第45話 名もなき花の灯火
レヴェリウスの空は高く澄み渡り、秋の風が静かに石畳を撫でていた。記録の時代が終わった都市の街角には、あの日失われた光の代わりに、小さな灯火がともり始めている。
それは人々の手による灯火だった。機構に頼ることなく、自分たちで作り出した灯り。燃料を注ぎ、火を灯し、周囲を照らす。ただそれだけの、けれど確かな光。
ミーナは一人、広場の片隅でそれを見つめていた。旅の道中、様々な場所を巡り、人々の暮らしを見てきた。幸福という記録が失われた世界で、彼らがどう生きているのか。どう笑い、どう泣き、どう希望を見出しているのか。
そして今、その答えのひとつがここにある。
広場の中央では、子どもたちが集めた花びらで地上に絵を描いていた。大きな輪の中に、色とりどりの花弁がちりばめられ、それはまるで風に揺れる万華鏡のように美しかった。
「ねえ、見て見て、ミーナお姉ちゃん!」
声をかけてきたのは、まだ幼い女の子。かつてレヴェリウスで機構に管理されていた孤児たちの一人だった。
「これ、私たちがつくったの。名前はね、『しあわせの風車』!」
そう言って少女は、花の絵の真ん中に小さな風車を立てた。木と紙で作られたそれは、風を受けて、かたかたと軽やかに回る。
「素敵だね」
ミーナは膝をつき、少女と目線を合わせた。
「名前をつけるって、すごく大事なことだと思う。“しあわせ”って言葉を、自分で選んでつけたの?」
少女は少し照れくさそうに笑いながらうなずいた。
「うん。前はね、誰かが“これが幸せです”って決めてた。でも今は、自分で決めていいって言われたから……」
ミーナはその言葉に、胸がじんと熱くなるのを感じた。
——変わってきている。確かに、この世界は。
記録の終焉。それは混乱と不安を生んだが、同時に人々は「選ぶ」ことを学び始めていた。完璧な幸福などない。だが、不完全でも自分で決めた幸福は、誰にも奪われない。
そのとき、後ろから足音がした。
「ここにいたか。ミーナ」
振り返ると、そこにはフェリクスが立っていた。包帯で巻かれた右腕はようやく動かせるようになったらしく、簡素な旅装を身につけている。
「どうしたの?」
「明日、村に戻る馬車が出るらしい。ルカもジャレッドも、そろそろ準備を始めてる。君は……どうする?」
ミーナは少しだけ考えたあと、花の風車を見つめながら答えた。
「私は、もう少し残ろうと思う」
フェリクスは眉をひそめた。
「まだ何か、やることが?」
「ええ。……エルフィナを探したいの」
その名を口にした瞬間、風がぴたりと止まったような気がした。フェリクスの表情がわずかに強張る。
「……それは、どういう意味だ?」
「彼女のこと、覚えてる?」
フェリクスは黙ったまま、目を伏せた。
エルフィナ。かつて記録の中で“聖女候補”として扱われていた少女。幸福値の演算に直接干渉できる特殊能力を持っていたが、演算暴走のきっかけになったとして機構から抹消された存在。
けれど——
「彼女は、消されてなんていなかった。記録から除かれただけで、今もどこかにいるはず」
「……どうしてそう思う?」
「この数週間で、何度か“不自然な幸福値の集積”があったの。記録なき世界でそんなことが起こるなんて、本来あり得ない」
「じゃあ、その原因が……エルフィナだと?」
ミーナは静かにうなずいた。
「私は、彼女を責めるつもりはない。ただ……ちゃんと話したいの。もし、あのとき彼女が“選ばれた側”じゃなかったなら、私と同じように苦しんできたはずだから」
しばらくの沈黙の後、フェリクスは頷いた。
「わかった。君が残るなら、俺も一緒に残る」
「……ありがとう」
そのとき、広場の風車が一斉に回りだした。吹き抜ける風の中で、子どもたちの歓声が上がる。
ミーナはその景色を胸に焼きつけながら、小さくつぶやいた。
「名もなき灯火が、誰かの夜を照らせますように」
その願いが、遠い空のどこかに届くことを祈りながら。
——そして、物語は次なる章へ進もうとしていた。
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