第08話「決戦は砦の中で」
俺が投げつけた小さな袋は、床に落ちて弾け、中から白い粉が舞い上がった。
「な、なんだこれは!?」
バルガスたちが一瞬怯んだ、その隙を見逃さなかった。
「リナ、今だ!」
「任せて!」
リナが、身を低くして一気に駆け出す。彼女の狙いは、倉庫の隅に積まれたいくつかの樽だ。
俺が投げた粉。それは、小麦粉だ。
そして、リナが向かった樽の中身は、アルコール度数の高い酒。
「ぐずぐずするな、捕えろ!」
バルガスの怒声が響く。部下たちが俺たちに迫ってきた、その瞬間。
リナが樽の一つを蹴り倒し、中の酒を床にぶちまけた。そして、腰につけていた火打ち石を強く打ち鳴らす!
カチッ、という小さな音と共に、火花が散った。
次の瞬間、轟音と共に、倉庫内が爆発的な炎に包まれた。
「ぐわあああっ!」
「な、何が起こった!?」
粉塵爆発。
密閉された空間に可燃性の粉末が浮遊している状態で引火すると、爆発的な燃焼が起こる。現代では常識だが、この世界の人々が知るはずもない現象だ。
もちろん、計算通りの小規模な爆発だ。建物を破壊するほどではなく、あくまで相手の意表を突き、混乱させるためのもの。
もうもうと立ち込める煙と、爆風にうろたえる兵士たち。
「退路は確保した! 行くぞ!」
俺はリナの手を引き、煙に乗じて倉庫の外へと駆け出した。
外では、エルザ王女の護衛騎士たちが、陽動の警備兵たちをほとんど片付けてくれていた。
「ユウト殿、ご無事でしたか!」
「ええ、なんとか。証拠は確保しました!」
俺たちが合流したところに、館から慌てて駆けつけたであろうバルガスが、顔を真っ赤にして叫んだ。
「おのれ……! 全員、殺せ! 一人も生かして帰すな!」
数の上では圧倒的に不利だ。騎士たちも奮戦しているが、次々と現れる兵士たちを相手に、じりじりと追い詰められていく。
このままでは、じり貧だ。何か、この状況をひっくり返す手はないか。
俺は周囲を見渡し、そして砦の構造に目を付けた。この砦は、古いだけあって、あちこちに防御のための仕掛けが残っているはずだ。
「リナ、みんな! 俺に続け! 砦の上に逃げるぞ!」
俺たちは、敵の追撃をかわしながら、砦の物見櫓へと続く階段を駆け上がった。
「逃がすか!」
下から、兵士たちが追いかけてくる。
物見櫓の上には、砦に立てこもって戦うためだろう、大きな石や、油の入った壺がいくつも置かれていた。これを使わない手はない。
「みんな、手伝ってくれ!」
俺たちは、櫓の縁ギリギリに、重い石をいくつも配置した。そして、その石を支えるための簡単な仕掛けを、ロープと木材で即席で作る。
兵士たちが階段を半分ほど登ってきたところで、俺はロープを繋いでいた杭を、斧で断ち切った。
「いっけえええ!」
ゴゴゴゴゴッ、という地響きと共に、巨大な石が階段を転がり落ちていく。
「うわああああ!」
「避けろ!」
兵士たちは、なすすべもなく、転がり落ちてくる石の餌食となった。
さらに、俺は油の壺をいくつか下に投げ落とし、騎士の一人にたいまつを投げ込ませた。
火の海と化した階段は、もはや誰も登ってくることはできない。
「やった……!」
一時的だが、敵の追撃を食い止めることができた。
だが、その時。
ヒュン、という風切り音と共に、リナが俺を突き飛ばした。
「危ない!」
「ぐっ……!」
リナの肩に、一本の矢が突き刺さっていた。見ると、砦の下で、弓を構えるバルガスの姿があった。
「リナ!」
「これくらい……平気だ……!」
気丈に振る舞うリナだが、その顔は苦痛に歪んでいる。
「よくもリナを!」
怒りに燃える俺。だが、こちらには弓を返せるような武器はない。
「ははは! そこから降りて、大人しく投降しろ! さもなくば、次はその娘の心臓を射抜いてやる!」
バルガスが高笑いする。
絶体絶命か。そう思われた、その時だった。
「――そこまでです、代官」
凛とした声が、戦場に響き渡った。
見れば、いつの間にか砦の入り口に、エルザ王女が一人で立っていた。その手には、王家の紋章が刻まれた短剣が握られている。
「すべての悪事は、白日の下に晒されました。あなたにもはや、逃げ場はありません」
静かだが、有無を言わさぬその威厳に、バルガスだけでなく、全ての兵士の動きが止まった。
これが、王族が持つ「覇気」というものなのか。
バルガスは一瞬、絶望の表情を浮かべたが、すぐに凶悪な笑みに変えた。
「……王女殿下ともあろうお方が、自らお出ましになるとは。ならば好都合! 王女殿下を人質に取れば、俺はまだやり直せる!」
正気を失ったバルガスが、エルザ王女に向かって走り出した。
「姫様!」
騎士たちが叫ぶ。だが、間に合わない。
そう、誰もが思った瞬間。
やぐらの上から、影が舞い降りた。肩に矢を受けたままのリナだ。
彼女は着地の衝撃を巧みに殺すと、一陣の風となってバルガスの横を駆け抜けた。
ドゴッ! という鈍い音と共に、バルガスの巨体がくの字に折れ曲がり、地面に倒れ伏す。
「……私の大切な人たちを、これ以上傷つける奴は、誰であろうと許さない」
静かな怒りをたたえた瞳で、リナは倒れたバルガスを見下ろしていた。
その圧倒的な強さと、俺たちを想う優しさに、俺はただ、胸が熱くなるのを感じていた。
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