壮心横剣 ~丁丑正月鹿児島騒擾記~

作倉

第一章 火花

(一)

 白髪衰顔 意とする所に非ず

 壮心剣を横たえて 勲無きを愧づ

 百千の窮鬼 吾れ何ぞ畏れん

 脱出す 人間虎豹の群

     

(白髪の痩せ衰えた顔になろうと、意にも介さない

 壮大な心で剣を佩びながら、勲功なきを愧じるのだ

 数百数千の幽鬼を、おそれることなどあろうか

 脱出しよう、世にはびこる猛獣たちの群を)


***


 明治十年(丁丑)一月三十日、深夜。

 鹿児島城下の空を、鉛色の雲が覆っていた。

 いまだ旧暦を用いるこの地は、なお年の瀬の装いだった。例年になく寒い冬、錦江湾から吹き上げる狂風が、家々をばたばたと鳴らしていた。


 鹿児島県令・大山綱良つなよし(格之助)は、この日も遅く、城下の自宅へ戻った。

 数か月にわたる東京出張から帰ってきて一か月余。九州各地の動乱に揺れる鹿児島士族の鎮静、政府からの視察使の受け入れ、地租改正事業の推進、家禄問題の処理——業務は相変わらず山積で、息つく暇もない。ただでさえ寒い禿頭に、このごろはひとしお冷気が沁みた。


 早々に着替え、書院の灯を落とす。しかし、掛布団をめくった刹那、戸を激しく叩く音が響いた。

——また何かあったか。

 影を引きずるように玄関へ向かい、がらっと戸を引く。

 綿入れに草鞋をつっかけた、黒い影が立っていた。

 この男は——新納にいろ軍八だ。たしか、陸軍火薬局に勤める大尉だったか。

「大山サア、一大事じゃ」

 かすかに息が上がっている。

何事ナイゴッな」

「火薬庫が……火薬庫が襲われした……!」

ナイな。そいは昼聞いた

 目下、鹿児島で一大勢力と化している西郷隆盛一派の私学校しがっこう。その若い衆が、草牟田そうむたの陸軍火薬庫に殴り込んだ——報せ自体は、この日の昼に受けていた。なんでも昨夜、私学校の若い連中が酔った勢いで気炎を吐き、数十人で火薬庫施設に押し入ったのだという。

 青年らの素行不良は、昨年からこのかた日常茶飯事だった。もちろん面倒ごとであるには違いないが、さして危急の一大事というほどでもない。すでに、警察には調査を命じている。明日ひとまず私学校に赴いて詳細を確認し、適宜の善後策を考えるつもりだった。

 こんな時間に、わざわざ再報告に来たのか。訝しんで言葉をつづけようとすると、新納の狼狽気味な声が重なった。

うんにゃ然らず、またじゃ! 今夜もじゃ!」

 ぶるぶると顔を横に振っている。

「今夜は私学校の若衆ワケシが、百……千人を超えちょった。そいも、我が草牟田だけじゃなか、いその海軍サアまで襲って、弾薬を奪ったとじゃ!」

 耳を疑った。もはや反政府蜂起ではないか。

——これは、まずい。

 新納にひとまず火薬局へ戻るよう指示し、大山は急ぎまた着物に着替えた。

 家人にも告げず玄関を出た。県庁へ、黙々と足を進めた。


***


 すでに日付は変わって、三十一日になっていた。

 県庁に着くと、宿直員を叩き起こした。すぐに県官と巡査の非常呼集をかける。

 空が白むのと同時に、激しい雨が降りはじめた。

 屋敷の松が風に煽られ、屋根瓦を打つ雨音が室内まで響いた。


 やがて、一等警部・中島健彦が、ぞろぞろと警部巡査を引き連れて出勤してきた。みな、制服の肩はびしょ濡れだ。

 中島は県庁第四課長(警察課長)——後年の県警察本部長に当たる。元近衛大尉で、才気煥発だが癇の強い男だ。坊主頭に、太い眉を怒らせている。

「中島殿ドン、こいは如何イケコッか」

「大山サア、どげんもこげんも、政府の差金じゃ!」

 中島は怒鳴るように言った。

御前様オマンサアも知っちょっどが。一昨日から、政府の蒸気船が来っせえ、我が弾薬をおっっちょっとじゃ!」

 政府の蒸気船・赤龍丸が数日前に入港し、磯の海軍造船所周辺でなにやら作業をしている——そのことについては、大山も報告を受けていた。従来、この種の作業がなされる際は事前に通告がなされるのが慣例だった。

