったが、目的地がここであることは、店の中が物語っていた。
傘だらけの店内。
「
店の奥、レジの上にいる猫を撫でながら、女が言った。こちらに気づいたらしく、一度大きく伸びをすると、立ち上がった。
「天、こちらお客様の…ごめんなさい、お名前、伺ってなかったわね。」
綺麗な黒髪を持つ女性は、
「私は、
「一夏ちゃん…ね。少し待ってなさいな、タオルを持ってくるから。」
そう言うと、晴はレジの奥の襖を開け、中へ吸い込まれるように消えた。
長い時間がたった。いや、実際にはそれほど時間は経っていないのだろうが、そう感じた。持て余した一夏は狭い店内を歩いてみることにした。
店にはいろいろな傘があった。赤や青、子供用から大人用、水玉模様や縞模様。少し変わった形のものもあり、以外にも時間がつぶれる。
「あっ、これ…」
記憶に新しいものと、まるで色は違ったが、中学生のころからの愛用品だ、見間違えるはずはない。一夏は買ってもらった時のことを思い出した。普段、ものをねだらない一夏が珍しくねだった。それが嬉しかったのか、母は笑顔で買ってくれた。
「ちょっとあんた、どういうこと!?今、大学からあんたが学校に来てないって…り、留年だって連絡が来たわよ!?」
母のことを思い出すと同時に、昨日のことが鮮明に蘇る。心臓が握られたように苦しい。息ができない。傘を落とし、床に手をついた。涙か汗かそれともよだれか、わからないものが床に模様を描いた。
「…はぁ…ぐっ…ゲホ、ゲホ…!はぁ、はぁ…」
呼吸を整えていると、突然足に何かが触れた。目を向けると、天がすり寄っていた。
「…ごめんね。驚かせたね…。」
天は、撫でられると、喉をゴロゴロと鳴らした。
間も無く、襖が開いた。
「遅くなってごめんなさい。大丈夫だった?」
「…はい。」
差し出されたタオルを受け取ると、まず顔を覆った。暖かかった。自分が触れるのがもったいないくらいに…暖かかった。
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