第17話 “幸福”の境界線
幸福は、あたたかいものだと信じていた。
けれど今、私の目の前に広がるのは、冷たい光を帯びた“計算された幸福”だった。
天空に浮かぶ《神機リュカオン》。
その中心核から放たれるリング状の光が、村全体を包み込んでいた。
「幸福値の演算、完了まで……あと六〇〇秒」
空から響く機械音声。
神機は“村人全員の幸福値”を演算し、最適化された“幸福未来”を提示しようとしていた。
だが、その幸福は誰かの手によって——人為的に操作されたもの。
「見てください、エルフィナさん」
ジャレッドの声が、背後から聞こえた。
「幸福の暴走は、あなたが起点です。あなたが“視た”幸福値は、
世界中の記録装置に伝播し、神機を“誤作動”させた。
これはあなたの……才能の結果ですよ」
「……誤作動?」
「神機リュカオンは、本来“記録者”の意思には干渉しない。
だが、あなたが幸福値を“視る”ことで神機は“記録対象の意思”を反映した。
結果、幸福値が制御不能となった。
あなたの能力は、記録者であると同時に——神機の“補助演算装置”でもある」
私は、理解するのが遅かった。
ジャレッドが欲していたのは、神機そのものではない。
——私の能力だったのだ。
「神機の演算結果を左右できるのは、現在、この世界で“あなただけ”です」
「……だったら、私が止める」
私は前を向いた。
「これ以上、“誰かの理想”のために、幸福を使わせない。
人の幸せは……“数値”じゃない……心が決めるもの」
「甘い」
ジャレッドが指を鳴らす。
その瞬間、村人たちの身体がふわりと光に包まれた。
「幸福最適化プロセス、強制同期開始。
村人全員の意思決定パターンを自動演算……」
「やめて……!」
だが私の声は、神機には届かない。
そのとき——オルステンが動いた。
「ったく……見てらんねぇな」
彼は神機へ向けて、剣を空へ突き上げた。
当然届かない。けれど、その意志が、光を乱した。
「幸福ってのはな……他人が決めるもんじゃねぇ。
他人に決められた時点で、それは不幸なんだよ!」
彼の叫びに、村人たちの中でひとり、またひとりと目を覚ました。
マリアが、ラティが、そして子どもたちが——
「エルフィナお姉ちゃん……怖い夢、見てた……」
「みんなが笑ってるのに、心が寒かった……」
幸福値は下がった。
けれど、そこには確かに“本当の想い”があった。
私は、心に問いかけた。
(視るべきなのか? 数値を?)
否。いま、私は“感じる”ことができる。
この温度を、声を、震えを——
それこそが、幸福だ。
私は、瞼を閉じた。
(——幸福値、測定中止)
その意志が、神機へと伝わる。
「記録者の意思確認。補助演算装置、停止。
メイン演算、遮断プロセスに移行」
空が、静かに閉じていく。
《神機リュカオン》が、眠りにつこうとしていた。
だがその瞬間——
「まだ終わらない!」
ジャレッドが叫んだ。
「私は……私は……幸福が欲しかっただけなんだ!」
彼の瞳から、涙がこぼれた。
それは、今まで一度も見せたことのなかった“本音”。
「誰も、幸せなんて教えてくれなかった……!」
彼が、崩れ落ちる。
私はそっと近づき、その背に手を置いた。
「幸福は、与えられるものじゃない。
一緒に、探していくものなんだよ」
神機が最後に、微かな光を残して空へ還った。
世界は、静かになった。
けれどその静けさは——“新しい幸福”の始まりだった。
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