 もっとも、搬出作業自体は規則違反ではない。それゆえ、大山としても静観していたのだ。しかし今となっては、もう少し海軍と話を詰めておくべきだったと悔やまれた。

じゃっどんしかし、弾薬を分捕るなんど……、汝達ワイタッおっせえいながらナイしよっとか!」

 大山としては、叱りつけざるを得ない。そもそもこの中島は治安の責任者であるのみならず、生粋の私学校党だ。西郷の意を体し、若い衆の軽挙妄動を厳に慎ませるのが、貴様の務めではないか。

やっでよそれゆえよ!」

 しかし、中島はすぐに鋭く言葉を返した。

「大久保はやる気じゃ! 警視庁が、西郷セゴ先生を刺し殺す、刺客を放っちょっ。鎮台も海軍も支度は終わっせえ、鹿児島カゴイマを一網打尽にすっ算段らしかど!」

ナイを……馬鹿んよなコッを言うな」

 大山の声は、かすかに震えた。

「確かじゃ。休暇で帰っきちょっ、警視庁んが言うちょったそうじゃ。あん馬鹿すったれ共が」

 中島が吐き捨てる。

 まさか、あの大久保一蔵利通が西郷に刺客など——そこまで考えて、大山ははっとした。大久保はともかく、警視庁を率いているのは川路利良としよしだ。至誠無私、清廉すぎるほどに清廉なあの男であれば、大義私を滅すとばかり、乾坤一擲の秘策に出る可能性がないわけではない。

「刺し殺すっち……そいは、本当ホンノコッじゃろな?」

じゃ然り本当ホンノコテ大変デイコッじゃ。人手が足らんで、巡査を三十人ばっかい、臨時で任用すっ。良かな? こいから大捕物じゃ」

「……分かった。じゃっどんしかし、もう火薬の分捕りはならんど。ワイからよう言っ聞かせい」

 大山は念を押した。ただの暴動でないことくらい、分かっていた。

 すると、隣に控えていた古川警部が口を挟んだ。

「大山サア、知っちょっどがているでしょう。巡査も皆、私学校じゃ。止められんもんは、止められんど」

 嘲るような顔でニヤニヤしている。大山は思わず古川を睨みつけ、むっと黙り込んだ。 


 やがて、中島らは出ていった。ひとまず火薬庫一帯の状況調査に向かうとのことだった。

 ひとり残された県令室。空気が重く沈む。

 外の雨足は、さらに強まっていた。

——いよいよ、来るべきものが来てしまったか。

 袖口を握りしめた。

 英国エゲレスとの砲撃戦、伏見寺田屋の上意討ち、鳥羽伏見の激闘、奥羽鎮撫参謀としての転戦。いくたびと死線を越えてきた。しかし、これほどの難局はなかったかもしれない。

 状況は切迫している。大久保・川路は、その気になれば徹底的にやる男たちだ。

 打つ手をわずかひとつでも間違えば、陸海軍が大挙鹿児島に押し寄せる。私学校の連中のことだ、凄絶な市街戦になるだろう。かつて英艦に焼かれた鹿児島、そして自分たちが焼いた奥羽諸藩の城下街の惨景が、脳裏によぎった。

 それだけは避けねばならぬ。

 針の穴を通すような立ち回りだった。しかし、大山は県令として、目の前の仕事に最善を尽くすほかなかった。


 その日の夜更け。大山が自宅で寝支度をしていると、風に乗って、かすかに人の叫び声や破裂音が聞こえた。

 やはり駄目だったか——思わずため息がもれた。外套を、着物の上から羽織った。

 玄関を出て、風雨の中を県庁へと急ぐ。

 途中、前方から大八車が列をなして迫ってきた。みな弾薬箱を雑多に積んでいる。若者たちが顔を上気させ、気勢を上げて車を押していた。

 大山は濡れた砂利道を踏みしめながら、県庁の灯へと歩を速めた。

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