(四)
出師準備は、粛々と進んだ。
校員登録は、昨秋激増して一万人を超えている。にわか作りの義勇軍とはいえ、既存の名簿情報を振り分けていくだけだから、組織化は思いのほか円滑だった。
ただ、薩摩
しかし、それを気にする者は、この熱のなか皆無に近かった。西郷はもちろん、桐野、篠原、村田といった大幹部連中ですら、鎮台兵に対する評価は極めて低い。
倨傲の誹りは、禁じ得なかった。
私学校の幹部室。
板間に長い卓が置かれ、桐野以下はそれを取り囲んで座っていた。
中心に、粗末な日本地図。より具体的な上京方針を定めるための、軍議だった。
孝明帝十年祭、鉄道開通式などに伴う、大規模な行幸の最中だった。三条
したがって、まずは近畿までの道程を定める必要があった。
西郷隆盛の末弟・小兵衛がおもむろに立ち上がった。兄に似ず痩身で、精悍な総髪の若武者だ。
地図を指し示しつつ、口上を述べた。
――熊本鎮台は侮れぬ。全軍を三手に分けよう。一軍は北上して熊本を囲み、一軍は日向より豊前豊後へ回り、一軍は海路潜行して長崎を制す。九州要路を扼したのち、熊本を一挙陥れて我が根拠となし、満を持して政府と対決すべし。
明哲な戦略だ。当座の現実性という意味でも、大きな説得力があった。
辺見や淵辺など部隊長格の連中は、口角を上げてしきりに頷いている。
篠原もまた、小さく「良かな……」と呟いた。
傍らの村田は膝に手を置いたまま、やはり一言も発しなかった。
「
穏やかな空気を破ったのは、桐野だった。
机を囲む顔が、一斉に振り向く。
「
同じく、判然たる論旨で応じた。
小兵衛が、やや戸惑いながら反論する。
「
違う。戦にしてはならんのだ。
桐野は諭すように言った。
「よう、聞いてくいやんせ。確かに、小兵衛
その顔には、快活な色すら浮かんでいる。
「……こん出陣はあくまで、政府の非を四海に鳴らし、
部屋はやがて静まり返った。
「
一転して、皆が桐野に頷いた。「
小兵衛は、口を結んで座った。
するとまた、隅から質疑が上がった。
「
声の主は野村
「……政府とて、馬鹿じゃあなか。まして熊本鎮台は、佐賀ノ乱、神風連ノ乱をも鎮めちょっ。防備は
桐野は小さくため息をついた。
――また、この男か。いつもいつも、
野村はいつの間にか立ち上がっていた。一座を見まわし、熱弁を振るう。
「勝てる
あきれざるを得ない。
——なぜ戦をしたがる。だからお前は、いつまでたっても小才子なのだ。
しかし、淵辺、辺見はまたもぐらついているようだ。気づけば一同は、恐る恐る桐野の顔色をうかがっていた。
桐野は柔らかい笑みとともに、口を開いた。
「……かの
野村が、怪訝そうに眉をしかめる。
かまわず、朗々とつづけた。
――国王は討手を差し向けた。しかし、
こうなれば、もはや独擅場だ。
「……
誰かが「そんとおりじゃ!」と叫んだ。次々に賛同の声が上がり、議場を包んだ。
野村は、下を向くほかなかった。
唇をかむ顔。桐野はそれを横目に、心の奥で呟いた。
――いずれ立場が変われば、お前も分かる日が来よう。
軍議は決した。「全軍陸路北進」である。
桐野らは別室の西郷を訪れ、簡潔に報告した。「良か、良か」と西郷は満足そうに頷き、すぐに決裁した。
「
去り際、西郷が言った。
「明日、呼びもんそ」
桐野は微笑み、軽い声を返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます