第20話 幸福とはなにか
幸福値の“再演算”が始まった夜、私は一人で診療所の裏に座っていた。
目の前には、再び視えるようになった“数字”たち。
マリアの頭上には【幸福値:82】
ラティは【幸福値:78】
オルステンは、【幸福値:65】から【68】へと、ほんの少し上がっていた。
けれど私は、その数字を直視できなかった。
「また……この世界に、数字が戻ってきた……」
誰かの声ではない。自分自身の心の声だった。
私は、数字に怯えていた。
一度は視えなくなった幸福値。それを“見ない自由”を得たと思ったのに。
——なぜ、私はまた“視る”ことを選んでしまったのだろう。
「——怖いのね、エルフィナ」
背後から優しい声が聞こえた。マリアだった。
「……うん、怖いよ。数値が、目に映るたびに、この人は幸せかどうかって、無意識に“評価”しちゃう。こんなの、ひどいよ」
マリアは私の隣に腰を下ろし、夜空を見上げた。
「昔ね、私も数字を見ていたことがあるのよ。看護修道士として、“快癒度”っていう指標をね。患者の傷や痛みがどれだけ良くなってるか、点数で測るの」
「えっ……そんな指標が?」
「でもね、あるとき気づいたの。“数値が下がったからといって、患者が笑ってるとは限らない”って」
私ははっとしてマリアの横顔を見た。
「数字って、便利なの。簡単に比べられるし、進捗もわかる。でも——そこに“心”はないのよ」
静かな口調だったけれど、その言葉には確かな重みがあった。
私は思わず訊ねた。
「……じゃあ、マリアにとって“幸福”って、なんなの?」
マリアは少し笑ってから、答えた。
「“誰かの痛みを、自分のことのように思えること”かしら。そう思える心が、あるってことが、私にとっての幸せ」
私は言葉を失った。
——そんな幸福の定義、数字になんてできるはずがない。
「……私は、何をしていたんだろう」
「探してたのよ。エルフィナ自身の幸福のかたちを」
そのときだった。
遠くから足音が近づいてきた。
「姉さまー!たいへん!」
ラティが駆けてきた。顔は真剣そのものだ。
「オルステンが、神機の残骸の前で……ひとりで“幸福値”を叫んでるの!」
「えっ……!?」
私は慌てて立ち上がった。マリアも続く。
「幸福値65……幸福値68……なのに……」
彼の呟きは、レリーフの前で膝をついた姿から洩れていた。
「なんで、俺は……こんなに、幸福値が“低い”んだ……」
その背中は、あまりにも寂しそうだった。
私は、彼の隣にそっと座った。
「オルステン」
「……なあ、エルフィナ。俺は、子どもたちに慕われてる。畑も、手伝ってる。なのに……幸福って、なんなんだ?」
その問いに、私はすぐには答えられなかった。
でも、目を閉じて——考えた。
マリアが言っていたこと。
自分が、誰かを思えること。それ自体が、幸せだと。
「ねえ、オルステン。幸福値ってさ……誰かに“与えられる”もんじゃないんだと思う。ましてや、測られるもんでもない」
「じゃあ……どうすりゃいい」
私は、彼の手を握った。
「“誰かのために笑えるかどうか”じゃないかな。私、オルステンが子どもたちにご飯を配ってるとき、すっごく嬉しかったよ」
彼の瞳が、揺れた。
「……そっか。それが、幸福なのか」
幸福値の数字は、その瞬間——【68】から、【77】へと跳ね上がった。
けれど私は、もうそれを言わなかった。
数字じゃなく、彼の顔を見ていた。
——幸せそうな顔。それが、答えだった。
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