第10話 幸福という罪と赦し

それは、彼の告白から始まった。


「……あの夜、護衛に失敗したのは、俺だった」


ぽつりと。けれど、確かな響きを持って放たれたその一言に、私は思わず息を呑んだ。


カフェのカウンター。

朝の光がやわらかく差し込むなか、私たちは他の客のいない時間を選び、静かに向き合っていた。


「聖女殿下の“奇跡”が失われたあの夜。

俺は、あんたが王に呼び出されている間、大聖堂の警備を離れていた。ほんの数分、だが……その間に、何者かが祭具に細工を施した」


私はゆっくりと首を振る。


「それが……原因ではありません。奇跡が消えたのは、私自身の……」


「そうだ。そうかもしれない。だが“きっかけ”を作ったのが、俺だったという事実は、変わらない」


彼の幸福値は、5 → 5。変化しない。

むしろ、下がりかねないほどの自己否定の念が、彼の言葉からにじんでいた。


「それを言いに来てくださったんですね?」


「言わなきゃ、前に進めない気がした」


「……それは、あなたが“赦されたい”と思っている証拠です」


「赦しなんて……」


「あります。ここに、今、このカフェに」


私は笑ってみせた。

そして、スープ皿の下に敷かれた布を持ち上げ、もうひとつの料理を差し出した。


「焼きりんごのタルト。ちょっと焦げてしまいましたけど、砂糖の代わりに蜂蜜を使った、優しい甘さです」


彼は無言でフォークを手に取り、ひとくち口に運ぶ。


その瞬間——


幸福値:5 → 7


小さな上昇。だが、それは確かな“ゆらぎ”だった。

罪を告白し、自分の中の傷に向き合ったその直後に生まれた、かすかな幸福。


「……昔、妹がこういうのを好んでいた」


「妹さん?」


「……もう、随分前に病で失った。あの子が最期に笑ったのは、俺が作ったタルトだった。……その味に似てる」


「あなたが、タルトを……?」


「戦場育ちの兄貴が、手探りで作った初めての菓子だった。あの子は、泣きながら笑ったよ。“苦くて甘い”って」


私は胸の奥が温かくなるのを感じながら、そっと彼の前に紅茶を置いた。


「それは、きっと……“幸福”です」


「……ああ。忘れてたけど、今思い出した。あれは、確かに……そうだった」


幸福値:7 → 9


私は手帳を取り出し、メモを取るふりをしながら、胸元にある“遺跡の水晶片”に意識を向けた。

それは、遺跡の第一階層を出た夜、扉から落ちていた欠片。

以降、私はペンダントのように身につけていたが、幸福の変動に合わせて微かに光ることに気づいていた。


そして今、それがまた、淡く光った。


(やっぱり……オルステンさんの幸福値が動くたび、遺跡が反応する)


この村の幸福値が総計で1000を超えたとき、第一層が開いた。

だが今は、個人の“特異点”が第二層の開放条件になっているのでは——?


(もしかして、“ゼロ”から一定数以上の上昇を達成した時に……?)


私は計算する。


0 → 9。現在、オルステンは9ポイント上昇している。

もしかして、「10」が区切りなのでは——?


そのときだった。


「……一つ、頼みがある」


オルステンが視線を落としたまま、ぽつりと言った。


「俺のために、“何か”を焼いてくれ」


「はい?」


「……妹の、誕生日が近い」


私は一瞬、言葉を失った。


「その日だけは……毎年、何も食べられなかった。

けれど、今年は違う気がする。あんたのパンを食べたら、思い出してしまったから」


私は、ゆっくりと頷いた。


「ええ。焼きましょう。“あの頃の味”に似せて。……いえ、それ以上のものを」


「……ありがとう」


幸福値:9 → 10


同時に——胸元の水晶片が、はっきりと“光を放った”。


私は確信した。


——この人の幸福が、“遺跡の扉をまた一つ、開こうとしている”。

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